戯言ヲトメツバキ(完)
言葉にならないものを、少しでも言葉にしようとしていました。
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夏の決心
これは、笑われるかもしれないが、僕にとっては真剣な話だ。
遅すぎるかもしれないが、遅すぎることなんてないとも思う。
「僕」は何だ?
僕の「周り」は何だ?
僕が「志向」するのは何だ?
僕が「自らに課す」のは何だ?
人と出会い交流することの重要性は計り知れない。
しかしそれだけではすべてを説明できない。
僕の精神年齢は相対的に幼く、アイデンティティは拡散している。
しかしそれは結論にすべきではないし、その言葉の意味も掘り下げる必要がある。
「刀語2斬刀・鈍」「NHKへようこそ!」を続けて読んだ。
しかしそれはそんなに大した意味はない。
「僕」という構造。
24歳の夏に、それを明らかにしようと試みる。
構造に切り込みを入れて、1つの「流れ」を創り出す。
24歳の夏の終わりに、それを果たそうと試みる。
このブログと、お隣のサイトは、その記録にしようと思ってる。
どうか見ててください。
たまに覗くのでも構わないから。
夏休みは、時間がある。
考える時間も、動く時間もある。
時間というのは、可能性だ。
エンブリオの卵だ。
多分今年の夏休みは、最後の夏休みだ。
ここで生きなきゃ、何かが確実に死ぬ。
反復することも、拘ることも、感覚に頼ることも、積み上げることも、
すべて同一性を確保するための構成要素だ。
同一性とは、アイデンティティの訳語になっている言葉。
一巡して、戻って来たいものだ。
いってきます
たんっ
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