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 チョコレート・ディスコミュニケーション

 川口がブログで紹介していた記事(12)を読み、なるほどと思う。
読み手ってのは、言葉を血肉にするために何かをせにゃならん。
何かっていうのは、読み手の準備性によって違ってくるのだろうが。

イメージで言うと、その言葉を読むっていうのは、遠くから見かけることで、
それから近づいていって、出会うためには、運動をせにゃならぬのだ。

面接やその他の機会を与えられるっていうのも、同じようなことなんだ。
スタート。そこをゴールだと思っていると、人はいつまでも走り出さない。

大きなケーキを食べようと思ったら、ちょっとずつ全体を食べていくか、
切り分けて1つずつ食べていくしかない。順番が出てくる。

僕がクリティカルだと思っていることは、
・繋がる言葉を磨くこと。
・組み立てる言葉を磨くこと。
・見立てる眼と頭と手を磨くこと。
・繋がる社会性を磨くこと。
・自分の欲求に明らかになること。

うーんだめだ。近づけない。
ごちゃごちゃしている机を、意味に見えるように整理する作業を。
自分ひとりでできないときは、適度な助けを借りて、能力以上を発揮すること。
そのために必要な助けと繋がれる力を。

昨日は元同期と話しに行って、彼が「学生の問題点を指摘しても『本人に自覚がない』
ためちっとも響かなくて、あほらしくてもうなんにも言わないことにした」と話すのを聞いて、
僕は無神経に「もうちょっと頑張れよ」なんて言葉を吐いてしまったのだが、
それはほんと軽率な、素朴すぎる物言いだった。
素朴に動いて解決するような、単純な事象ならそれでいい。
けれども集団力動が介するような複雑な事象では、単純な行為すら繊細な裏打ちが必要だ。
学生たちがなにやかにやのバランスの上で、今のような状態を維持しているように、
同期の彼だって、なにやかにやのバランスの上で、今のような判断を行うに至ったのだ。
このなにやかにやが見えていないことは、僕の距離の遠さと見る力の不足によるもので、
今の僕は、それのどちらが主因かどうかもわかっていない。
人の問題に首突っ込んで、自分の問題を棚上げにしようという自分の力動だって働いてる。
僕の利他的な部分は、結構そういうことが今までもあったから。

自分をもっと知らねばならんと思った。
僕がいままで歩いてきた道にそれは表れている。
でも、それはきっと概ね手段で、それを全体的に目的だと取り違えてしまったとき、
自家中毒への地獄ロードは始まるのだ。
特に僕は自己愛がもともと強いから、そうなるリスクはきっとすっごい高い。
だからそうならならないために、具体的な予防線を張っておくなどしなけりゃならない。
目的を明らかにするための時間をこまめに設けるとか、自家中毒チェックをするとか。

本人に適切なレベルを見つけるということを、
長らくサボってきていた人たちはあまりにも多く、
僕もまぎれもなくその一員なのだ。

前向きなつもりだけれど、ひどく胸くそは悪い。なんだこれ。
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