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 1016

隣の芝生の青眼鏡。
人間には、類似しているもの同士や、接触していたもの同士を同じものとみなすような傾向がある。ということを指して、「宗教的世界観」と呼び、そのあとに続けて2つくらいの、それに取って代わる世界観について論じた文章を前に読んだのだが、なんだったか思い出せない。
僕がなろうとしているもの。心理士で、プロで、大人で、子供で、男で、物語りで、自分。人間人間人間。

整理してみよう。
いや、できるわけがないのだが、しかし、それでも。
と、いうのが『有人衛星プロジェクト』。
いきなし頓挫してますが。
スタートダッシュ成功、ただし直後にスニーカーのヒモ踏んづけて頭からトラックに直撃、みたいな。

僕が言いたいのは、くっついて接触して隣接して、いて、相互に影響を与えているものを、同じものだと見るな。裏表だと見るな。裏と表だって切り離せる。運命共同体の程度はさておき、分節の境界線をぶつりと切るのは、相当度胸のいることだと思い給え。ということだ。
とは言っても世界には、生きてるだけで毛穴から度胸が噴き出てる人間もいるもので、切られずに残ってる分節は、そういう人間に切られるためにだけ存在している。でもそれが、彼女にとってそうなだけで、歩き始めたばかりの僕には手放せない手すりだったりする。かもしれない。

なんか個人のそうエネルギーというか存在の総体というものが、様々なドメインに異なる重みづけで分布しているイメージがあって、例えばどこぞのハリ子さんは、身体に比重があるのかなぁとか、最近のブログを読むと思う。するとその布置がシステムとして持つ性質を、ははは、知りたいものだな。星座みたいだ。ゲラゲラ。心理検査のプロフィールを読むのはそれの相似形(縮小形)みたいだ。常に力動的な側面で見なければならない。システム。回路。静的に地図を読むのも意味はある。スイッチが入る。血液が巡る。ゲラゲラ、ゲラ!脈が打つ。節目節目が鈍い光を放つ。

それと、やはり自己言及というのはなんにせよ難しくて、だからそれを取り除くだけでも1つのパラダイムができてしまうのだ。だからそれはスイッチのオンとオフにすぎなくて、どちらが正しいとかそういう話ではないのだきっとろう。
僕は自分の見てる世界をアリアリと描くことはできずに、代わりに僕が見てる世界の幾分かと僕が見てる僕自身を頼りなげに映し出す。
「アリる」という、まったく意味の分からない動詞を思いついて思いのほか気に入る。「富樫ー、アリっちゃえよ!」こんな遊びをしてるから僕は駄目だ。

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