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 パラグラフ1

「擂り込まれてくる僕のパターンについて」
 個人には個人のパターンというものがある。そんな当たり前のようなことを、テープ起こしをしながら思いついた。僕はきっと、素敵な言葉や素敵な音が「染み込んでくる」ということがあまりない。僕が好むのは、きっともっと泥臭い方法だ。テープ起こしのように、何度も何度も同じようなことを、反復して反復して嫌になっても繰り返して、そのちょっと絶望的なループの中で、少しずつ、体の中に「擂り込まれてくる」のだ。
 最近になって新しく出逢う、素敵な人やものが多すぎて、今までほとんど意識することはなかったけれど、振り返ってみれば多分僕はそういう風に学んできた。ガッコウでやるような勉強はもちろん、そうでないものも山ほど。(こういう、何かに気付いた!という感覚はとても重要なものなのだが、うっかりするとその快感覚に引き摺られて、肝心な洞察を手放してしまうことがある。要注意。)
 もちろん、「染み込んでくる」学びと「擂り込まれてくる」学びは1人の人間の中で排他的なものとも限らず、単に僕が体験を「染み込んでくる」学びに繋げるだけの身体(スキルと呼んでもいいかもしれない)を持ってないだけかもしれない(そっちの方が有力だ)。そういう視点も大事だし、もし僕が「染み込んでくる」学びによって成長することが出来たなら、どれだけ世界が面白くなるかは、途方もなさすぎて想像がつかない。
 しかし、今ここに「ある」ものと「ない」ものは、観念の上では等価だけれども、実用的には全く別物だ。僕は「ない」もののことをすっかり失念することで固まって行ってしまうリスクを避けながら、でも今目の前に「ある」ものを大事にすることをおろそかにしてはならないのだ。つまり僕は「染み込んでくる」学びの準備をしながらも、「擂り込まれてくる」学びにまず従事することを維持することが第一ってことだ。

 こういう思考の整理はそれ自体何も産み出さないので、何の役にも立たない時間潰しとよく一緒くたにされがちで、実際、思考の整理だと思っていたものがただの時間潰しであることもしばしばある。しかし適切な思考の整理を行っておくことは、少なくとも僕にとっては、生きているだけで必ず生じてくる迷いをキャンセルしうる原動力となる。そして、優柔不断な僕が何かを成し遂げようとするにあたっては、そういう迷いに対抗する力を蓄えることはとても重要な意味があると思うのだ。
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