戯言ヲトメツバキ(完)
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シアタートラムで、 ポかリン記憶舎「鳥のまなざし」 を観た。
マームとジプシー を観た時に似た 「メモリー・ブルー」 が見えてきて、
でも その枠組みで閉じて捉えるのはあまり 得 じゃないよね。と思うので、
方法はわからんが、しみ出していけたらいいなぁ、と思う。
身体の使い方というか、あり方は、もっとすとんと入ってきて おもしろかった。
それをすごい適当に 「エメラルド・ナマニク」 と呼んでみた。
ワークショップ があるのかな。行ってみたい。
広田さんイチ押しのセカンドネイチャー展も行ってみたい。1000円だし。
まぁ、芝居なんて見てる場合じゃないのだが。 なんて ってなんだ。
修論は、アホのようにメモを書いているが、本文がまったく進まない。
完成させること が 大事!!!
楽譜を借りたが、うちにはピアノもキーボードも無いので、大学で弾こうと思ったが
ピアノが置いてあるロビーに人がいると、ひよってしまってなかなか弾けない。
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その80%以上は、ビフォアリミット効果(一夜漬けの原動力)で説明がつきそう。
今日が修論仮提出日で、だのに提出できなくて、1週間延ばしてもらって、
今は結構元気なのだが、これはアフターリミット効果(テスト終了後に勉強がしたくなる)。
そんなに長保ちするものではない。午前0時過ぎたらほとんど残っていないだろう。
そういうアマタの状態の中をどっぷり生きているのもあたしなら、
ある状態を抜け出したいと思ったり、ある状態に入りたいと思って、
そのために何かをするのもあたしなのです。
「マコちゃんのリップクリーム1」を本屋で衝動買いして(財布に金があるのは恐ろしい)
あんまりおもしろくなかったのだけれど、尾玉なみえの漫画は何度も読んでるうちに
不思議とどんどん面白くなってくるだろうから、修論終わったらまた読んでみよう。
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湧き躍る。
このタイミングで、朝も昼も晩もやりたいことを、まったく新しく見つけてしまった!
砂時計のように、価値あるもの2つが、素敵なもの2つが、やりたいこと2つが、
くるんくるん、駆け合い引き合い、ぶらんぶらんこ、振り廻す。
あたし僕は、修士論文のテーマが「喫煙行動」なのですけれども、
そしてこれを書き終わったら、このテーマはもういいかなと思っていたのだけれども。
も少し煮詰めてもいいかなと思うようになった。
しかし、卒論でやり損ねた嗅覚もやってみたいし、
「ホームレス」とか誰かに呼ばれたりしている人についても、なにかしてみたい。
あたしは、勉強したいのと研究したいのをもっと区別できなきゃいかんな。
別々のもんじゃなかろうーが、区別する必要は、ある。
俳優をやる時に、自分の成長を望むのと、良い作品の成立を望むのと、とかもね。
似ているというか、重なってるがゆえに、なおさら、繊細が必要になってくる。
仕事は、お金を稼ぐ手段なのか、誰かの役に立つ場なのか、自分を鍛える場なのか、
やりたいことをやる場なのか、なりたいものになる場なのか、とか、とか。
自分のココロに、効いて味噌漬け。
今は、変チコな暗示をかけながらフン闘中。
形を成すっていうことは、時間軸に沿って重なっている無数の金太郎飴的な「僕」「達」が
なんだかひとつの方向に向かって力を合わせることなのかもしらんと適当に思います。
ぐずぐずの、脱線の、言葉を並べて、ポントカレペリ。
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胃からずっと乳白色のガスが湧いてるような感じがしてずっときもち悪かった。
自己臭恐怖症の人ってこんな感じなんだろうか。ってな邪推。
フックとフィクスの違いも分からず、この数日間、延々と迷走していたのだけれど、
「完成させること」
というのが、1つクリティカルな拠り所になるのではないかという考えが降って湧いたヒューストン。
今更!
あーでもそれはすごい感覚として分かりやすい。
あたしがやろうとしているあらゆることに適用できる。
西さんに間接的に言われた言葉を思い出す。
多分、「揺らがない」ってのは結果としてそうなるものであって、それ自体を目指すものじゃないんだ。
ってことにしておこう。暫定的に。
じゃあ
とりあえず、目下のところ、修論を完成させますか。
上は果てしないけれど、それでも落とし所は見つけなきゃいけない。
僕ができるあらゆることのあらゆる中で、一体何をすれば完成できるのか、感じて動いて考えよう。
let's get on board !!
立体
米光 一成さんが、宮部みゆき「ぼんくら」についてこんなことを書いていた。
"なんでありとあらゆる角度から読めるのだろうと考えてみると、ありとあらゆる角度から考え抜かれて書かれているというよりも、ちゃんと立体として立ち上がるように描いているから、読み手によってさまざまな視点で読み解ける物語になっているのではないだろうか、と考える。"
(こどものもうそうblogより)
「ぼんくら」は読んだことが無いので、作品へのコメントとしてどうかは分からないが、
この「立体として立ち上がるように描く」というのが、僕が芝居でやりたいと思っていた
ことのひとつをまさにぴたりと言い当てているのではないかと思い、漠然ながらワクワクした。
平田オリザ氏がやろうとしていることの中にも含まれるんでないかな。
本によって得られるものは、読者によってまるっきり変わるとか、観客を鍛える発想とか、
僕の頭の中で、そういうのが非常に漠然とした段階で原始的な構造を形成しつつある。
これをもっと明確に、精緻化するには、放っとけばなかなかしないある作業が要るのだろう。
とりあえず「ぼんくら」は読んでみよう。