戯言ヲトメツバキ(完)
言葉にならないものを、少しでも言葉にしようとしていました。
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GRANDMOTHER's HIGH
話を聞いてもらえることが、どんなに嬉しいことか。
話を聞かせてもらえることが、どんなに嬉しいことか。
手を抜く必要など、まったくないんだと。
人間の、しばしばやっちまう、モニタリングのコストを無視したり、ギリギリまで動けなかったり、焦ってイライラしたり、上手く行くほど不安になったり、泣かせようとかましたり、そういう現象。
人間の、わたしの、ネイキッドに、バーサスする。
視界の隅をちらりとよぎる、流してしまいそうな言葉に、自分の盲点を突いている言葉に、食らいついていく。
そういうゆるゆるなところではじめて、自己選択というものは可能になるんじゃないかと思う。
(ただ、わたしは、まわりの力動に乗っかって、自分ひとりでは行けないようなところに到達することがひどく苦手なので、それについても一層努力する必要がある。)
話を聞かせてもらえることが、どんなに嬉しいことか。
手を抜く必要など、まったくないんだと。
人間の、しばしばやっちまう、モニタリングのコストを無視したり、ギリギリまで動けなかったり、焦ってイライラしたり、上手く行くほど不安になったり、泣かせようとかましたり、そういう現象。
人間の、わたしの、ネイキッドに、バーサスする。
視界の隅をちらりとよぎる、流してしまいそうな言葉に、自分の盲点を突いている言葉に、食らいついていく。
そういうゆるゆるなところではじめて、自己選択というものは可能になるんじゃないかと思う。
(ただ、わたしは、まわりの力動に乗っかって、自分ひとりでは行けないようなところに到達することがひどく苦手なので、それについても一層努力する必要がある。)
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