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 いんふらすとらく茶

・今年の花見のとき、空海丸さん(PN)という知り合いが握り寿司を作ろうとして魚の切り身とご飯を買っていたのを見て衝撃を受けた。ちらし寿司や手巻き寿司はともかく、握り寿司というものは店で買って食べるものであって、作るのは自分とはどこか遠くにいる寿司職人やパートのおばちゃんだと認識していたからだ。あーそうか。わたしは別に寿司を握りたかったら握っても構わないんだなぁ。

・大学院でお世話になった先生が、授業で使っていた「遊戯療法」というテキストについて、「毎年読んでいるのだが、そのたびに発見がある」と言っていたことが、次第に自分の中で大きな意味を持つようになってきた。字引きのようなものでなくても、同じ本を何度も読んで構わないし、そのたびに新しい発見があるかもしれないんだ。これは、「本は読む人によってまったく異なる経験を与える」というわたしの持論と相性が良い。

・中学のときの友達(だとわたしが思っていた人)がおもむろにくれた葉書サイズの透明なアクリル板に、「わたしたちは どこへだっていけるし なにものにだってなれるのです」という言葉が書いてあった。わたしが少しずつ変わっていくごとに、照明の当て方を変えるようにこの言葉の意味も少しずつ違って受け止めるようになってきた。

・西尾佳織さんというお芝居を一緒に何度かやらせて頂いた方がしばらく前にブログで書いていたことを読んで、とてもその通りだなぁと思った。制限が多く、メンテナンスをするかどうかで動き方のだいぶ変わってくる体でもって進んで行くしかないというくだりのところ。

・家庭教師を長いことやっていた。ほとんどは、年少の子相手に数や図形のことばかり教えていた。ふと、それはわたしが感情をやり取りできないことの補償だったのではないかということを思いついた。
なぜそうなったかはわからないが、わたしには、「自分の考えや気持ちが相手に伝わったり、相手と共有すること」についての諦めが強くあって、単なる自己中心性からくる他人を慮らない性質をさらに強めている。
わたしが他人とやり取りできるのは数字のような客観的なことに閉じ込められていて、ふわふわとかごうごうとかいうものはわたしの能力を越えている。ときどきエスパーのような人もいるのだが、そういうときにわたしといったら寒気のような恐ろしさを感じてしまったりする。
それが今までのわたし。いまのわたし。ほいで。

ようやっとネットが開通した記念に、すこし長い記事を書きました。生活のことを考える時間が多くて、がまんすることや、快適さを求めることについて、体験しながら考えています。肉体のコントロールと、見えのコントロールが最低限できるようになりたい。重点事項は、背筋を伸ばし続けることと、居眠りをしないで一日を終えること。うまずたゆまず。
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