戯言ヲトメツバキ(完)
言葉にならないものを、少しでも言葉にしようとしていました。
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0802
常識という言葉がしばしば使われる文脈として、「備えていることが期待される知識・能力・態度のパッケージ」というものがある。常識を期待するというのは、これらを備えていることを前提に物事を組み立てて、これらが不足していることは本人(ないし保護者・教育者)に責があると考える態度だ。
この考え方ってとても便利で、とても世界をシンプリファイしている。
新しい物事に臨むとき、完全にまっさらな状態で臨むことなどできないと思う。
厳密に言えば、できたとしても、それはその人の生き様を反映した「まっさら」であり、他の人の「まっさら」とは異なっていてもおかしくない。
という話はやや脱線気味なので置いといて、
だから、
新しい物事に臨むとき、自分なりのベースラインを持つことは大事だと思う。
ただし、外界と交渉をしていくうちに、新たな情報が溜まってきたのであれば、スタート地点に固執することは、もはや得策ではない場合が多い。
相手の常識パッケージの中のいくつかのパーツを期待するのが難しいときは、それでも2人(ないし集団)で生産的な活動が行える期待を高めるために、「補うための手段」を考えて実行することが重要だ。
その手段は、足りない側から提案することもできる。
ある人の「足りなさ」は、自分が一番知っていることもあるし、外からの方がよく見えることもある。
自分が一番知っていることを、他人に指摘されるまで黙っておくと、色々な過程が遅くなる。
大事なのは、補う手段は常に2人の間(ないし集団の中)にあると考えることだ。
個人に責任を閉じ込めておくのは、「足りない」人が足りなさを自覚して、補う手段を考えて、実行するという、閉鎖的な条件でしか成立しない。
局所的にそれが有効な場面は少なくないが、すべてをその仕組みで回そうというのは、現実からの乖離が大きすぎる。
常識から外れていることを欠陥として切り捨てるのではなくて、それがたとえ制約になったとしても、、常に全体の最善の利益が果たせることを目標に置き、個々の問題について話し合い、同盟意識を強めながら相補的に役を果たす。
どうしたらそんな関係を他人と築けるだろうか。
たぶん、異なる個人同士が、たとえ一時的にしろ、「ひとつのシステムの要素同士」となるために、触媒としての「共有できるもの」が必要になるのではないか。
そして更にその前提として、私が「私システム」のみによって動くのではなく、そこから離れて「私以外のシステム」の中で動けることが必要となる。
社会人にとっては当たり前に身に付けていることかもしれないが、僕に限って言えば、この意識を持つのはひとつのハードルだ。
とても面倒臭いことだし、リスクだってかなり高いことだということは容易に想像がつく。
それだけに、初期段階でこのシステムのメリットを実感できるかどうかが鍵ではないか。
・・・・・・
うーん、ごちゃごちゃする。下書き保存。
この考え方ってとても便利で、とても世界をシンプリファイしている。
新しい物事に臨むとき、完全にまっさらな状態で臨むことなどできないと思う。
厳密に言えば、できたとしても、それはその人の生き様を反映した「まっさら」であり、他の人の「まっさら」とは異なっていてもおかしくない。
という話はやや脱線気味なので置いといて、
だから、
新しい物事に臨むとき、自分なりのベースラインを持つことは大事だと思う。
ただし、外界と交渉をしていくうちに、新たな情報が溜まってきたのであれば、スタート地点に固執することは、もはや得策ではない場合が多い。
相手の常識パッケージの中のいくつかのパーツを期待するのが難しいときは、それでも2人(ないし集団)で生産的な活動が行える期待を高めるために、「補うための手段」を考えて実行することが重要だ。
その手段は、足りない側から提案することもできる。
ある人の「足りなさ」は、自分が一番知っていることもあるし、外からの方がよく見えることもある。
自分が一番知っていることを、他人に指摘されるまで黙っておくと、色々な過程が遅くなる。
大事なのは、補う手段は常に2人の間(ないし集団の中)にあると考えることだ。
個人に責任を閉じ込めておくのは、「足りない」人が足りなさを自覚して、補う手段を考えて、実行するという、閉鎖的な条件でしか成立しない。
局所的にそれが有効な場面は少なくないが、すべてをその仕組みで回そうというのは、現実からの乖離が大きすぎる。
常識から外れていることを欠陥として切り捨てるのではなくて、それがたとえ制約になったとしても、、常に全体の最善の利益が果たせることを目標に置き、個々の問題について話し合い、同盟意識を強めながら相補的に役を果たす。
どうしたらそんな関係を他人と築けるだろうか。
たぶん、異なる個人同士が、たとえ一時的にしろ、「ひとつのシステムの要素同士」となるために、触媒としての「共有できるもの」が必要になるのではないか。
そして更にその前提として、私が「私システム」のみによって動くのではなく、そこから離れて「私以外のシステム」の中で動けることが必要となる。
社会人にとっては当たり前に身に付けていることかもしれないが、僕に限って言えば、この意識を持つのはひとつのハードルだ。
とても面倒臭いことだし、リスクだってかなり高いことだということは容易に想像がつく。
それだけに、初期段階でこのシステムのメリットを実感できるかどうかが鍵ではないか。
・・・・・・
うーん、ごちゃごちゃする。下書き保存。
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0801
表面的なところで反応しないように気をつけるが、なかなかできない。
積み重ねるためには、一段深いところで今を生きなきゃいけないんだ。
6週間のうちの2週間が経った。
まだまだがんばらにゃー。
積み重ねるためには、一段深いところで今を生きなきゃいけないんだ。
6週間のうちの2週間が経った。
まだまだがんばらにゃー。
0731b
「分かりやすい文章を書け」という洗脳とディケンズ「信号手」(発想コロコロ術7)
「反復する事象において、結果は原因に影響しうる。」
オペラント条件付けの理論からは、そんな命題が演繹的に導けると思うのだけど、米光さんが言いたいことは、これを補助線として使うと少し「ワカリヤスク」なるんじゃないか。
つまり、元来「文章をわかりやすくする」ことが求められるのは、その方が便利なことが多いという、純粋に機能的な理由だったはずなのだが、それがエスカレートすることによって、「なにがなんでもわかりやすくなければならない」といった、イデオロギー的なものに変質しうる可能性があるし、実際現代にはそういう風が吹きつつあるのではないか。
そうなると、どんなに正しいことを書いていようが、「わかりにくい」という理由で一蹴されることが増える。世の中にはとてもわかりやすくできるものと、どんなに頑張ってもある程度以上わかりやすくはできないものがあるのに、そういった背景は省みられなくなる。そのため、「正しさを犠牲にする代わり、みせかけのわかりやすさを身にまとう」というやり過ごし方が、生存価を高める。結果として、わかりやすそうでわからないものだらけになる。
そういうことを米光さんは危惧しているのかな、と、私は想像してみたよ。
(この記事ってトラックバックというものの適用だと思うが、張り方がわからん。)
「反復する事象において、結果は原因に影響しうる。」
オペラント条件付けの理論からは、そんな命題が演繹的に導けると思うのだけど、米光さんが言いたいことは、これを補助線として使うと少し「ワカリヤスク」なるんじゃないか。
つまり、元来「文章をわかりやすくする」ことが求められるのは、その方が便利なことが多いという、純粋に機能的な理由だったはずなのだが、それがエスカレートすることによって、「なにがなんでもわかりやすくなければならない」といった、イデオロギー的なものに変質しうる可能性があるし、実際現代にはそういう風が吹きつつあるのではないか。
そうなると、どんなに正しいことを書いていようが、「わかりにくい」という理由で一蹴されることが増える。世の中にはとてもわかりやすくできるものと、どんなに頑張ってもある程度以上わかりやすくはできないものがあるのに、そういった背景は省みられなくなる。そのため、「正しさを犠牲にする代わり、みせかけのわかりやすさを身にまとう」というやり過ごし方が、生存価を高める。結果として、わかりやすそうでわからないものだらけになる。
そういうことを米光さんは危惧しているのかな、と、私は想像してみたよ。
(この記事ってトラックバックというものの適用だと思うが、張り方がわからん。)
0731
窓を開け放して扇風機をつけたまま寝たら肩を冷やした。
柔軟を毎日続ける意味と、柔軟は風呂上りがいいという言葉の意味が少しわかる。
スカイプのためのマイクを買うて取り付けたが、まだ使う機会はない。
マイクテストをしてみたら、音声がどうしても鼻声になっておかしいなと思ったが
なんてことはない。風邪引きかけで本当に鼻声になってたのだ。
これ、頭蓋で響く自分の声じゃ気づかないんだ。
額が生暖かくて、時々ツキリとした痛みが頭を刺す。
建物のてっぺんを見ようと思ったら、首を上に向けるか背中を反らすしかない。
建物をてっぺんからつまさきまで見ようと思ったら、遠くに離れて見るしかない。
資格試験用の参考書を買いにジュンク堂に行ったのだが、
目当ての本のフォントや行間がどうしても生理的に好きになれずに困る。
偶々隣に置いてあった心理学検定のテキストと問題集をパラパラと見て
結局買うことにしたのだが、中身で決めたというよりは、日心連の提案した
広範な心理学を10の科目領域に分けるという試みに萌えたのが大きい。
「基本キーワード集」と「問題集」。悪くない選択だと思うが少し誤字が目立つ。
地域援助の底さらいのために、「コミュニティ心理学」(山本和郎)を読んでいる。
初見ではほとんど意味がわからないが、肝なんだろうと思い我慢して読んでいる。
僕は小中高大でほとんどまるきり歴史の科目を避けてきたということもあり、
歴史という概念がいまいちピンときづらいところがある。
しかし、歴史に敬意を払うのは、何をするにも大事なことだと思うんだ。
人間は言わずもがなだが、形骸化してるように見える制度を扱うときは特に。
人が20代から初めた仕事を40代でまとめた書物ってのは、人生が詰まってる。
事例問題を解くにはケースマネジメントが必要だろうってんで、
「ケースの見方・考え方」(ナンシー・マックウィリアムズ)を読んでいる。
このとても口当たりの良い本は、読んでるだけで勉強してる気にさせられるので
意識して自分と引き付けて考えるようにせねば、意外と残るものが減ってしまう。
「ブログ」に張り付いた、あのこの残滓みたいなものをもそもそ食べて、僕ぁ生きる。
ファースト・インプレッションは、「楽しそうで いいなぁ!」
トカトントンの感想と一緒。
そろそろ自分でも芝居をやってみおうかじら。
柔軟を毎日続ける意味と、柔軟は風呂上りがいいという言葉の意味が少しわかる。
スカイプのためのマイクを買うて取り付けたが、まだ使う機会はない。
マイクテストをしてみたら、音声がどうしても鼻声になっておかしいなと思ったが
なんてことはない。風邪引きかけで本当に鼻声になってたのだ。
これ、頭蓋で響く自分の声じゃ気づかないんだ。
額が生暖かくて、時々ツキリとした痛みが頭を刺す。
建物のてっぺんを見ようと思ったら、首を上に向けるか背中を反らすしかない。
建物をてっぺんからつまさきまで見ようと思ったら、遠くに離れて見るしかない。
資格試験用の参考書を買いにジュンク堂に行ったのだが、
目当ての本のフォントや行間がどうしても生理的に好きになれずに困る。
偶々隣に置いてあった心理学検定のテキストと問題集をパラパラと見て
結局買うことにしたのだが、中身で決めたというよりは、日心連の提案した
広範な心理学を10の科目領域に分けるという試みに萌えたのが大きい。
「基本キーワード集」と「問題集」。悪くない選択だと思うが少し誤字が目立つ。
地域援助の底さらいのために、「コミュニティ心理学」(山本和郎)を読んでいる。
初見ではほとんど意味がわからないが、肝なんだろうと思い我慢して読んでいる。
僕は小中高大でほとんどまるきり歴史の科目を避けてきたということもあり、
歴史という概念がいまいちピンときづらいところがある。
しかし、歴史に敬意を払うのは、何をするにも大事なことだと思うんだ。
人間は言わずもがなだが、形骸化してるように見える制度を扱うときは特に。
人が20代から初めた仕事を40代でまとめた書物ってのは、人生が詰まってる。
事例問題を解くにはケースマネジメントが必要だろうってんで、
「ケースの見方・考え方」(ナンシー・マックウィリアムズ)を読んでいる。
このとても口当たりの良い本は、読んでるだけで勉強してる気にさせられるので
意識して自分と引き付けて考えるようにせねば、意外と残るものが減ってしまう。
「ブログ」に張り付いた、あのこの残滓みたいなものをもそもそ食べて、僕ぁ生きる。
ファースト・インプレッションは、「楽しそうで いいなぁ!」
トカトントンの感想と一緒。
そろそろ自分でも芝居をやってみおうかじら。
0729: Seeder to Budder
自分の魔術的願望と現実の間隙を実感するのは痛みを伴うから
この痛みは現実を把握するためには必要な痛みだんだ。
こんなの全然大したことない。
だってみんなもっと全然がんばってるじゃんか。
だから俺は、俺の価値を稼ごう。
そんで他人の役に立つための言葉を磨こう。
社会にタブーはある。しかし心理療法にタブーはないし、演劇にもタブーはない。
この痛みは現実を把握するためには必要な痛みだんだ。
こんなの全然大したことない。
だってみんなもっと全然がんばってるじゃんか。
だから俺は、俺の価値を稼ごう。
そんで他人の役に立つための言葉を磨こう。
社会にタブーはある。しかし心理療法にタブーはないし、演劇にもタブーはない。