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 0919

金曜日は勤務先の運動会だった。

  チョムスキーという心理言語学者がいて、言語は分節だとかうんぬん言っているらしい。(チョムスキーは勉強したいと思いつつ、長らくできてないことのひとつ。)例えば日本人やアメリカ人は虹を七色として名前をつけているけれど、場所を変えればそうとも限らない。世の中には虹が五色とか二色で表されてる地域があって、そこの人たちには虹は五色や二色に見えている。同じものを見ているのに。つまり、元々の見えている世界は同じだとしても、その見方が違うと見えているものが違う、とかいう話。

  このニワカすぎる知識を種にして、生きることと繋げてみる。生きる中で大事なことのひとつに、「自分の分節の仕方を変える」ことがあるのだと思う。
  同じものとして認識していたものの中に、実は異質なものがごっちゃになっていると知る。そしてそれらを感覚で弁別できるようになって、適当な新しいラベルをつけてやる。生存にとって重要なものは、大事なものと大事でないものを弁別することで、それの簡便法として、「いい意味で」という言葉が開発されたのだと僕は思っている。本気で喜んでいるのと、喜んでいる振りとを区別する、みたいな。
ってのがひとつ。
(それと反対に、まったく別々になっているもの同士を繋げることも大事。たとえば自分が経験からひねり出した法則を、他人の言葉で裏を取る、みたいな作業。)

そして、だらだらととりとめなく「これって大事じゃないか」シリーズ。
締め切りの近い仕事が沢山あるので、空想全部吐き出して仕事に集中するための準備。

  出来事自体と、それが持つ機能というのは、実はあまり関係がないものだ。人間と、その役割という例を挙げても構わないが、必然的なものももちろんあるのだが、全体からすれば多くはないだろう。
  強く否定的な出来事は、それを体験したその人のその後の人生に大きく影響を与える。出来事自体をなかったことにすることはどうしてもできないので、人はその代わりに色々なことによってその代わりをしようとする。そしてそのバランスの取り方のよくあるパターンは、「出来事によって生じた損失を出来事を種にして利益を生み出す」というものだ。それはとても連鎖的で、ストーリー的で、アイデンティティを強化するものなのだろうな。
  私はそれがなかなかできなくて、それができる人をうらやましいと思っているが、一方でそれに巻き込まれることを強く恐れている。

また別の話。
  感じること、細かく感じること、感じたことを表出すること。そして、その感じがなに由来か、刺激のなにに、私のなにが響いたのか。そこまで分かるようになりたい。
  たとえば、芝居を見たときに、私がどんな心身状態でそれを見て、どんなところに注目をしているのかについて、自覚的でありたい。そしてその芝居がどんなところに力を入れていて、どんなところは適当にしていたのか、ということも見つけたい。それによって、私がそういう感想を持つに至った仕組みを見つけたい。更に言えば、観劇後に出演者と少し話したことは、あとから感想にどのような修正を与えたのか。そんなことまでわかるようになりたい。
  感想を書くときに、「この作品を面白いと思った」の前に、「私がこんなだから」ということを書きたい。

私信。
妹の友人がこのブログを見つけたと妹から聞いたのですが、その友人さんはできたら妹にブログ名とかさらさないでもらえるとうれしいです。
身内に読まれるのは、これはとてもちょうあのほんと恥ずかしい。
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