戯言ヲトメツバキ(完)
言葉にならないものを、少しでも言葉にしようとしていました。
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0624:Pawn Shop
私が私の頭の中にあることを言葉にしようとしたときに、説明不足になってしまうことがよくある。誰にとって不足なのかというと、私以外の読み手にとって、だ。
私自身は書かれていることを既に知っているので、多少言葉が少なくても、補完して意味が通じてしまう。極端な話、いくつかのキーワードを並べただけで一連のストーリーが再生できることもある。
ところが私以外の読み手は、まだ書かれていることについて知らない。私に面識がある人は、もしかすると私についての知識を動員して、多少は補完ができるかもしれない。それでも限界があるので、私が読むようには意味が通らず、意味不明感が生じる。
なにが言いたいかというと、人は、ものを読むときに、目に入ってくるものと、頭の中にあるものとの両方を読んでいるのだ。そして、目に入ってくるものは誰が読んでも同じだが、頭の中にあるものはみんな違っている。
このことを知っておかないと、知らず知らずのうちに意味不明感を量産することになる。そして大抵の場合、人は意味不明感が増えることを好まないので、その言葉は敬遠される。
人に意味を伝えたいと思うなら、自分にちょうどいい言葉と、他人にちょうどいい言葉のずれを把握して、後者にシフトする作業が必要なのだ。世の中にはこれが無意識レベルで瞬時にできる人がいるが、私はこれが苦手で、意識してもなかなかできない。
また、そもそも人に意味を伝えたいという意識自体が薄いような場合もよくある。そのような場合は、できる/できない以前にやろうとしないのだから、無意識にできてしまう人でない限り、伝わりやすいものにはなりえない。
私はこのブログで、「沸いた感情を吐き出したくて」記事を書いたり、「頭に浮かんだことに言葉を与えて整理したくて」記事を書いたりすることが多いのだが、そのようなとき、「読み手に伝えたい」という目的は意識されないか、重視されない。人に意味を伝えようと思ったら、自分が読む分には不要なことを追加する必要が出てくる。逆に自分にとってもっとも読みやすい文章は、人にとっては必然的に意味不明な文章になる。2つの目的を両立させるだけの文章力が私に不足しているために、トレードオフが生じるのだ。
それから、目的をあまり吟味せずに書き始めることもしばしばある。たぶんブログで記事を書くのはとても簡便で、しかも誰かに頼まれてすることでもないのが原因だろう。そういうときの文章は、いくつもの目的が入れ替わり立ち替わり顔を覗かせ、あるところは説明過剰になり、またあるところは説明過少になるといった、非常にムラの多いものとなる。そんなものを書くくらいなら、いっそ自分のためと割り切って、人にとってはまったく意味不明な文章を書いた方がいいと思う。
書き疲れたので一時中断。
続きます。
私自身は書かれていることを既に知っているので、多少言葉が少なくても、補完して意味が通じてしまう。極端な話、いくつかのキーワードを並べただけで一連のストーリーが再生できることもある。
ところが私以外の読み手は、まだ書かれていることについて知らない。私に面識がある人は、もしかすると私についての知識を動員して、多少は補完ができるかもしれない。それでも限界があるので、私が読むようには意味が通らず、意味不明感が生じる。
なにが言いたいかというと、人は、ものを読むときに、目に入ってくるものと、頭の中にあるものとの両方を読んでいるのだ。そして、目に入ってくるものは誰が読んでも同じだが、頭の中にあるものはみんな違っている。
このことを知っておかないと、知らず知らずのうちに意味不明感を量産することになる。そして大抵の場合、人は意味不明感が増えることを好まないので、その言葉は敬遠される。
人に意味を伝えたいと思うなら、自分にちょうどいい言葉と、他人にちょうどいい言葉のずれを把握して、後者にシフトする作業が必要なのだ。世の中にはこれが無意識レベルで瞬時にできる人がいるが、私はこれが苦手で、意識してもなかなかできない。
また、そもそも人に意味を伝えたいという意識自体が薄いような場合もよくある。そのような場合は、できる/できない以前にやろうとしないのだから、無意識にできてしまう人でない限り、伝わりやすいものにはなりえない。
私はこのブログで、「沸いた感情を吐き出したくて」記事を書いたり、「頭に浮かんだことに言葉を与えて整理したくて」記事を書いたりすることが多いのだが、そのようなとき、「読み手に伝えたい」という目的は意識されないか、重視されない。人に意味を伝えようと思ったら、自分が読む分には不要なことを追加する必要が出てくる。逆に自分にとってもっとも読みやすい文章は、人にとっては必然的に意味不明な文章になる。2つの目的を両立させるだけの文章力が私に不足しているために、トレードオフが生じるのだ。
それから、目的をあまり吟味せずに書き始めることもしばしばある。たぶんブログで記事を書くのはとても簡便で、しかも誰かに頼まれてすることでもないのが原因だろう。そういうときの文章は、いくつもの目的が入れ替わり立ち替わり顔を覗かせ、あるところは説明過剰になり、またあるところは説明過少になるといった、非常にムラの多いものとなる。そんなものを書くくらいなら、いっそ自分のためと割り切って、人にとってはまったく意味不明な文章を書いた方がいいと思う。
書き疲れたので一時中断。
続きます。
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