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 0907: ムートン。ムートン。ムートン。ムートン。

優しさもお金も筋力も、余暇の関数だから、
余裕が無くなると、大抵は減っていく。
優しさを評価するときには、偏回帰係数を出すときみたいに、剰余変数の影響を抜いてからにしておくれ。

で、やさしさってなんだ?

「個人的な思いが強すぎて、」って、なんだ?
そんなもんあんのか?


子どもはなまらかわいい。が、どう指導したらいいのかわからん。
仕事はすげえ楽しいので、しかもお金を貰っているので、僕はもっと熱量を上げて、価値を生み出さねばならない。ヒントは保育の本?ヴィゴツキー?図書館サーチ。具体的なモチベーションがあると、本もだいぶ読みやすいだろうな。

たとえばブックオフの本を平気で買えるというのにも、ある種の鈍感さが必要となる。あそこを通過した類の本に接触すると、気持ち悪くなったりアレルギーになったりする人はいる。それは相対的に敏感ということ。

春雨を戻さずに硬いまま食べるなんていう、心がすさむようなマネをしていたら、ホチキスの針が混入していてまじびびった。
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 0906

水曜日は国分寺大人倶楽部「グロテスク」を観た。
脚本の構造がシンプルで、ストーリーがとても見やすかった。
あの雰囲気を作るのは、演出家が酷く繊細な感性なんだろなと思った。
舞台設定(特殊な学習塾)がとっても自分好みだった。

金曜日はカムヰヤッセン「トラベリング・オン・ザ・シャーレ」を観た。
個人的な思いが強すぎて、作品について書ける気がしない。

日曜日はポかリン記憶舎のワークショップに参加した。
前半の体の状態を作っていく作業は、意識が少し広がって楽しかった。
後半の戯曲を使ってシーンを成立させていく作業は、難しかった。
普段の生き方が表れる。

変化するということ、力動的なものに、最近とても興味がある。
(また抽象的なことを言いやがる)
変わることの変わり方。変わらないことのありかた。
変わることの機能。変わらないことの機能。
演劇というものは、観る人によって見えるものが異なる要素が強い媒体だと思う。
同じものを提示しても、そこに感性のある人が観れば明確な何かを感じたり、それを提示する技術に感心したりするが、別の人はそれに対してなんとなくもやもやした感じを受け取るに留まるかもしれないし、また別の人はまったくそれに気づかないかもしれない。
感性だけでなく欲求にも大きく影響されるだろう。演劇は一度に提示される情報量が多いので、必然的に選択的知覚が生じる。人は見やすいものを見るだけでなく、見たいものを見る。
まず第1段階として、そういうことに敏感になりたい。このあたりが心理測定学の理論と繋がってくる、というのは脱線だから置いといて。どういう生き方をしてきたどんな人がこの芝居を観たら、どんなものを受け取るのだろう?不確定要素である観客まで含めた領域で芝居を成立させること。
僕がなんとなく思うのは、芝居はお金を払えば誰でも見ることができるけど、つまり観客が作品を選んでいるようだけど、その一方で、作品も明らかに観客を選んでいるということ。だから棲み分けが生じる。
第2段階として、それを超越したい。超越なんて言葉はあまりにも大きな言葉すぎて使うのが恐れ多い。飛び越える、とか、はみだす、とかいう言葉を使った方が近いかもしれない。ある観客がある枠組みを持っていたとして、芝居を見終わったときにその枠組みがちょっとだけ変化する、そしてそれに気づくような、そんな芝居。演劇にはそんな力があると思う。演劇、演劇、いや?肥大でない形の変化。腹の中にしこりを産みつけるような芝居。なんのこっちゃ。
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 0905

ここ1週間くらいの不調は、要するにヒステリックになっていたのだと今思った。意識の前景を気分が占めて、事実や思考は後景に退き、気分に使われる。些細なことが気になって、それを伝えられないもどかしさと、それを察してくれない周りの人に苛立ちを感じる。当然気分は不安定。右足と左足が絡まるみたく、まとまった行動ができない。
今もまだ抜け出てはいない、と思う。ただその性質にも波があって、今この時間においてはその性質が弱まっていて、だからこんな可能性に思い当たったのかもしれない。フリンジ。抜け出るにはまだ壁があるが、外となにかをやり取りすることは、できなくもない。ような気がする。
整調のためになにができるか。僕は思考が肥大して感情が未熟だが、こういう時に頼りになるのは身体感覚な気がする。ゼロになる体。食べ物・栄養・内臓、風呂・柔軟・外周・筋肉と骨、睡眠・糖分・脳、風通し・におい・呼吸・循環、自律神経、1ヶ月の周期。振り回されるのをきっと楽しめるようになれる。
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 0904

調子が戻らない。
つっても本調子なんてものがあったのかさえそもそも怪しいのだけど、でもやはり不全感が付きまとう。
いろいろな活動を恣意的に内省(一人称)・関係(二人称)・役割(三人称)に分けて考えてみる。最も減衰が少ないのが内省で、でもこれはマッチポンプなところがあるのでチェックが働いてないだけで、実際はぐでぐでなのかもしれない。役割はひとつの作業に時間がえらくかかりつつも、それでもまだ動いている。ひどいのが関係の活動だ。相対的なものに対しての見通しがまったく立たなくて、未知への恐怖とハードルの高さ感覚がものごっつい。あいさつとか、反射で動ける分ならまだしも、ちょっと心を使おうと思うとすぐにハングアップしてしまう。二人称がぽっかり空白で、ドーナツのような認知地図が脳内に浮かんでいる。
大切にしたいと思うことを少し大切にできてきたような気がしたのに、実はそれはパイが増えたのではなくて僕の内部でパイが移動しただけであって、別のどこかでパイが減っていたんだろうか。周りには素敵な友人や素敵な人たちが溢れているのに、僕はチッソクしそうになっている。
言葉のバリエーションが少なくなっていて、ぴったりする言葉を見つけられずに、近いけれどズレている言葉と結びつけてしまうから、その差分が違和感として残って三半規管が侵される。油断するとすぐに頭だけで考えてしまっていることに気づく。差分はずっと大きくなっている。

こんなふうに中身の弱音をブログに書いて形にして吐き出して、ちょっとそこから距離を取るというやり方をするから、ブログにはこないウツウツとした文章が溜まっていく。僕にとってのブログが二人称よりも三人称よりも、まず一人称としての活動になっているなによりの証拠じゃい。楽しいときは浮かれた文章を鼻息荒く書き、しんどいときは断片的だったり長苦しかったりする文章を急かされるように書く。そういうものが最善だと思っているわけでは決してないが、やり方を変えるにしても、今のやり方を踏まえた上で変えられるものを探していくのでなければ、長くは続かないだろう。僕が見えるものはこのくらい。
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僕がWeb制作で参加している劇団が、今日から本番を迎えます。

カムヰヤッセン第4回公演 「トラベリング・オン・ザ・シャーレ」
脚本・演出:北川大輔
2009年9月2日(水)~6日(日)
@池袋シアターグリーンBASE THEATER
前売1800円 当日2000円 (平日昼間1500円)

とりあえず、顕微鏡と望遠鏡を武器にして
シャーレに乗って、遠く遠くを眺めてみよう。
ミクロな世界の、マクロな時間を描いてみる。
 
そんな話。

だそうです。
今日明日の前売チケットは既に完売したらしいです。
客席70程度の小さな劇場で、出演者が18人もいることを踏まえても、
なかなか盛況しているんじゃないですかね。

僕は金曜の夜に本番を観に行くつもりです。
既に台本読んだり、通しやゲネを観ているので内容は知っているのですが、
それ以上のものが観られるのかどうなのか、お客さん気分で期待してます。

⇒公演の詳細が気になった方はこちら
⇒すぐさまチケットを予約しようと思った方はこちら
⇒出演者がどんな面子か気になった方はこちらこちら
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