戯言ヲトメツバキ(完)
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1023: 脳蕩れ2
・僕は、岡本の前ではあまり言えなかったが「ハチミツとクローバー」が好きで、志波くんには黙ってたが「こどものおもちゃ」が好きで、そしてわんこやにゃんこの可愛さがいまひとつわからない。
・正常というのは「正常のふりができること」だという誰かの定義を結構気に入っているのだけど、外側を適合させると内側が混乱したりすることがあるから困る。わかっているのに外側を適合させないのは、無能力かもしれないけど、それをやっちゃうことで別のものを失うのが怖いからかもしれなくて、それは傍から見えづらいけど外側の適合と同様、いやそれ以上に尊重すべきだと思う。このように外側と内側の適合は尻尾が繋がっているのだが、必ずしもトレードオフなのではなく、外側の適合を整えることで内側の適合を促すこともできる。わたしが生産できるものは過去に消費したものでしかないならば、わたしが消費できるものも過去に生産したものでしかない。
・焦ることにはたくさんよくないことがついてくるが、焦らないことにもよくないことがついてくる。どちらにせよ1つの状態から動けずにがんじがらめのまま消耗しているのならば同様によろしくない。一番大事なことは言葉にはしづらくて、だからその不十分さを飲み込まないと「自由」という言葉は使えない。楽園なんてないことを本当に受け入れなければ、それでも人生の手綱を放さない覚悟を持たなければ、いつまでも視界は曇ったままだなぁ。
・こういう抽象的な言葉ってのは、固定させるための、つまり先延ばしのための方便にすぎないんかなあ。切れてる感じはしないからなあ。ああでもわかりにくい言葉を書くことで、わかりにくい文章の書き手に共感するヒントが見つかるかもしれないぞ。話を聞いたり本を読んだりするとき、「お客様」になっちゃうと、わかりづらい言葉に対しては腹が立つだけで得るものが少ないからな。
1021: 脳蕩れ
・脳みそが溶けて耳から出てくる話のソースは多分藤崎竜の耳からチーズが垂れる話。
・昨晩ロッキーホラーショーを見たらその夜生首を抱えて逃げる夢を見た。
・コートの真下でお香を焚いてたらコートが臭くなった。過ぎたるはなお及ばざるがごとしの「なお」ってどういう意味だ。
・筋肉痛の部位を揉んでたら体が火照ってきた。風邪じゃないよな。食事は気をつけてしっかり食べている。
・好きって感情はどうよ。その感情を行動にするのはどうよ。感謝、尊敬、好奇心、絆、恋愛感情。
1019: 合掌、チーン
毎日更新もたぶん終了。ガスが欠りました。
僕らの中には幾匹もの怪獣がいて、そいつらは「尻尾が繋がって」いる。
新しい何かがオンになると、陰でいつものなにかがオフになる。
私が新規なものに出会ったときのネガティブな反応、裏・定位反応を把握したい。
対処法までわかっていれば、もうちょっと新しいものを恐れないでいられそうだから。
1018
早めに行って隅田川沿いにぶらぶらする(そういや名古屋でも川下りしたな。わたしこういうのすきなんだ)。川の近くは空気、というか、音の響き方が独特な気がする。車の音もいつもより不快じゃない。風の音は耳に優しい。
無機物と比べて人間と関わるのははるかに劇薬だ。主宰の方が喋る言葉、伝えようとしているもの(劇団・公演・WS・活動のコンセプト等々)、そして立ち振舞い・ありさま。他の参加者の方々との関わり。空気を創る人。盗めというなら盗んだれ。わたしのやっちまう癖にも少しだけ気づきがあった。
ワークショップはおもしれえ。
ひとつだけ書いてみると、わたしは自分が発した言葉によって、相手にどんな反応が生じたかについて気にしない癖がある(もすこし厳密に言うと、非言語的な情報=表情などから反応を読み取ろうとしない)。どこぞの演出家はそれを役者に望むものとして挙げていたが、僕は個人の会話スタイルを特徴付ける1つの要素だと見たい(結局同じことだとは思うが)。院の先輩とカウンセリングの練習をしたとき、話を聞くモードと伝え返しをするモードが分離してしまったのと通ずる気がする。だから僕は、自分が例外的にそれができている場面を探したり、話しながら相手の反応にアンテナを立てられてる人を観察してどうやっているのかを見て学んだりしよう。
1017: 黄金のかけら
近所のスーパーのレジの店員さん(目視で40~50代女性)の声が、ラジオで交通渋滞の情報を喋る人みたいな透き通って落ち着いた声だった。僕はそのとき食パンとモヤシとブナシメジと納豆を買っていた。
療育ボランティアに行く。楽しくて疲れて色々なことを考えて色々喋る。一般的に言って「浮かれている」状態、ある福祉施設では「調子が高い」と形容され、精神医学の用語を借りれば「軽躁」と呼ばれる状態になることが最近多い。今まで僕が浮かれるときは、行動力は上がるが思慮は失われ、コントロール喪失感やチリチリした怒り感情に満ちている、あんまり快適とは言えない状態Aか、内的世界で快楽の回路が循環し、外から見ればむしろ昏迷に近いような状態Bのどちらかになることが殆どだったと思うのだが、最近のこの浮かれ気分はまたそれらとは違うような気がする。冷静と情熱と言うには冷静も情熱も強度が足りなさ過ぎるとは思うが、冷静と情熱に至る可能性を秘める状態、あるいは冷静の曾孫と情熱の孫くらいの期待は背負っている気がする。くるくる回る、わたしの回路。