戯言ヲトメツバキ(完)
言葉にならないものを、少しでも言葉にしようとしていました。
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0220: 低空飛行、湿度上々
(あるいは、’しっとりとした紙飛行機’)
「休みの日はなにをしてるんですか?」
と質問してくれたことを、僕は、僕に関心を向けてくれているのだと解釈した。
ところが僕は、自分が休みの日になにをしてるのか即座に思い出せなくて、
100均やブックオフに行くということを話した。
つまらんことを言ってしまったなぁ、とその場では思ったのだけども、
それだけではないにしろそれは間違いではないし、本当はもっと面白いんじゃないかしら、
と、今日の僕は思いなおしている。
僕がやりたいのは、100均やブックオフに行くということがいかに僕にとって楽しいことか、
それを少しでも多く伝えることで、それには伝える意欲と技術を確保することが大事だ。
書類選考の結果が期日になっても送ってこないなぁと思って電話で問い合わせてみたら、
「合格者には通知してる、そのほかは順次」という答えで、わりとはっきり凹んでしまった。
こういう気分が、食べ物をほおばっているうちにちょっとずつ落ち着いてくるのだから、
イライラした気持ちが、タバコを吸ってるうちにちょっと距離を取れてくるっていうのも、
禁断症状の解消に限らない、ちゃんとした価値があるんでないかとアナロジる。
今日は僕の好きな人に会える予定なので、会えばきっと元気になるだろう。
リビドーの補給。
僕が昔の日記を滅多に直したり消したりしないのは、過去の自分と今の自分の間に
明らかに違っている部分があって、それを無視したくないからだ。
今の僕が日記を直したり消したりしていじることは、昔の僕を今の僕で塗りつぶすということ
に直結すると僕は思っている。
(この違いは本当に僅かなので、ほかの人が見ても違いはほとんどわからないだろう)
でも、本当はもっとうまいやり方があると思っている。
ただ僕がまだそれを知らないだけだ。
昔の僕を損なうことなく、今の僕を生かす。昔の僕と今の僕が手を繋げるやり方があるはずだ。
↓これは、数日前に僕が書いておいた下書きの文。
コミュニケーションとは何ぞや?→その功罪は?その欠落(ディスコミュニケーション)とは何ぞや?欠落の功罪は?その上達法は?その要請する理念は?その感覚は?その真価は?その多様な表現型は?人によってその言葉の中身がずれていることによって生じることは?
内田樹「寝ながら学べる構造主義」を読む。二章まではすっと入ったのに、三章以降はさっぱりわからない。これはきっとぼくがとっても知りたいことを扱っているのだろうが、いかんせん距離が遠くて入ってこない。
稽古の現場で目指されているものに付着した、普遍性のニオイがちょっと強くなってきてつんとする。それに比べて臨床の現場は相対化がかなり進んでいる。それは頭が柔らかいのか、それとも眼が濁っているだけなのか、今の僕には判断しかねる。しかしいつまでも保留してはおけない。
「休みの日はなにをしてるんですか?」
と質問してくれたことを、僕は、僕に関心を向けてくれているのだと解釈した。
ところが僕は、自分が休みの日になにをしてるのか即座に思い出せなくて、
100均やブックオフに行くということを話した。
つまらんことを言ってしまったなぁ、とその場では思ったのだけども、
それだけではないにしろそれは間違いではないし、本当はもっと面白いんじゃないかしら、
と、今日の僕は思いなおしている。
僕がやりたいのは、100均やブックオフに行くということがいかに僕にとって楽しいことか、
それを少しでも多く伝えることで、それには伝える意欲と技術を確保することが大事だ。
書類選考の結果が期日になっても送ってこないなぁと思って電話で問い合わせてみたら、
「合格者には通知してる、そのほかは順次」という答えで、わりとはっきり凹んでしまった。
こういう気分が、食べ物をほおばっているうちにちょっとずつ落ち着いてくるのだから、
イライラした気持ちが、タバコを吸ってるうちにちょっと距離を取れてくるっていうのも、
禁断症状の解消に限らない、ちゃんとした価値があるんでないかとアナロジる。
今日は僕の好きな人に会える予定なので、会えばきっと元気になるだろう。
リビドーの補給。
僕が昔の日記を滅多に直したり消したりしないのは、過去の自分と今の自分の間に
明らかに違っている部分があって、それを無視したくないからだ。
今の僕が日記を直したり消したりしていじることは、昔の僕を今の僕で塗りつぶすということ
に直結すると僕は思っている。
(この違いは本当に僅かなので、ほかの人が見ても違いはほとんどわからないだろう)
でも、本当はもっとうまいやり方があると思っている。
ただ僕がまだそれを知らないだけだ。
昔の僕を損なうことなく、今の僕を生かす。昔の僕と今の僕が手を繋げるやり方があるはずだ。
↓これは、数日前に僕が書いておいた下書きの文。
コミュニケーションとは何ぞや?→その功罪は?その欠落(ディスコミュニケーション)とは何ぞや?欠落の功罪は?その上達法は?その要請する理念は?その感覚は?その真価は?その多様な表現型は?人によってその言葉の中身がずれていることによって生じることは?
内田樹「寝ながら学べる構造主義」を読む。二章まではすっと入ったのに、三章以降はさっぱりわからない。これはきっとぼくがとっても知りたいことを扱っているのだろうが、いかんせん距離が遠くて入ってこない。
稽古の現場で目指されているものに付着した、普遍性のニオイがちょっと強くなってきてつんとする。それに比べて臨床の現場は相対化がかなり進んでいる。それは頭が柔らかいのか、それとも眼が濁っているだけなのか、今の僕には判断しかねる。しかしいつまでも保留してはおけない。
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