戯言ヲトメツバキ(完)
言葉にならないものを、少しでも言葉にしようとしていました。
[PR]
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
| HOME |
0802
常識という言葉がしばしば使われる文脈として、「備えていることが期待される知識・能力・態度のパッケージ」というものがある。常識を期待するというのは、これらを備えていることを前提に物事を組み立てて、これらが不足していることは本人(ないし保護者・教育者)に責があると考える態度だ。
この考え方ってとても便利で、とても世界をシンプリファイしている。
新しい物事に臨むとき、完全にまっさらな状態で臨むことなどできないと思う。
厳密に言えば、できたとしても、それはその人の生き様を反映した「まっさら」であり、他の人の「まっさら」とは異なっていてもおかしくない。
という話はやや脱線気味なので置いといて、
だから、
新しい物事に臨むとき、自分なりのベースラインを持つことは大事だと思う。
ただし、外界と交渉をしていくうちに、新たな情報が溜まってきたのであれば、スタート地点に固執することは、もはや得策ではない場合が多い。
相手の常識パッケージの中のいくつかのパーツを期待するのが難しいときは、それでも2人(ないし集団)で生産的な活動が行える期待を高めるために、「補うための手段」を考えて実行することが重要だ。
その手段は、足りない側から提案することもできる。
ある人の「足りなさ」は、自分が一番知っていることもあるし、外からの方がよく見えることもある。
自分が一番知っていることを、他人に指摘されるまで黙っておくと、色々な過程が遅くなる。
大事なのは、補う手段は常に2人の間(ないし集団の中)にあると考えることだ。
個人に責任を閉じ込めておくのは、「足りない」人が足りなさを自覚して、補う手段を考えて、実行するという、閉鎖的な条件でしか成立しない。
局所的にそれが有効な場面は少なくないが、すべてをその仕組みで回そうというのは、現実からの乖離が大きすぎる。
常識から外れていることを欠陥として切り捨てるのではなくて、それがたとえ制約になったとしても、、常に全体の最善の利益が果たせることを目標に置き、個々の問題について話し合い、同盟意識を強めながら相補的に役を果たす。
どうしたらそんな関係を他人と築けるだろうか。
たぶん、異なる個人同士が、たとえ一時的にしろ、「ひとつのシステムの要素同士」となるために、触媒としての「共有できるもの」が必要になるのではないか。
そして更にその前提として、私が「私システム」のみによって動くのではなく、そこから離れて「私以外のシステム」の中で動けることが必要となる。
社会人にとっては当たり前に身に付けていることかもしれないが、僕に限って言えば、この意識を持つのはひとつのハードルだ。
とても面倒臭いことだし、リスクだってかなり高いことだということは容易に想像がつく。
それだけに、初期段階でこのシステムのメリットを実感できるかどうかが鍵ではないか。
・・・・・・
うーん、ごちゃごちゃする。下書き保存。
この考え方ってとても便利で、とても世界をシンプリファイしている。
新しい物事に臨むとき、完全にまっさらな状態で臨むことなどできないと思う。
厳密に言えば、できたとしても、それはその人の生き様を反映した「まっさら」であり、他の人の「まっさら」とは異なっていてもおかしくない。
という話はやや脱線気味なので置いといて、
だから、
新しい物事に臨むとき、自分なりのベースラインを持つことは大事だと思う。
ただし、外界と交渉をしていくうちに、新たな情報が溜まってきたのであれば、スタート地点に固執することは、もはや得策ではない場合が多い。
相手の常識パッケージの中のいくつかのパーツを期待するのが難しいときは、それでも2人(ないし集団)で生産的な活動が行える期待を高めるために、「補うための手段」を考えて実行することが重要だ。
その手段は、足りない側から提案することもできる。
ある人の「足りなさ」は、自分が一番知っていることもあるし、外からの方がよく見えることもある。
自分が一番知っていることを、他人に指摘されるまで黙っておくと、色々な過程が遅くなる。
大事なのは、補う手段は常に2人の間(ないし集団の中)にあると考えることだ。
個人に責任を閉じ込めておくのは、「足りない」人が足りなさを自覚して、補う手段を考えて、実行するという、閉鎖的な条件でしか成立しない。
局所的にそれが有効な場面は少なくないが、すべてをその仕組みで回そうというのは、現実からの乖離が大きすぎる。
常識から外れていることを欠陥として切り捨てるのではなくて、それがたとえ制約になったとしても、、常に全体の最善の利益が果たせることを目標に置き、個々の問題について話し合い、同盟意識を強めながら相補的に役を果たす。
どうしたらそんな関係を他人と築けるだろうか。
たぶん、異なる個人同士が、たとえ一時的にしろ、「ひとつのシステムの要素同士」となるために、触媒としての「共有できるもの」が必要になるのではないか。
そして更にその前提として、私が「私システム」のみによって動くのではなく、そこから離れて「私以外のシステム」の中で動けることが必要となる。
社会人にとっては当たり前に身に付けていることかもしれないが、僕に限って言えば、この意識を持つのはひとつのハードルだ。
とても面倒臭いことだし、リスクだってかなり高いことだということは容易に想像がつく。
それだけに、初期段階でこのシステムのメリットを実感できるかどうかが鍵ではないか。
・・・・・・
うーん、ごちゃごちゃする。下書き保存。
PR
COMMENT
コメントする
このエントリーのトラックバックURL
これがこのエントリーのトラックバックURLです。