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 ヒトトヒトトカカワルル

ブログを書きたい気持ちがうずうず巻いているが、いざ書こうとすると霧散しちまう。

ミクシは限定的に使いはじめているがツイッタはあいからず苦手なまんま。

家の中の部屋が、部屋ごとに異なった臭いを持っていて、とてもおもしろい。
香ばしい台所、水カビのよな脱衣室、アンモニウムなトイレ、お香くさい和室。

メールを書きたい相手が山ほどいて、私はなんて幸せなんだろうと思う。

仕事は生殺しにされてるような感じもして、あぁ、がんばりどころだなあ、と思う。
よく食ってよくあったまってよく伸ばしてよく寝ることをしっかり押さえた上で、
作戦を立て、勇気を満たし、相手に気を置き、家では宿題を地道にこなし、仕事に臨む。
口にするのは簡単だけど、やることは難しく、でも不可能ではないこと。
大きな流れの中で、行動を積み重ねるということは、どれだけ大切なことか。

あなたがいるから、なんとかやっていけるんだ。
あなたがいたから、なんとかやってこれたんだ。
ありがとう。
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 いんふらすとらく茶

・今年の花見のとき、空海丸さん(PN)という知り合いが握り寿司を作ろうとして魚の切り身とご飯を買っていたのを見て衝撃を受けた。ちらし寿司や手巻き寿司はともかく、握り寿司というものは店で買って食べるものであって、作るのは自分とはどこか遠くにいる寿司職人やパートのおばちゃんだと認識していたからだ。あーそうか。わたしは別に寿司を握りたかったら握っても構わないんだなぁ。

・大学院でお世話になった先生が、授業で使っていた「遊戯療法」というテキストについて、「毎年読んでいるのだが、そのたびに発見がある」と言っていたことが、次第に自分の中で大きな意味を持つようになってきた。字引きのようなものでなくても、同じ本を何度も読んで構わないし、そのたびに新しい発見があるかもしれないんだ。これは、「本は読む人によってまったく異なる経験を与える」というわたしの持論と相性が良い。

・中学のときの友達(だとわたしが思っていた人)がおもむろにくれた葉書サイズの透明なアクリル板に、「わたしたちは どこへだっていけるし なにものにだってなれるのです」という言葉が書いてあった。わたしが少しずつ変わっていくごとに、照明の当て方を変えるようにこの言葉の意味も少しずつ違って受け止めるようになってきた。

・西尾佳織さんというお芝居を一緒に何度かやらせて頂いた方がしばらく前にブログで書いていたことを読んで、とてもその通りだなぁと思った。制限が多く、メンテナンスをするかどうかで動き方のだいぶ変わってくる体でもって進んで行くしかないというくだりのところ。

・家庭教師を長いことやっていた。ほとんどは、年少の子相手に数や図形のことばかり教えていた。ふと、それはわたしが感情をやり取りできないことの補償だったのではないかということを思いついた。
なぜそうなったかはわからないが、わたしには、「自分の考えや気持ちが相手に伝わったり、相手と共有すること」についての諦めが強くあって、単なる自己中心性からくる他人を慮らない性質をさらに強めている。
わたしが他人とやり取りできるのは数字のような客観的なことに閉じ込められていて、ふわふわとかごうごうとかいうものはわたしの能力を越えている。ときどきエスパーのような人もいるのだが、そういうときにわたしといったら寒気のような恐ろしさを感じてしまったりする。
それが今までのわたし。いまのわたし。ほいで。

ようやっとネットが開通した記念に、すこし長い記事を書きました。生活のことを考える時間が多くて、がまんすることや、快適さを求めることについて、体験しながら考えています。肉体のコントロールと、見えのコントロールが最低限できるようになりたい。重点事項は、背筋を伸ばし続けることと、居眠りをしないで一日を終えること。うまずたゆまず。
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 あとちょっと

今週の土日は泥のようにこんこんと眠ろうと思う。

人様と比べて、よりがんばっているということは別にないし(ないんかい)、
自分のこの甘さに、我ながらイラッとすることさえも少なからずある。

まあ、でも、
できることはやっぱり、今までの経験と蓄積を財産にして、
これからを切り開いていくことしかないんだよな。

うーん、抽象的すぎる。
誰かと具体的な話がしたいなあ。
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 ひろがるヒビ

雨の中六本木で体験型の企画展に行ったり、
高円寺の銭湯でコンサートを聴きに行ったり、
三鷹でカムヰの通しを見せてもらったりした。

毎日さまざまな方とお会いして、たくさんの話をする。
芝居の話、仕事の話、学校の話、女の子の話、好きな小説家の話、学生の頃の話。

自分のやりたいこと、刹那的なことと、もっとライフワーク的なことの両方が、
そしてそれらを繋ぐために大事なことが、
人と話すことで、少しずつ見えてきたり、逆にわからなくなったりする。
まあでもやっぱり、特に大きなことは、ひとりでじっくり考えることは必要だな。

脳噛ネウロみたいな芝居が書きたいな。
躍動感はきっと背骨になる。
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 頭痛の種

わたしはわたしと話すために、言葉を磨いて生きてきたところがあるのだけど、
それは、別の人と話すために使えるとは限らなくって。

ある人と話す機会があったのだけど、びっくりするくらい惨々だった。
なんでわたしの言葉を、この人はそんなに捻じれて受け取るのだろう?
不思議でならなかった。
修正しようと言葉を重ねたけど、余計に捻じれるばかりで、悔しくて泣きそうになった。

その失敗を踏まえて、次はもう、その人には最低限しか言葉を使うまいと決めて臨んだ。
相手が何か言ったら、はい。
質問には、一言だけ。
一言で答えられないような質問には、黙る。

我ながら、ひどいと思う。
でも今のわたしにとっては、それしかなかった。
思い返すだけで、そのときの体のこわばりがよみがえる。

この人と、疎通することができる日が、いつか来るのだろうか。
この人との、がんじがらめの関係が、いつか変わる日が来るのだろうか。
そんなことを、夜に思う。

あと8日。
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