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 0922

・できること、できないこと
・今はできないこと、できるようになりたいこと
・今はできないけどできるようになりたいので練習すること
・人前で練習すること、こっそり練習すること
・人前でないと練習できないこと
・人前といってもいろいろ
・練習を人に見られて感じること、恥ずかしさとか、励まされるとか
・人の練習を見て感じること、頑張ってるなとか、頑張れとか
・人の練習を見てる人の視点のスイッチ、観客とか、親とか

2日学会行ったら疲れたので、3日目は半休にした。
人と話すのは楽しいのに苦しくて、別れたあとにむなしくなるというのは、
運動をしたあとに筋肉痛になるのになんだか似てやしないかしら。
普段あんまり運動してないから筋肉痛が長引くのであって、
普段あんまり人と話さないから、むなしさが長引くんじゃないかしら。
という強引な仮説をでっちあげた。どうやったら確かめられるかな。
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 0920

字面の点で、覚書よりは備忘録の方がまだ好きな言葉だが、
いずれも音がゴツすぎる。濁点が多い。もっとしなやかな言葉はないか。
メモリーなんちゃら的な。そしてできれば日本語で。
話を戻すと、これは完全に備忘録。

日本心理臨床学会という、バカ多い会員数を誇る国内心理系最大の学会が
20~22日に東京国際フォーラムで大会を開くってんで、覗いてきました。

○覗いたものリスト
ポスター発表「路上生活者の心理的援助とその課題」(吉住隆弘先生)
事例研究「公共職業安定所における精神障害者就労支援・面接の一考察」(太田幸治先生)
基礎・調査研究「青年期の各学校段階における抑うつの検討」(吉澤しのぶ先生)
出版社コーナー
シンポジウム「スクールカウンセラー事業の更なる発展を目指して-地方の時代の視点から-」
シンポジウム「初学者のためのブリーフセラピー」

来年度の仕事を意識して就労押さえつつ、知人、教育領域、注目する療法とバランスよく。
去年一昨年と比べると、結構アタリが多くて有意義だったな。
(近頃に珍しく俺が浮かれているのはたぶんその証拠)
うまい参加のしかたがなんとなく分かってきたという要素も若干あるんだろうな。

明日はマイクロカウンセリングの創始者の講演があって、一般の人でも聞けるらしいんだけど、
学会員でもない人たちにその情報がどうやって伝わりえるのか、はなはだ疑問。

講演「マイクロカウンセリングの今日と今後」(Allen E. Ivey)
9月21日(月) 13:00~15:00 東京国際フォーラムホールC

あとはてなサービスをコペコペいじっている。
カテゴリ別記事一覧機能がついてるブログが欲しかったんだよね。
カムヰWebやひょっとこWebの後回しになって完全放置中の有人サテライについては
一ヶ月遅れくらいで、ブログ形式になって更新を始めようとか企んでいるが、果たして。
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 0919b

勤務先の社員さんに誘って貰ってバスケを久しぶりにやった。
部活をやめてから10年、大学の体育でやっていた頃からも7年。
自分がなんで練習好きだけどゲームが苦手だったのかということについて、
当時よりは少しばかり言語化することができる。
人間の体をこんな風に使えるのだということを、すっかり忘れていた。
そしてすごいことやってたんだな、中学生の俺。

資格試験対策の勉強、今はロールシャッハテストの範囲をやっている。
仕事の同僚のやはり院卒の人は、「仕事の合間に時間を作ってやるものだ」と
言っていたが、僕はどうにもコミットせずにこれに取り組む方法が分からない。
まとめた資料をブラッシュアップしていくことが大事なのだとわかった。
一過性のものじゃなくて、一生使えるノートを作りたいなあ。

最近コンタクトをつける機会が何回かあった。
わたしって、こんなカオしてたんだ。
自分の顔は、格好良いとは思わないが、10段階で1.1くらい好きだ。
こういうナルシスは、俺にとってはちょと大事。
髪の毛をずっと立たせる方法は、長年分からないままだ。
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 0919

金曜日は勤務先の運動会だった。

  チョムスキーという心理言語学者がいて、言語は分節だとかうんぬん言っているらしい。(チョムスキーは勉強したいと思いつつ、長らくできてないことのひとつ。)例えば日本人やアメリカ人は虹を七色として名前をつけているけれど、場所を変えればそうとも限らない。世の中には虹が五色とか二色で表されてる地域があって、そこの人たちには虹は五色や二色に見えている。同じものを見ているのに。つまり、元々の見えている世界は同じだとしても、その見方が違うと見えているものが違う、とかいう話。

  このニワカすぎる知識を種にして、生きることと繋げてみる。生きる中で大事なことのひとつに、「自分の分節の仕方を変える」ことがあるのだと思う。
  同じものとして認識していたものの中に、実は異質なものがごっちゃになっていると知る。そしてそれらを感覚で弁別できるようになって、適当な新しいラベルをつけてやる。生存にとって重要なものは、大事なものと大事でないものを弁別することで、それの簡便法として、「いい意味で」という言葉が開発されたのだと僕は思っている。本気で喜んでいるのと、喜んでいる振りとを区別する、みたいな。
ってのがひとつ。
(それと反対に、まったく別々になっているもの同士を繋げることも大事。たとえば自分が経験からひねり出した法則を、他人の言葉で裏を取る、みたいな作業。)

そして、だらだらととりとめなく「これって大事じゃないか」シリーズ。
締め切りの近い仕事が沢山あるので、空想全部吐き出して仕事に集中するための準備。

  出来事自体と、それが持つ機能というのは、実はあまり関係がないものだ。人間と、その役割という例を挙げても構わないが、必然的なものももちろんあるのだが、全体からすれば多くはないだろう。
  強く否定的な出来事は、それを体験したその人のその後の人生に大きく影響を与える。出来事自体をなかったことにすることはどうしてもできないので、人はその代わりに色々なことによってその代わりをしようとする。そしてそのバランスの取り方のよくあるパターンは、「出来事によって生じた損失を出来事を種にして利益を生み出す」というものだ。それはとても連鎖的で、ストーリー的で、アイデンティティを強化するものなのだろうな。
  私はそれがなかなかできなくて、それができる人をうらやましいと思っているが、一方でそれに巻き込まれることを強く恐れている。

また別の話。
  感じること、細かく感じること、感じたことを表出すること。そして、その感じがなに由来か、刺激のなにに、私のなにが響いたのか。そこまで分かるようになりたい。
  たとえば、芝居を見たときに、私がどんな心身状態でそれを見て、どんなところに注目をしているのかについて、自覚的でありたい。そしてその芝居がどんなところに力を入れていて、どんなところは適当にしていたのか、ということも見つけたい。それによって、私がそういう感想を持つに至った仕組みを見つけたい。更に言えば、観劇後に出演者と少し話したことは、あとから感想にどのような修正を与えたのか。そんなことまでわかるようになりたい。
  感想を書くときに、「この作品を面白いと思った」の前に、「私がこんなだから」ということを書きたい。

私信。
妹の友人がこのブログを見つけたと妹から聞いたのですが、その友人さんはできたら妹にブログ名とかさらさないでもらえるとうれしいです。
身内に読まれるのは、これはとてもちょうあのほんと恥ずかしい。
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 渚のシンドバッド

ぐるりのこと。がとても面白かったので、同じ監督の前の作品を借りた。

15年も前の作品で、絵柄も一昔前という感じだったので油断してたが、
内臓がものすごく複雑になった。
特別なことなどやってないように見えるのに、一言一言が重く響く。
すげえ。
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