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 1210: カウンセルというもの

まぁなんだ、昨日、カウンセリングを受けに行ったんだ。
カウンセラーの方じゃなくて、相談者の方で。

感じたことは色々あった。
これはまとめて、近いうち適切な形にまとめたい。
大きかったのは、「相談者はこういうことを気にすることがあるんだな」ということを体験できたこと。
やっぱり僕は体験しないとわからないことが多いな。かといってなんでも体験できるわけじゃないし、実際に体験してないことをいかに理解しようとするか(想像力)がカウンセラーの腕のひとつだったりするのだろうけど。
メインの理由である問題については、どう転がるかまだわからん。

こういうひとつひとつの体験を、バリバリ噛み砕いて咀嚼して、今の仕事とか、日々の生活の問題とかに、良い変化を生じさせるところまで行き届かせたい。それは楽になることとは限らなくて、むしろ苦しいのかもしれない。
キーワードは消化と統合。これらはきっと同じプロセスを違う視点から見たもので、消化なくして統合はないし、統合なくして消化はない。

カウンセリング方法序説」「カウンセリング入門」という本を併せて読んでいる。いずれもロテ職人のセレクトショップで紹介されていた本だ。前者はカウンセリングについて、大きな枠組みから具体的なところに迫っていて、後者はカウンセリングの細かいテクニックについて解説をしており、これらを組み合わせて実際のカウンセリングが成立すると書いてある。直観なのだが、それぞれがそれぞれの本に書いていないことを補っているように思えて、食べ合わせがとても良いと思ったのだ。

イタい心理屋が山ほどいることは、きっとその通りなのだし、僕もその1人なのだ。でも、デキる心理屋が沢山いることも、きっと正しい。だから、イタい心理屋とデキる心理屋を見分ける方法であるとか、イタい心理屋がデキる心理屋に化ける方法であるとかを、僕はやっぱり一生かけて探していきたい。
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 1208: ひと息

<自分の話>
・しばらく精神がどんぶらこっことしていたのだけど、ようやくひとつの凪っぽいとこに出たらしい。昼が終わって夜が来る。

<自然の話>
・雨が降ると空がカラッポになって夜がきれい。僕は満月よりも、ちょっと欠けてていびつなやつが、とがったふちを鈍く光らせている方が見ていて好きだ。

<身体の話>
・筋トレーン(筋トレの省略を中途半端に解除した気持ち悪いことば)を始めてみて気付いたのは、「筋肉は努力によって獲得するものだ」ということ。わたしはなんか漠然と、ギフトというか、所与のものだというイメージがあった。そんなこともないんだ。ダメな痛みと正しい痛みを区別できる気がしない。

<文化の話>
たまごまごごはんたまごまごさんのレビューが見事すぎて、「よつばと!」と「みつどもえ」と「マイマイ新子」が気になっている。だけども昨日は中村恵里加の新刊「ぐらシャチ」を買ったし、今日はブギーポップの新刊を買った。脳内の漫画小説アニメフォルダはいっぱいだ。

<プロの話>
・記念品のシャーペンと自転車のチェーンの調子が急激に悪くなって、なんだいこのやろうと思っていたが、文具屋と自転車屋に行ったら一瞬で解決して感動した。神がいた。やおよろず。

<飲食の話>
・ガストのドリンクバーはココアとミニッツメイドがあるのが素敵だ。ある種の作業をするときは糖分の摂取が必要不可欠ですじょ。コーヒーばっかじゃ錆び付いちゃう。サイゼリヤにはどちらもなかった残念。

<紺野の話>
・紺野あさ美がテレ東に内々定したというニュースを聞いてものすごく喜ぶ。5年間テレビの映らない生活をしていて、テレビなんてもういらないやと思っていたけど、それは撤回しなければならないようだ。来年度までにHDDレコーダーを買って、アンテナ?を通さねば。ねば!
というくらい紺野あさ美が好きだったのでした。だいじょぶです!
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 1205

療育の活動後に菩薩と飲む。
彼の話がおもしろいのは、おそらく彼が自分で大切にしているであろう信念や、彼の中で産まれ育ち続けているであろうニクニクとした閃きを、わかりにくいまま言葉にしたり、それを伝わりやすいように言い換えたり言葉を補ったり、ということを僕にしてくれることがとても大きいのだと思う。話の中身に対する僕の関心の強さの程度問題もあるんだろうが、人間ひとりの人生が詰まっているそういう話がつまらないことなどそうそうないんじゃないかと、知った風な口を利きたくなる。ひとりの人について、ものすごく素敵なところを見つけてしまったら、他にどれだけ嫌なところがあっても、全体として関心を失うことはそうできないんじゃないかと思う。
彼の話は多岐に渡っていて、その中には僕の価値観を基準にするととても気持ち悪い距離にあるようなことも含まれていた。たとえば心理のスタイルとか、心理と福祉の違いとかは、僕が訊いたのだがすごく難しい話題だった。それについて考えることは非常に不快感を伴うし消耗することなのだけど、ぜひやってみたい。

感じることも含めた、精神的作業の効率をよくするための方法を見つけたいな。
それは心理臨床にも、研究にも、演劇にも、仕事にも、生活にも、その他エックスにも繋がるものだ。

電車の中で、なぜか「男は新規フォルダ、女は上書きの法則」について考えていた。そこで男と呼ばれている人たちは、過去の自分を今の自分に引き付けて、同一視する傾向があるんではないか。幽霊を取りこんで、ひとつにまとまろうとするんでないか。逆にそこで女と呼ばれている人たちは、過去の自分とある程度の隙間を保とうとするのではないか。幽霊よりもイマココの感性をきっちり優先させるのではないか。そして過去と今の自分なんてきっと部分的に同じで部分的に違うから、焦点がどこに合いやすいかという問題なのかもなとも思ったが、それは一段飛ばしすぎてるのかもしれないとも思う。
そしてこんなこと考えるよりももっと先にやることがあることだけは明らかだ。
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 1205: コンタクト

「自分の人生を自分で背負う」ということをなんとかやってみたくてそのための準備を試みているのだが、なかなかうまく行かず、混乱したり落ち込んだりすることが最近多い。芝居の座組みとか内定者の集いの中で居心地の悪さを感じて、自分が居心地よく居られる範囲がものすごく狭いんじゃないかということに今さら気付く。
体力も精神力もコミュニケーション力も無いのに野望だけはいっちょ前なのだ。生きるのは難しく、生きるのは難しい。世界は美しいのに、触れられ、ない。なにもせずにぼうっとしている時間が長くなってきている。何気ない町の言葉がナイフのように私をぬるっと切り開いて解体してしまう。
まだなんとかもちこたえていると自分では思っていて、そしてこれからもなんとかもちこたえたいと思っている。

心配されたいわけじゃない。呆れられたいわけでもないが、呆れられても仕方がない。そのくせこんなことを書くのはなぜかというと、たぶん心配してほしいんじゃなくて、呆れてほしいんじゃなくて、見守っていてほしいのだ。とってもエゴい考えだが、こうやって言い訳するあたりが余計にエゴいのだが、私は誰かになにもせず見守っていてほしいのだ私はきっとたぶん。
わたしはがんばるに近いなにかをするつもりだ。がんばりはしないのだが、がんばるという意味に含まれる幾分かをそぎ落とした残りの幾分かをするつもりだ。わたし、がんばァるよ。

飽和しないと、次に行けないような類のものがあるな。うん。


・・・という、久々に恥っずかしい記事を書いてしまいましたよ。

え?恥ずかしいのはいつも?
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 1202b: 心理学の論文のテーマ

ナイーブな心理学専攻の学生が選ぶ論文のテーマというものは、本人にとって、「見えるけど触れないもの」か、「触れるけど見えないもの」のどちらかなのではないか。私にとって修論のテーマの喫煙行動は「見えるけど触れないもの」で、卒論のテーマの嗅覚は「触れるけど見えないもの」だったのでは。
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