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 0625:

昨日11時からの飲み会でオールなんてしてしまったので、今日は休日にして、こまこまとした用事を片付けることにした充電日。常勤職で働くには、僕は電池が切れるまでの時間が短すぎる。秋からは、とりあえず週5日で働けることを目標にしてみよう。

証明写真のデータCDをDPEショップに持って行ったら、たった10分、わずか1枚35円で焼き増しをやってくれた。なんだこの超絶なシステムは!全然知らんかった!!!科学技術ってのは、おっそろしく根底から地域の生活を変えるな。

図書館で予約していた電撃Hpが届いたと連絡が来たので取りに行き、「メタル・グゥルー」「ロンドン・コーリング」「チャリオット・チューグル」そして「枢機王狙撃」を読む。電撃Hpは一昔前を感じさせる装丁をしていて、別に当時読んでいたわけでもないのに、なんとなく懐かしくて嬉しくなった。

文化庁と著作権から連想して、古本屋と図書館のもたらす影響を考えたくなる。国がやっていることで僕の生活に全く関係のないことって、意外と少ないんじゃないか?

そして、小説のコピーを取りながら思った。これは文化の「消費」行為だ。僕は間違いなく何かを「消費」しているのに、それに結構無自覚だ。消費と生産というものは対極にあるのに、それらはしばしば混同されるのではないかと思う。愛することと壊すこと。研究会という名の勉強会が乱立していることを思い出す。Scientist-PractitionerモデルのPractitionerが、日本では研究者と訳されているが、本当にそうなのかと疑問に思うがこれは多分別の話。それから行為者と被行為者も混同されやすかないか。壊すことと壊されること。これも別の話か。精神分析的。
(※追記・・・研究者でなく、文字通り科学者と訳していることも多いらしい。偏ったサンプルを見てた。それでもこの言葉が正確な意味で受け取られているとは思えない。)

公園を散歩しながら、最近聞いた話をぐちゃぐちゃ繋げてかき混ぜて考える。役割分担を明確にすることは、代替可能性の低下を引き起こすんじゃないかとか、打っても響かないものを規則で処理することは、社会人ならば真っ当なのだろうが、臨床家や教育者だったらなにかほかの第一選択肢を用意してほしいなとか、じゃあ、僕はそういうときにどうするか? とか、考える。

一人称の「私」を慣れないながらも濫用していると、こいつが新しい自分を引き出してくれるのではないかという期待に思い至る。というのは、僕が使う「僕」「俺」「あたし」は、基本的には主観的な自我を指しているのだが、「私」は客観的な自我を指すのに具合が良いのではないかという気がしている。言い換えれば、他人に対して自分を提示するのに、「私」という言葉は「使える」のだ。
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