戯言ヲトメツバキ(完)
言葉にならないものを、少しでも言葉にしようとしていました。
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Remember You
http://www.uta-net.com/user/phplib/view_0.php?ID=62247
僕が一度目の大学4年生のときに出演した芝居で使った曲。
その芝居は九月の半ばで、その楽日の10日後が大学院の入試だった。
そんな無謀な真似をしたのは、僕が試験を舐めてたってのもあるけれど、
それよりなにより、当時好きだった子がスタッフ参加していたからだ。
完全に恋の門のパクりで、僕は振り付けなんかをしたっけ。
GoldShooter.1 "the Last Supper"
僕が一度目の大学4年生のときに出演した芝居で使った曲。
その芝居は九月の半ばで、その楽日の10日後が大学院の入試だった。
そんな無謀な真似をしたのは、僕が試験を舐めてたってのもあるけれど、
それよりなにより、当時好きだった子がスタッフ参加していたからだ。
完全に恋の門のパクりで、僕は振り付けなんかをしたっけ。
GoldShooter.1 "the Last Supper"
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「家族アート」
鳥公園#02@神楽坂die pratze
0131: 濃紺PINK
午前中は課題面接。迷ってる自分を一旦肯定する。
こんなん、僕の幾倍速で生きている人から見たら「なにタルいことやってんだ」
なんて風に見えるんだろう。
そんでもって、それはきっと真実なのだ。
でも僕は、僕に与えられたカードで勝負するしかない。
と、スヌーピーが言ってた言葉を引っ張ってくる。
夕方からはカムヰのWS。とても満足。
2000円借りて、参加費500円も払ってないので、返さねきゃならん。
北川くんは頭が良くて、とっても言葉が達者なので、社交辞令と本気の違いがわからん。
ぼくが鈍いだけかもしらんがね。
「フラグメントへの順応性」という言葉をどういう意味で使っているのか、訊き忘れたなぁ。
お金を返すときにでも訊いてみるか。
岡崎京子のpinkを戯曲化しろという注文を受けて、1年くらい経っている。
ぼくも脚本をこれから書いていこうと思うのなら、動き始める時期なんだろうな。
モタクサしてらあ。しかし。
こんなん、僕の幾倍速で生きている人から見たら「なにタルいことやってんだ」
なんて風に見えるんだろう。
そんでもって、それはきっと真実なのだ。
でも僕は、僕に与えられたカードで勝負するしかない。
と、スヌーピーが言ってた言葉を引っ張ってくる。
夕方からはカムヰのWS。とても満足。
2000円借りて、参加費500円も払ってないので、返さねきゃならん。
北川くんは頭が良くて、とっても言葉が達者なので、社交辞令と本気の違いがわからん。
ぼくが鈍いだけかもしらんがね。
「フラグメントへの順応性」という言葉をどういう意味で使っているのか、訊き忘れたなぁ。
お金を返すときにでも訊いてみるか。
岡崎京子のpinkを戯曲化しろという注文を受けて、1年くらい経っている。
ぼくも脚本をこれから書いていこうと思うのなら、動き始める時期なんだろうな。
モタクサしてらあ。しかし。
0127: トレイニング
人と関わるときに、敬意を持つことを大事にしたい。
”愛”って言い換えてもいい。
敬意を持ててないと気づいたら、探してみようぜってこと。
ゲシュタルト療法の本が、すごいおもしろい。
ぼくは、自分が何をやりたいか、まだ全然わかってないんだ。
だから就職活動をしようにも、腰が重いんだろう。
はたからみれば、”なにたわけたことぬかしてつかる”って感じなのだろうが。
受動的じゃあだめだ。そこが肝なんだと思ったんなら、全精力を注ごうぜ。
誰だって、いつだって、すっげえやりたいやれることは、きっとあるはず。
立体
今週末に観に行こうと思っている「沈黙のトークショー」に出演するうちの1人、
米光 一成さんが、宮部みゆき「ぼんくら」についてこんなことを書いていた。
"なんでありとあらゆる角度から読めるのだろうと考えてみると、ありとあらゆる角度から考え抜かれて書かれているというよりも、ちゃんと立体として立ち上がるように描いているから、読み手によってさまざまな視点で読み解ける物語になっているのではないだろうか、と考える。"
(こどものもうそうblogより)
「ぼんくら」は読んだことが無いので、作品へのコメントとしてどうかは分からないが、
この「立体として立ち上がるように描く」というのが、僕が芝居でやりたいと思っていた
ことのひとつをまさにぴたりと言い当てているのではないかと思い、漠然ながらワクワクした。
平田オリザ氏がやろうとしていることの中にも含まれるんでないかな。
本によって得られるものは、読者によってまるっきり変わるとか、観客を鍛える発想とか、
僕の頭の中で、そういうのが非常に漠然とした段階で原始的な構造を形成しつつある。
これをもっと明確に、精緻化するには、放っとけばなかなかしないある作業が要るのだろう。
とりあえず「ぼんくら」は読んでみよう。
米光 一成さんが、宮部みゆき「ぼんくら」についてこんなことを書いていた。
"なんでありとあらゆる角度から読めるのだろうと考えてみると、ありとあらゆる角度から考え抜かれて書かれているというよりも、ちゃんと立体として立ち上がるように描いているから、読み手によってさまざまな視点で読み解ける物語になっているのではないだろうか、と考える。"
(こどものもうそうblogより)
「ぼんくら」は読んだことが無いので、作品へのコメントとしてどうかは分からないが、
この「立体として立ち上がるように描く」というのが、僕が芝居でやりたいと思っていた
ことのひとつをまさにぴたりと言い当てているのではないかと思い、漠然ながらワクワクした。
平田オリザ氏がやろうとしていることの中にも含まれるんでないかな。
本によって得られるものは、読者によってまるっきり変わるとか、観客を鍛える発想とか、
僕の頭の中で、そういうのが非常に漠然とした段階で原始的な構造を形成しつつある。
これをもっと明確に、精緻化するには、放っとけばなかなかしないある作業が要るのだろう。
とりあえず「ぼんくら」は読んでみよう。