戯言ヲトメツバキ(完)
言葉にならないものを、少しでも言葉にしようとしていました。
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0805
昨日書いた記事の視野の狭さにおどろくやらあきれるやら。
でも、走り出したものは、僕の奥歯をガタガタ言わせながら、まだ数日は走るでしょう。
そのあとはどうなることやら。
昨日はカムヰの稽古を覗きにいった。今日は火男のWeb会議。
演劇の話、俳優の、脚本の、演出の話は、やはり心を揺さぶられる。
わくわくするし、どきどきするし、うずうずする。
うらやましいし、あこがれる。
芝居がやりたくなる。
この感情をスタート地点にして、探索をしよう。
この感情はどこからきて、どこへ向かうのか、見極めて。
具体的な点に到着するんだよ。
でも、走り出したものは、僕の奥歯をガタガタ言わせながら、まだ数日は走るでしょう。
そのあとはどうなることやら。
昨日はカムヰの稽古を覗きにいった。今日は火男のWeb会議。
演劇の話、俳優の、脚本の、演出の話は、やはり心を揺さぶられる。
わくわくするし、どきどきするし、うずうずする。
うらやましいし、あこがれる。
芝居がやりたくなる。
この感情をスタート地点にして、探索をしよう。
この感情はどこからきて、どこへ向かうのか、見極めて。
具体的な点に到着するんだよ。
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0804b: フラットに生きることは
無勉で試験を受けたような感じ。
できないことは、努力せねば、できるようにはならないのだ。
このことは、どうしても僕が変わらなければ、ならなかったのだ。
弱い心は、これを外に掻き出して、安心しようとする。
させてなるもんか畜生。
この物語には、
「
人生は、いつなにが起きるかわからんのだから、
やるべきことがあるなら、後回しにせず普段からやっておきなさい
」
という教訓が含まれています。
いやいや。
真剣に生きるということは、
それこそ二十四時間を真剣に生きるということで、それ以外ではありえない。
・・・、これ全部反省っていうか、全部負け惜しみだな。
変わるための理由と、変わらないための言い訳は、形は似てても中身は全然違う。
そうでは、なくて。
そうではなくて。
「やりたいことなどではなく、やったことが大事」っていうのは、こういうことかしら。
一番くやしかったのは、一期一会を生かせなかったこと。
話を実際に聞くと、僕の抱いてたイメージがばんばか修正される。
この間違ったイメージはどっから来てたんだと思うくらい。
腹のそこが、どろどろする。
「好きな人がくれる哀しみは、きれいな青色をしている」(山田ズーニー)
だって。
できないことは、努力せねば、できるようにはならないのだ。
このことは、どうしても僕が変わらなければ、ならなかったのだ。
弱い心は、これを外に掻き出して、安心しようとする。
させてなるもんか畜生。
この物語には、
「
人生は、いつなにが起きるかわからんのだから、
やるべきことがあるなら、後回しにせず普段からやっておきなさい
」
という教訓が含まれています。
いやいや。
真剣に生きるということは、
それこそ二十四時間を真剣に生きるということで、それ以外ではありえない。
・・・、これ全部反省っていうか、全部負け惜しみだな。
変わるための理由と、変わらないための言い訳は、形は似てても中身は全然違う。
そうでは、なくて。
そうではなくて。
「やりたいことなどではなく、やったことが大事」っていうのは、こういうことかしら。
一番くやしかったのは、一期一会を生かせなかったこと。
話を実際に聞くと、僕の抱いてたイメージがばんばか修正される。
この間違ったイメージはどっから来てたんだと思うくらい。
腹のそこが、どろどろする。
「好きな人がくれる哀しみは、きれいな青色をしている」(山田ズーニー)
だって。
0804
1.水を掻き出す作業
システムをメンテナンスするためには、そこからの逸脱を引き起こすあらゆる変化に対して、それを打ち消すような作業を常に行い続けねばならない。ホメオスタシスのための、負のフィードバックというやつだ。
2.システムの共振性
システムのどこか一部分で、そこの資源で処理しきれないような状態が発生した場合、他の資源が応援に回ることで、連鎖的に別の場所でも資源が足りなくなり、どんどん問題が大きくなってしまうようなことがある。それを防いでいるのが、同一システム内の障壁だ。障壁はシステム内部のやり取りに制限を生じさせ、あたかも別々の2つのシステムが働いているようにする。それによってプライベートの問題が仕事に影響することを防げる。
3.ぼくは当たり前のことしか言わないし、それに、間違っていることしか言わない
飛ぶための羽が足りない。跳ぶための足が足りない。
でも
足りないものなどなにひとつない。
ぼくたちは どこへだって行けるし、なにものにだって なれるのです。
システムをメンテナンスするためには、そこからの逸脱を引き起こすあらゆる変化に対して、それを打ち消すような作業を常に行い続けねばならない。ホメオスタシスのための、負のフィードバックというやつだ。
2.システムの共振性
システムのどこか一部分で、そこの資源で処理しきれないような状態が発生した場合、他の資源が応援に回ることで、連鎖的に別の場所でも資源が足りなくなり、どんどん問題が大きくなってしまうようなことがある。それを防いでいるのが、同一システム内の障壁だ。障壁はシステム内部のやり取りに制限を生じさせ、あたかも別々の2つのシステムが働いているようにする。それによってプライベートの問題が仕事に影響することを防げる。
3.ぼくは当たり前のことしか言わないし、それに、間違っていることしか言わない
飛ぶための羽が足りない。跳ぶための足が足りない。
でも
足りないものなどなにひとつない。
ぼくたちは どこへだって行けるし、なにものにだって なれるのです。
0802
常識という言葉がしばしば使われる文脈として、「備えていることが期待される知識・能力・態度のパッケージ」というものがある。常識を期待するというのは、これらを備えていることを前提に物事を組み立てて、これらが不足していることは本人(ないし保護者・教育者)に責があると考える態度だ。
この考え方ってとても便利で、とても世界をシンプリファイしている。
新しい物事に臨むとき、完全にまっさらな状態で臨むことなどできないと思う。
厳密に言えば、できたとしても、それはその人の生き様を反映した「まっさら」であり、他の人の「まっさら」とは異なっていてもおかしくない。
という話はやや脱線気味なので置いといて、
だから、
新しい物事に臨むとき、自分なりのベースラインを持つことは大事だと思う。
ただし、外界と交渉をしていくうちに、新たな情報が溜まってきたのであれば、スタート地点に固執することは、もはや得策ではない場合が多い。
相手の常識パッケージの中のいくつかのパーツを期待するのが難しいときは、それでも2人(ないし集団)で生産的な活動が行える期待を高めるために、「補うための手段」を考えて実行することが重要だ。
その手段は、足りない側から提案することもできる。
ある人の「足りなさ」は、自分が一番知っていることもあるし、外からの方がよく見えることもある。
自分が一番知っていることを、他人に指摘されるまで黙っておくと、色々な過程が遅くなる。
大事なのは、補う手段は常に2人の間(ないし集団の中)にあると考えることだ。
個人に責任を閉じ込めておくのは、「足りない」人が足りなさを自覚して、補う手段を考えて、実行するという、閉鎖的な条件でしか成立しない。
局所的にそれが有効な場面は少なくないが、すべてをその仕組みで回そうというのは、現実からの乖離が大きすぎる。
常識から外れていることを欠陥として切り捨てるのではなくて、それがたとえ制約になったとしても、、常に全体の最善の利益が果たせることを目標に置き、個々の問題について話し合い、同盟意識を強めながら相補的に役を果たす。
どうしたらそんな関係を他人と築けるだろうか。
たぶん、異なる個人同士が、たとえ一時的にしろ、「ひとつのシステムの要素同士」となるために、触媒としての「共有できるもの」が必要になるのではないか。
そして更にその前提として、私が「私システム」のみによって動くのではなく、そこから離れて「私以外のシステム」の中で動けることが必要となる。
社会人にとっては当たり前に身に付けていることかもしれないが、僕に限って言えば、この意識を持つのはひとつのハードルだ。
とても面倒臭いことだし、リスクだってかなり高いことだということは容易に想像がつく。
それだけに、初期段階でこのシステムのメリットを実感できるかどうかが鍵ではないか。
・・・・・・
うーん、ごちゃごちゃする。下書き保存。
この考え方ってとても便利で、とても世界をシンプリファイしている。
新しい物事に臨むとき、完全にまっさらな状態で臨むことなどできないと思う。
厳密に言えば、できたとしても、それはその人の生き様を反映した「まっさら」であり、他の人の「まっさら」とは異なっていてもおかしくない。
という話はやや脱線気味なので置いといて、
だから、
新しい物事に臨むとき、自分なりのベースラインを持つことは大事だと思う。
ただし、外界と交渉をしていくうちに、新たな情報が溜まってきたのであれば、スタート地点に固執することは、もはや得策ではない場合が多い。
相手の常識パッケージの中のいくつかのパーツを期待するのが難しいときは、それでも2人(ないし集団)で生産的な活動が行える期待を高めるために、「補うための手段」を考えて実行することが重要だ。
その手段は、足りない側から提案することもできる。
ある人の「足りなさ」は、自分が一番知っていることもあるし、外からの方がよく見えることもある。
自分が一番知っていることを、他人に指摘されるまで黙っておくと、色々な過程が遅くなる。
大事なのは、補う手段は常に2人の間(ないし集団の中)にあると考えることだ。
個人に責任を閉じ込めておくのは、「足りない」人が足りなさを自覚して、補う手段を考えて、実行するという、閉鎖的な条件でしか成立しない。
局所的にそれが有効な場面は少なくないが、すべてをその仕組みで回そうというのは、現実からの乖離が大きすぎる。
常識から外れていることを欠陥として切り捨てるのではなくて、それがたとえ制約になったとしても、、常に全体の最善の利益が果たせることを目標に置き、個々の問題について話し合い、同盟意識を強めながら相補的に役を果たす。
どうしたらそんな関係を他人と築けるだろうか。
たぶん、異なる個人同士が、たとえ一時的にしろ、「ひとつのシステムの要素同士」となるために、触媒としての「共有できるもの」が必要になるのではないか。
そして更にその前提として、私が「私システム」のみによって動くのではなく、そこから離れて「私以外のシステム」の中で動けることが必要となる。
社会人にとっては当たり前に身に付けていることかもしれないが、僕に限って言えば、この意識を持つのはひとつのハードルだ。
とても面倒臭いことだし、リスクだってかなり高いことだということは容易に想像がつく。
それだけに、初期段階でこのシステムのメリットを実感できるかどうかが鍵ではないか。
・・・・・・
うーん、ごちゃごちゃする。下書き保存。
0801
表面的なところで反応しないように気をつけるが、なかなかできない。
積み重ねるためには、一段深いところで今を生きなきゃいけないんだ。
6週間のうちの2週間が経った。
まだまだがんばらにゃー。
積み重ねるためには、一段深いところで今を生きなきゃいけないんだ。
6週間のうちの2週間が経った。
まだまだがんばらにゃー。