戯言ヲトメツバキ(完)
言葉にならないものを、少しでも言葉にしようとしていました。
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0731b
「分かりやすい文章を書け」という洗脳とディケンズ「信号手」(発想コロコロ術7)
「反復する事象において、結果は原因に影響しうる。」
オペラント条件付けの理論からは、そんな命題が演繹的に導けると思うのだけど、米光さんが言いたいことは、これを補助線として使うと少し「ワカリヤスク」なるんじゃないか。
つまり、元来「文章をわかりやすくする」ことが求められるのは、その方が便利なことが多いという、純粋に機能的な理由だったはずなのだが、それがエスカレートすることによって、「なにがなんでもわかりやすくなければならない」といった、イデオロギー的なものに変質しうる可能性があるし、実際現代にはそういう風が吹きつつあるのではないか。
そうなると、どんなに正しいことを書いていようが、「わかりにくい」という理由で一蹴されることが増える。世の中にはとてもわかりやすくできるものと、どんなに頑張ってもある程度以上わかりやすくはできないものがあるのに、そういった背景は省みられなくなる。そのため、「正しさを犠牲にする代わり、みせかけのわかりやすさを身にまとう」というやり過ごし方が、生存価を高める。結果として、わかりやすそうでわからないものだらけになる。
そういうことを米光さんは危惧しているのかな、と、私は想像してみたよ。
(この記事ってトラックバックというものの適用だと思うが、張り方がわからん。)
「反復する事象において、結果は原因に影響しうる。」
オペラント条件付けの理論からは、そんな命題が演繹的に導けると思うのだけど、米光さんが言いたいことは、これを補助線として使うと少し「ワカリヤスク」なるんじゃないか。
つまり、元来「文章をわかりやすくする」ことが求められるのは、その方が便利なことが多いという、純粋に機能的な理由だったはずなのだが、それがエスカレートすることによって、「なにがなんでもわかりやすくなければならない」といった、イデオロギー的なものに変質しうる可能性があるし、実際現代にはそういう風が吹きつつあるのではないか。
そうなると、どんなに正しいことを書いていようが、「わかりにくい」という理由で一蹴されることが増える。世の中にはとてもわかりやすくできるものと、どんなに頑張ってもある程度以上わかりやすくはできないものがあるのに、そういった背景は省みられなくなる。そのため、「正しさを犠牲にする代わり、みせかけのわかりやすさを身にまとう」というやり過ごし方が、生存価を高める。結果として、わかりやすそうでわからないものだらけになる。
そういうことを米光さんは危惧しているのかな、と、私は想像してみたよ。
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