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 0824

・これは異文化コミュニケーションなのだ!慣れないことをやっている。付け焼刃じゃまったく応用が利かない。それでも。

・僕が知らない土地に行ったり新しい人と交流することに対してもの凄く消極的になっていることを、今までは単なる趣向の問題だと捉えていたけれど、それがとてもある意味で楽をしているというのだということに気づく可能性が生まれた。僕は僕でもって僕の弱さを覆い隠すよう、意識的にしろ無意識的にしろ喋ったり動いたりしている。

・気づくことやその前段階で気づく可能性が生まれることはとても良いことだと思うが、最近の僕は少し軽率にすぎるので、気づくことと気づく可能性が生まれることの違いをもっとちゃんと意識して、それが可能性であるうちはあまり盆に返らない行動をすべきではないのかと思う。大したことはしてないが、我ながらハラハラする。こういうことは長続きしない。こういうことはもっと繊細にやらなければ絶対誰かを不用意に傷つけて止まるに違いない。

****

・ああ、世間で当たり前に使われている、「社会性」というコトバは、果たしてこういうものを指すんだね。24年間余り生きてきて、こういうことにほとんど気を回すことがなかったのが僕なのだ。

・人にはこんな傾向がある。未知の状況に遭遇したときに、自分がよく知ったものと同じであると無根拠に思い込む。あるいは知識や経験で構築された法則に当てはめる。もちろんそれ以外の選択肢もある。
・また人にはこんな傾向がある。不安な状況に陥ったときに、その不安を軽減させるような解釈の仕方を好んで選ぶ。また数ある解釈の中でそれが正しいのだと無根拠に思い込む。
・傾向だから弱い強いがある。この傾向は固定したものでなくて生きてく中で変わりえる。人にはこの傾向を抑える能力がある。能力だから高い低いがある。能力は周りの状況によってその最大遂行量がある程度上下する。

・意味がどんどん膨らんでいく宿命にある類の言葉がある。「話を聞く」とか「カウンセリング」とかがそうだ。人間は日々感覚やアナロジーによる体験を重ねているので、膨らんでいくのは自然だと思うのだが、一方で「言葉の意味というものは固定している」という考え方も広く浸透しているようで、これら2つの現象と考え方が摩擦を起こし、様々な形で表れている。誰かが整理しないと、プチバベルのようなことになる。でも、それは理論上は誰が行ってもよいことなのだが、現実的に説得力を持つには、ただ考える能力があるだけでは足りないと思う。
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