戯言ヲトメツバキ(完)
言葉にならないものを、少しでも言葉にしようとしていました。
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いない
昼休みに大学の後輩と遭遇した。うちの会社を受けにきていた。
風邪を引き摺るので、寝るまでを丁寧にすることにする。
1日ひとつずつ積み上げられることもある。
「リンネル」8月号を買って帰った。
「鈴木先生」の最終回を観た。やっと漫画の続きが読める。
風邪を引き摺るので、寝るまでを丁寧にすることにする。
1日ひとつずつ積み上げられることもある。
「リンネル」8月号を買って帰った。
「鈴木先生」の最終回を観た。やっと漫画の続きが読める。
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ウェーブ
今日は友人と新宿御苑に行き、お茶をして、別れてから水天宮前で芝居を観た。
芝居は複数の短編作品のオムニバスで、そのひとつはその時の酷い気分にふさわしい酷い芝居だった。
目当てにしていた作品は面白かったが、新しいものはあまり見いだせなかった。
風邪は治りかけで、鼻水が止まらず、ティッシュを忘れたので、クロッキー帳を何枚か消費した。
芝居は複数の短編作品のオムニバスで、そのひとつはその時の酷い気分にふさわしい酷い芝居だった。
目当てにしていた作品は面白かったが、新しいものはあまり見いだせなかった。
風邪は治りかけで、鼻水が止まらず、ティッシュを忘れたので、クロッキー帳を何枚か消費した。
流される心、留まる心
「神は数式」
「考え過ぎて自滅」
「イカす男になろうぜ」
「自分の掘り下げが足りない」
自分の心と向き合うことはとても大切な作業。
心とは、欲求だったり弱さだったり志だったりするもの。
向き合うとは、考えて、選んで、動いて、伝えたりすること。
弱さとは、自分は悪くないとか、仕方ないとか、言い訳をしたり、別の誰かを悪者にして逆恨みすることや、
恥じるべき、罪を認めるべき場面で、そしらぬ顔をしてやり過ごしてしまうことや、
なにかで余裕がなくなったときに、それが別の活動に漏れて足を引っ張ってしまったり、他人へ配慮するアンテナが機能しなくなってしまうことや、
その他モロモロ。
弱さとは、悪いものではない。
ただし弱さは往々にして悪さをする。
あるいは、悪いものの温床になる。
「鈴木先生」(ドラマ・漫画)、「ルサンチマン」(漫画)、「ぼくらの」(漫画)と、合間の時間を縫ってコンテンツを注ぎこんでいるが、その行為には逃避が含まれていて、それ以外の意味も含まれている、ポートフォリオ。
蒸し暑く、雨が降る。
仕事で意識を強く保つことは簡単ではない。
でも、やるのだ。
「考え過ぎて自滅」
「イカす男になろうぜ」
「自分の掘り下げが足りない」
自分の心と向き合うことはとても大切な作業。
心とは、欲求だったり弱さだったり志だったりするもの。
向き合うとは、考えて、選んで、動いて、伝えたりすること。
弱さとは、自分は悪くないとか、仕方ないとか、言い訳をしたり、別の誰かを悪者にして逆恨みすることや、
恥じるべき、罪を認めるべき場面で、そしらぬ顔をしてやり過ごしてしまうことや、
なにかで余裕がなくなったときに、それが別の活動に漏れて足を引っ張ってしまったり、他人へ配慮するアンテナが機能しなくなってしまうことや、
その他モロモロ。
弱さとは、悪いものではない。
ただし弱さは往々にして悪さをする。
あるいは、悪いものの温床になる。
「鈴木先生」(ドラマ・漫画)、「ルサンチマン」(漫画)、「ぼくらの」(漫画)と、合間の時間を縫ってコンテンツを注ぎこんでいるが、その行為には逃避が含まれていて、それ以外の意味も含まれている、ポートフォリオ。
蒸し暑く、雨が降る。
仕事で意識を強く保つことは簡単ではない。
でも、やるのだ。
ちぐはぐ
ちゃんと喜んだり、ちゃんと感謝したり、
ちゃんと怒ったり、ちゃんと悲しんだり、
ちゃんと傷ついたり、ちゃんと愛することが、
わたしにはむずかしい。
それがはじめからできた人も、
いつの間にかできるようになった人も、
努力してできるようになった人もいるだろう。
わたしは。
「ちゃんと」って言葉にも、あんまり感覚は伴っていない。
自分の中にないものを語ろうとすると、漠然とするしかない。
漠然としたものは、味わうのも伝えるのも困難だ。
ある目的のためにしている、ということになっていることが、
自分の中でまったくそのためになっていない、ということが、
自分ではどうしようもなくわかってしまっている。
そういう、表面と中身があることは、わたしが思っているよりも、
世に当たり前のことなのだろうけど、わたしは割り切れない。
うまく表面に乗っかることすらできない。
その奥にあるのは、きっと私自身の抵抗感。
私自身が乗っかりたくないと、思ってしまっている。
そして恥じらいもなく、それをこんなところに表明してしまっている。
他人の心をなんとかするのが難しいように、
自分の心さえもなんとかするのが難しいけれど、
それはなんともしないようにムーブを拒絶し続けてきたからではないか。
と。
迷うことは悩むことは、答えが出にくくなる原因にはなっても、
答えを出さない理由にはならないような気がする。
今日は特別な人と会う。
ちゃんと怒ったり、ちゃんと悲しんだり、
ちゃんと傷ついたり、ちゃんと愛することが、
わたしにはむずかしい。
それがはじめからできた人も、
いつの間にかできるようになった人も、
努力してできるようになった人もいるだろう。
わたしは。
「ちゃんと」って言葉にも、あんまり感覚は伴っていない。
自分の中にないものを語ろうとすると、漠然とするしかない。
漠然としたものは、味わうのも伝えるのも困難だ。
ある目的のためにしている、ということになっていることが、
自分の中でまったくそのためになっていない、ということが、
自分ではどうしようもなくわかってしまっている。
そういう、表面と中身があることは、わたしが思っているよりも、
世に当たり前のことなのだろうけど、わたしは割り切れない。
うまく表面に乗っかることすらできない。
その奥にあるのは、きっと私自身の抵抗感。
私自身が乗っかりたくないと、思ってしまっている。
そして恥じらいもなく、それをこんなところに表明してしまっている。
他人の心をなんとかするのが難しいように、
自分の心さえもなんとかするのが難しいけれど、
それはなんともしないようにムーブを拒絶し続けてきたからではないか。
と。
迷うことは悩むことは、答えが出にくくなる原因にはなっても、
答えを出さない理由にはならないような気がする。
今日は特別な人と会う。
曇天
ここしばらく、自分のことや家族のことばっかり考えていた。
キャパシティが足りない。
キャパシティが足りない。