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 0207

いつの間にか、結構いっぱいになっている。
動いた拍子に、口から こぱり と血ではない液体が漏れて出る。
あれ?あれ?

動揺すると、安心したくて昔のパターンをなぞることがあるのでないか。
安心だった昔のパターンをなぞることで、人は幾分か安心できるのでないか。
ひらがなさんにコンタクトしたり、思考の歯垢をぶちまけたりという、近日の行動に、
そういった解釈をつけてみる。

ああでも幽霊!それは幽霊なのか?
これは悪いことなのか?残念なことなのか?
幽霊は悪いものだと思っていたけれど、悪くもない幽霊もあるのか?

とかとか考え出すと、よくないドツボにはまりそう。
視界が狭なって、目がひんむいて、首が前傾してうなじの上が突っ張ってる。
多分その分類から始めたのが、きっとちょっと間違っていた。
間違っていたときに、戻りたくないけど戻るのは、ときどきすごく大事なことだ。
だけど、間違っていたと思っても戻れないときもあるから、むずかしいもんだ。
いずれにせよ、間違っていると思いながらそれをやるのはつらい。

とりあえず、幽霊の話は撤回しよう。
わくわくすることは、目を向ければいくらでもひろがっている。
いつものクロッキー帳の代わりに、いま大学ノートを使ってみているのだが、
ぴしりと引かれた横線に引きずられて、考えがどうにも窮屈になってしまう。
意志が弱いあたしの精神。
でも人が読みやすいのは、横線に沿った文字なんだろうな。比喩的にも。

とかとか書いてみて、ぼくが同じ出来事を、幽霊だと思って見ている一方で、
最近接なものとして見ていることに気づいた。
なんだろう?これなんだろう?
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 香草虫

○上演済み
「フラギレなんとかさん」
 被ると人間がテレビになっちゃう帽子を発明する話。
「ヌルファンクション」
 サークルの部室に死体が埋まってたという話。
「白濁香」
 生き別れの妹がいたと思ったけど実は勘違いだったという話。
「恋する眼球」
 君のことは好きだけど、君のことはよくわからないという話。

○構想中
「タナバタバコ」
 同窓会で男子が集まって、みんなが好きだった女子を思い出す話。
「土管葬」
 村落に隕石が落ちてくることがわかって、みんなどうする?という話。
「S公園にて」
 お昼の弁当を食べに公園に行ったらいつもの席に座ってる人がいたという話。
「psychogle.」
 空気の読めない人たちがひたすら空気を読むための方法を話し合う話。
「SCENTIVAL」
 ニオイの素晴らしさを説き、ニオイを感じる力を持った人間を讃える話。
「pink?」
 岡崎京子の漫画を戯曲化するのは凄い難しいよねという話。
「便所日和」
 和式便所の奥が不思議の世界に繋がってるけど臭くてたまらんという話。
「空の音」
 からっぽのはずの頭を振ってみると、からころと音がして楽しいなという話。
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 0206

やいやいやい。ぐじゃらかぐじゃらか。
今日はなんにもない日なので、またいろいろ書く。

1.
ぼくときみが同じでも、
第三者の前で発せられる言葉と、1対1のときに発せられる言葉は違う。
(これは、きっと、確認だ。)
たぶん、第三者がいるときは、要因が増えて複雑になり、出力はしばしば却って単純になる。
ふたりのときの言葉(や言葉以外のもの)は、単純であるがゆえに豊かで、おもしろい。
ぼくがもっと成熟すれば、どっちの言葉も、もっと楽しめるのだがなあ。

2.
辺縁を大事にしよう。
(これも、やはり、確認だ。)

新規場面、つまりよくわからない場で、なにか理解の糸口を掴もうと、じっと観察している初期の状態がある。そのうち、「もしかしてこんなことが起こっているのではないか」「この人はこんなことが言いたいのではないか」などという仮説が思い浮かぶことがある。このときに、仮説を吟味することなく固めて安心してしまうことがよろしくない。初期の仮説は大抵半分正しくて、半分間違っている。仮説の生成作業は、間違っている半分を直すという、精緻化の作業に継がれなければならない。
仮説をもたずに場にいるときは、情報はバラバラと雨のように降り注いでくる。もちろんその中でも、今までに自分がこしらえた枠組みで理解できる断片もいくらかある。仮説を伴って場にいるときは、その仮説に響くような情報がしばしば飛んでくる。もともと場の情報から帰納的に作り上げたのだから、別段不思議なことではない。しかし重要なのは、その仮説に当てはまらない情報が飛んできたときに、それを無視しないことだ。それを受けて、仮説を修正することだ。あるいはもっと積極的に、自分からその場に仮説を検討するような刺激を投げ入れて、その結果を観察することが重要だ。

3.
そして、積み重ねることが必要なものがある。

脊髄反射で動かない。やりっぱなしにしない。鵜呑みにしないで裏を取る。疑いの目を持つ。
それは直観で始まるのかもしれないが、負荷をかけて、それでも続くか、試してみる。
このブログは98%脊髄反射で書いているので、積み重ねる要素がもっとも足りていない。
文章を推敲するっていうことも、積み重ねることの一種だ。
こわいことの1つは、このブログを書き続けることで、脊髄反射のクセがついてしまうことだ。
ただ、脊髄反射でないと拾えないものを拾おうとしているというのも多分あるような気がするので、
クセがつかないように、積み重ねる経験も一方でして、バランスを取るといいのかもしれない。

4.
大きなことをやろうとするときは、長い時間がかかる。
その中で、自分がどの段階にいるのかによって、やるべきことは変わってくる。
自分が次に進む段階なのに、前の課題にしがみついていてもいけないし、
自分の身の程を知らず、難しいことをやろうとしても得るものは少ないだろう。
自分に適当な課題を探して見つけて行うことが大事。
でも、それはぴったりでなかったとしても、それなりに得るものはある。
それゆえにまったく無駄とは言えず、しかしそれゆえにそのズレは気づかれにくい。
言ってて恥ずかしいけど、ぼくは「人と関わること」とか「人を好きになること」について、
もうそろそろ次の段階に進む時期なのではないかと、ちょっと思ったりしている。

(ヤー!こんな風に「段階」みたいな概念でもってモデル化することも恥ずかしければ、
大きな目標として「人を好きになる」なんてことを持ち出すことも恥ずかしければ、
自分がそれをちょっとできるようになってるんじゃないかとうぬぼれることも恥ずかしいのだが、
でもね、こういうことも、やっていってみればいいと思うんだよ。
自分の感覚と他人の言葉に開かれていれば、間違っていても損失はそんな多くない。)

その時その時で自分に必要な課題を見つけて対峙して、そのたびになにかを得ていく。
次の段階に必要なものも含まれているし、あんまり関係のないようなものもいっぱいある。
この、プロセスっちゅうか、道のり。
目標を果たした瞬間にすべてが報われるというようなものがあって、そういう場合は、
この道のりを進むことにはそんなに意味がない。
でも大きなことのほとんどは、目標を設定することは重要だけれども、その上で、
この道のりを進むひとつひとつが意味を持っているのだ。
この意味ってのは、大きな目標を達成することの意味とは区別したほうが多分いい。
プロセスの意味と、プロダクトの意味と呼んでみようか。少しずれてしまうかな。
小学校の行事は、むしろプロセスの意味が幅をきかせて、プロダクトはどうでもよかったり。
小さな変化を積み重ねて、人は豊かになっていく。

4.
ぼくは、心理士というものが、職業や資格だけでなく、ある種の生き様をも指すのだと思っている。役者とか、研究者というのもそうだと思う。
あーでもこの話は、またこんど。
交流分析が、ぼくが「幽霊」と呼んでいるものを結構扱っていそうで興味がわいたのだが、それもまたこんど。

追記.
あーこれ、すっげー頭でっかちに考えてるわ。明日見たら消したくなりそう。まあいいや。
今なんか俺は、頭でっかちになりがちなのだな。なにが起きているんだろうな。

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 0204

ここ数日で脳内に溜まった思考の垢を吐き出すの巻。

1a
劇団地上3mmの稽古が2月の頭から始まっていて、とても節目のキリが良い。
舞台上のすべてはコミュニケーションだし、稽古中のすべてはコミュニケーションだ。
ぼくはコミュニケーションという言葉は、あまり好きではないのだが
(なぜなら、めちゃめちゃ重要そうなくせして、どう近づいたらいいか分からないから)、
もっと適切な言葉を探りつつ、暫定的なフックとしては中々の言葉なのではないかと思う。
ファウストの戯曲と格闘する。という言葉の意味は、ちょっとずつ染み込んできてる。
紙風船のときにやれたこと、やれなかったことを、もういちど反芻するのが大事に思う。

1b
多分、川口という人間は、「口にしたことすべてが今回の公演を面白くするためのヒントに
なっている」という、そういう風にできている人間なのだ。
川口が自分のことを「計算高い」と称するのは、そういうことなのではないか。
(違うかもしれない。)
とりあえず、YouTubeで東国原知事が喋ってるのを視聴覚する。
現在のキー概念は、「国語する」「そして伝える」「つまり動かす」「それを続ける」とか。

2a
最近は、「できるできない」とかいう離散的なものを、連続的に繋がりつつ距離の遠いもの
として捉えることが時々ある。
オリジンはなんだろう、学部3年の時のゼミ教官の伊藤先生が、質的変数と量的変数か
なにかの話をしているとき、「量的な隔たりが著しいものを質的に異なるという」みたいな、
確かそんな話をしていて、ふんふんと思ったのが最近の経験と絡んで育ってきたのかな。
もちろんほんとうに離散的なものも世の中にはあって、でもぼくたちが離散的だと思ってる
ものの中には、実は連続的なものがだいぶあって、でもそれらはカオス理論のように
カットオフポイントで真逆のフィードバックを受けるために、小さな相違が増幅される。
逆にある範囲においては細かな相違は帳消しにされてないことにされるか無視される。
時間で言えば締め切りとかがカットオフポイントなんだ。

2b
逆に、連続的だと思っているものでも、それらの値の中には気持ち悪いところがあって、
一般的には中途半端とか呼ばれているんだろう。
中庸が是とされるのは、気持ち悪いポイントが両端にあるようなケースだろうし、
中途半端が非とされるのは、気持ち悪いポイントが真ん中にあるようなケースだろう。
僕らの感覚とか、数字に表れるものは、大抵の場合多変量の関数の結果でしかなくて、
本当の意味で原因を探るっていうのは、僕らが思っているほど簡単なことではない。
だから現実的に原因を探る場合、原因という言葉の意味を限定しなければならない。


小石川の図書館は新刊がぽんぽん新刊棚に並べられるので、ついなにか借りてしまう。
ほとんどは「まえがき」「目次」「あとがき」だけ読んで返してしまう。
本とのこういう付き合い方が可能だというのは、それ自体では僕は贅沢で幸せなこと
だと今は思っている。それゆえに、これがディストラクタに使われないよう注意が必要だ。
こないだ借りた本は、「強いチームの報・連・相」「結局仕組みを作った人が勝っている」
「新しい学士をめざして」「家族心理学」「統計学」。今の自分の関心の方向性が見える。
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 0131: 濃紺PINK

午前中は課題面接。迷ってる自分を一旦肯定する。
こんなん、僕の幾倍速で生きている人から見たら「なにタルいことやってんだ」
なんて風に見えるんだろう。
そんでもって、それはきっと真実なのだ。
でも僕は、僕に与えられたカードで勝負するしかない。
と、スヌーピーが言ってた言葉を引っ張ってくる。

夕方からはカムヰのWS。とても満足。
2000円借りて、参加費500円も払ってないので、返さねきゃならん。
北川くんは頭が良くて、とっても言葉が達者なので、社交辞令と本気の違いがわからん。
ぼくが鈍いだけかもしらんがね。
「フラグメントへの順応性」という言葉をどういう意味で使っているのか、訊き忘れたなぁ。
お金を返すときにでも訊いてみるか。

岡崎京子のpinkを戯曲化しろという注文を受けて、1年くらい経っている。
ぼくも脚本をこれから書いていこうと思うのなら、動き始める時期なんだろうな。
モタクサしてらあ。しかし。
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