戯言ヲトメツバキ(完)
言葉にならないものを、少しでも言葉にしようとしていました。
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0214
水面の上と下をアップアップしながら時間軸上は横に動いている。水面上と水面下では見える景色がだいぶ違うのだが、それらをうまく統合しなくてはいけない。わたしはわたしから中々距離が取れない。一番なんとかしたいことは、今の仕事のこと。
土曜日は雪が降った。行政の勉強をまた始める。院の同期と新年会で集まり、その後芝居の座組で集まる。酒を沢山飲むが暴れることはない。ぽつぽつと話をしてなにかが積もってく。誰かの誕生日は言葉に出して祝えなかった。
日曜日は昼に目を覚まし、そこから桜美林大学内のダンス公演とアゴラ劇場での芝居をハシゴする。芝居の感想文はコリッチのページにまとめて書くことにした。
こないだ共演した、猫みたいに笑みを浮かべ、すごく楽しそうに身体を動かす人と、電車の中で話をする。彼女の人物描写がすごく的確。もやもやとしていたことに新しい色が加わり解像度がミリリと増す。チリチリしていたことが、もうちょっと別の立ち上がり方をする。
白のダッフルが似合うと言ってもらったことが複雑だけれどとてもうれしい。
土曜日は雪が降った。行政の勉強をまた始める。院の同期と新年会で集まり、その後芝居の座組で集まる。酒を沢山飲むが暴れることはない。ぽつぽつと話をしてなにかが積もってく。誰かの誕生日は言葉に出して祝えなかった。
日曜日は昼に目を覚まし、そこから桜美林大学内のダンス公演とアゴラ劇場での芝居をハシゴする。芝居の感想文はコリッチのページにまとめて書くことにした。
こないだ共演した、猫みたいに笑みを浮かべ、すごく楽しそうに身体を動かす人と、電車の中で話をする。彼女の人物描写がすごく的確。もやもやとしていたことに新しい色が加わり解像度がミリリと増す。チリチリしていたことが、もうちょっと別の立ち上がり方をする。
白のダッフルが似合うと言ってもらったことが複雑だけれどとてもうれしい。
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0212
ネガティブな記事を一番上に置いておくのってけっこう落ち着かない。
だからってわけでもないんですが
だからってだけでもないんですが
終演したら書こうと思っていたことをちろっと書きます。
わたし、ちょっと前まで、範宙遊泳という劇団の芝居に出演していたのですが、観に来てくれた脚本家・演出家の後輩がこの芝居や劇団についてコメントをくれたんです。それは辛辣なものだったけど、僕はそれすごく正しいな、と思って。
で、一方。
範宙遊泳の脚本家・演出家・主宰の方が言ってることややってることについても、やっぱり僕はそれ正しいんじゃないか、と思えてならないんです。
2人の主張はたぶん矛盾するもので、そして正しさの量を比べたらどちらかが勝つ。
でもわたしは、矛盾したままどちらも正しくていいんじゃないかと思うのだ。
そういうはっきりしない自分のスタンスに気づいてしまうと、このブログみたいにWebでものを言うのが難しくなってくる。わたしがひとつの価値観をすべてに適用するようなシンプル小僧であったときとは、ちょっと勝手が異なってくる。
とか言うほどなにか自分の中で変わったってことでも、ないんですが、そういう漠然とした問いに対して、なにか答えを見つけてあげたいなぁと思って、ここに挙げておくわけです。
わたしはこのブログにわたしの一面だけでなく、いろんな面を乗っけていきたい(不可能だとしても、理念として)のです。たとえばすごくいいことがあったら、誰かが友達に思わずメールしてしまうように、ここに書きたいのです。くだらんことも、いやなことも、乗っけていきたいのです。社会人のルールを守った上で、それをやりたいのです。
だからってわけでもないんですが
だからってだけでもないんですが
終演したら書こうと思っていたことをちろっと書きます。
わたし、ちょっと前まで、範宙遊泳という劇団の芝居に出演していたのですが、観に来てくれた脚本家・演出家の後輩がこの芝居や劇団についてコメントをくれたんです。それは辛辣なものだったけど、僕はそれすごく正しいな、と思って。
で、一方。
範宙遊泳の脚本家・演出家・主宰の方が言ってることややってることについても、やっぱり僕はそれ正しいんじゃないか、と思えてならないんです。
2人の主張はたぶん矛盾するもので、そして正しさの量を比べたらどちらかが勝つ。
でもわたしは、矛盾したままどちらも正しくていいんじゃないかと思うのだ。
そういうはっきりしない自分のスタンスに気づいてしまうと、このブログみたいにWebでものを言うのが難しくなってくる。わたしがひとつの価値観をすべてに適用するようなシンプル小僧であったときとは、ちょっと勝手が異なってくる。
とか言うほどなにか自分の中で変わったってことでも、ないんですが、そういう漠然とした問いに対して、なにか答えを見つけてあげたいなぁと思って、ここに挙げておくわけです。
わたしはこのブログにわたしの一面だけでなく、いろんな面を乗っけていきたい(不可能だとしても、理念として)のです。たとえばすごくいいことがあったら、誰かが友達に思わずメールしてしまうように、ここに書きたいのです。くだらんことも、いやなことも、乗っけていきたいのです。社会人のルールを守った上で、それをやりたいのです。
2011: さっそく泥水どんぶらこ
公演にかまけてて埃かぶってた色々なことを片付けなければならないのだけれど、月曜火曜は仕事が入っていてできなかった。水曜にようやく立て直そうと思った矢先、に受けたカウンセリングのせいかどうかは分からないけれど、ものごっすい精神が頭から泥に突っ込みずぶりと沈み、もう何も言えなくなる。図書館で手当たり次第にCDを借りたりブックオフで既に何度も読んだ漫画を手に取ったりするとき、わたしの水はとても濁り澱んでいる。この感覚は久しぶりで、そういえば芝居をやっていた1か月間はこいつに溺れることが不思議となかった。なぜだろう?
いわゆるあたしの脆弱性というものについて、少し法則性が見えたような気がした。とぅーん。
いわゆるあたしの脆弱性というものについて、少し法則性が見えたような気がした。とぅーん。
0207
範宙遊泳 郷土物語宣言第一弾 「山梨」にご来場頂いたみなさま、ありがとうございました。
7日の昼の回を持って、無事終演することができました。
とりあえず、留めておいた心理の仕事を流し始めます。ひゃー。
山梨とは直接関係ない話だが、思いついたこと。
言葉を扱うときに、「文脈」というものを無視(軽視)してはいけないのだ。特に話し言葉を扱うときには、文脈は意味と切り離せない。裏っかえして言えば、ある場で産まれた言葉の適用範囲を考慮して、はみ出ないようにして、上手に付き合おう、ということだ。
逆に、適用範囲がものすごく広い、無文脈(?)のような文脈を持つ言葉もある。そういうものは、誰も思いつかないような使い方をすることがひとつの大発見になるし、そういう無文脈な言葉のストックをたくさん持っていると人生の思いもよらないところで役に立ったりする。
7日の昼の回を持って、無事終演することができました。
とりあえず、留めておいた心理の仕事を流し始めます。ひゃー。
山梨とは直接関係ない話だが、思いついたこと。
言葉を扱うときに、「文脈」というものを無視(軽視)してはいけないのだ。特に話し言葉を扱うときには、文脈は意味と切り離せない。裏っかえして言えば、ある場で産まれた言葉の適用範囲を考慮して、はみ出ないようにして、上手に付き合おう、ということだ。
逆に、適用範囲がものすごく広い、無文脈(?)のような文脈を持つ言葉もある。そういうものは、誰も思いつかないような使い方をすることがひとつの大発見になるし、そういう無文脈な言葉のストックをたくさん持っていると人生の思いもよらないところで役に立ったりする。
0205b
今日の回には芝居をむかし一緒にやった知り合いがたくさん観に来てくれた。
彼らが観に来てくれたこと、彼らと会えたこと、彼らと話せたことがとても嬉しい。
ちょっと口を滑らせすぎたかもしれない。
残り2日の芝居をどうするかについて、色んな人から貰った言葉が頭をぐるぐるする。
考えるのも、決めるのも、私だ。
結果としてそうなったらいいものと、目的と、手段を、取り違えないことは大事なんだ。
彼らが観に来てくれたこと、彼らと会えたこと、彼らと話せたことがとても嬉しい。
ちょっと口を滑らせすぎたかもしれない。
残り2日の芝居をどうするかについて、色んな人から貰った言葉が頭をぐるぐるする。
考えるのも、決めるのも、私だ。
結果としてそうなったらいいものと、目的と、手段を、取り違えないことは大事なんだ。