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 0619b

人間には認識の世界を単純化する傾向がある。
それは地味ではあるが、ほかの様々な認知機能を支えている。
オーバーワークを抑えている、ヒューズみたいなものだ。
それに完全におんぶにだっこになるのでなくて、限界を見極めて上手に付き合いたい。

Tシャツは、どれも同じようなかたちをしているので、つい同じものと見てしまうが、
部屋着用と御洒落用では、求められる要件が違うので、ランキングも変わってくる。
部屋着では快適さを気にするべきだが、御洒落用では見えを気にするべきだ。
そういう地味に大切なこと。

あずまんが大王が新装版で発売されることに対する評価も、通じるものがあると思う。
作者が公式ブログでコメントしてるような、「出版社が変わることによる新規顧客開拓」
という効果は、既にあずまんが大王を知っている人にはほとんど感じることができない。
そして、今回新たにあずまんが大王を知った人(新装版の恩恵を受けた人)は、
ことさらメディアワークス版について触れることなどはしないだろう。
だから、表に出る世論は圧倒的に前者が優位を占める。
これは、各々が自分のやり方で世界を単純化すると、互いにズレが生じるという話。
その結果、自分には無意味に思えても、他の人にはそうでないことがありえるという話。
当たり前っちゃ当たり前なんだがね。

俺が一番気にしたいと思ったのは、単純化傾向(欲求)に抗うことの難しさ。
準拠枠がなくなるので、認知的な負荷がもんすご跳ね上がるんさ。
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 1619a

http://kamuyyassen.daa.jp/index.html

知人の劇団のwebを作成するにあたり、主宰の人と話をしたのだけど、
そんときになんか、デザイナー気取りになっちゃってる自分に気づいた。
人と関わると、よくも悪くも自分の癖が法則性に従って引き出される。
反省、すれば、何か変わるかもしれない。

院のなんとかさんとのことも、そう。
自分がどういうつもりでそれをしたか、彼女の言いたいこと(きもち)は要するに何か、
自分は何を目的に何に気をつけて彼女とやり取りすべきか、ちゃんと考えて動け俺。
今までのパターンをヒューリスティックに使ったら、きっと今までのように失敗する。
ただ正直であってもよくないし、ただ迎合するのもよくないとは頭ではわかってるが、
複雑難解な対人コミュニケーションに実際さらされると、そういうシンプルに誘惑される。
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 0618

読もうと思えば読めたのに、ずうっと読まずに放置している文献がある。
その中には、「読みたい」と自分から言ったものもある。

優先順位はくり上がるのではなく、上の方がくるくると入れ替わるのだ。
こういうのを、「よくない」と思ったり、「仕方ない」と思ったりしている。

今日は、そういう手付かずだったいくつかの文献に、目を通してみた。
ひとつは「 新人諸君、半年は黙って仕事せよ。」という題の、山田ズーニーという方の書いた、ネットで無料公開されているコラムだ。これは友人から紹介してもらった。
詳細を省いて、ふたつめは、「セクソロジー・ノート」というテキストで、友人から借りたまま3年くらい経っている。
みっつめは、大学院の同期の方が書いた修士論文だ。本人に添付で送ってもらった。

「どうして読まなかったのか?」ということについては、特別な理由はないのだと思う。
一般的な僕の怠慢な心性だ。
「なぜ今日読む気になったのか?」ということの方が、重要な問題に思える。
直接的に言えば、モチベーションが降って沸いたからなのだが、それがなぜかというと。
「新人ながらも社会の中で仕事をすること」「性にまつわる人間というもの」「若者が就職するということ」を理解したいという気持ちが、頭から臓腑に一段ストンと落ちたからではないかと思う。
それがなぜかというと、「仕事ができるようになりたい」からだと思う。「今は仕事ができないが、少しでも日々成長していきたい」からだと思う。
「仕事ができない自分」に直面化するのはもちろんのこと、「それに気づいていながら昨日となんにも変わってない自分」に直面化するのはキツい。「向いてないと知りつつ、それでもやりたいからと選んだ仕事で、できないのは当たり前なのに、できるようになるための努力さえも面倒臭がっている自分」に直面化するのはほんとにキツい。

このキツさから逃れたい。
というと、ものすごい後ろ向きな理由だが、でも、そういうことなんだと思う。
ていうか、横から見たら反吐が出るようなプロセスではあるが。

山田ズーニーさんの言葉は、前読んだときよりはだいぶ入ってくる。
自分に入ってくる言葉だけ選んでいてはいけないよとは、このコラムに書いてあったことだが。
リトルビット、繋ぎ合わせて、私のレイヤー。
アクシズ、ピボット、スタックアップ。

って、あー、こういう風に、思いつくままに文章を書いていると、話題がスライドしていくんだな。
アンカーをおろさないと。これも、これも、学ばねばならないことだ。

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 0613

その文章を読んで、ちょっと意識の水準が下がったような感じがしたのは、
きっとその文章の意味がわからなくて不快になったからだろうと後から思った。

僕には人並み以上に「わかりたい欲求」があって、だから当然なのだけど、
今の自分の準備性でわからないことに触れると、フラストレーションが溜まる。
でも、それを防衛でなくしてしまわずに、フラストレーションのままで留めておけた
ということを、ちょっとだけ嬉しく思う。

ここ2か月半で出会った人たちと貰った言葉はまるっきり完全に僕をパンクさせていて、
だから僕は、選ぶことを余儀なくされている。
選ばずにヒューリスティックに頼ることまで含めて、選ぶことを強制されている。
「なにについて時間を使ってじっくり消化するか。」

選ばなかったものはそのまま遠ざかってしまい、ものによっては永久にさよならになる。
自分の選択が相対的に正しかったかどうかは、原理的にわかりえない。
そんな構図だから、不安はいくらでも、無尽蔵に膨らみ得る。

昨日に引き続いて、抽象的な言葉ばっかりが指先から出てくるの。
たぶん今はそういう位置にいるのだと思って、たゆたいながら感じてみる。
『「モード性格」論』という本を読んでいる。まだ冒頭だが、わくわくする。
質的研究をガチでやっている人と、今年のうちに一度ナマで話してみたい。
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 0614

月曜日、面接試験を受けた。
火曜日、神奈川に行って、会議が休みだった。
水曜日、ニートしてた。
木曜日、神奈川に行った。
金曜日、殺陣のWSに参加した。
土曜日、勉強会に参加して、実家に泊まった。
日曜日、プリズムを観た。

おとといから新しい更新のかたちを始める予定で予告までしたのに、
結局始められませんでした。
いままでのような文章とは違う水準の文章を書こうとしているのですが、
うまくゆきませんでした。

改めてまた来週挑戦します。
以下は、今日の戯言。

今日の僕は、何がしたかったんだろう。
といっても、本当はわかっているのだ。
確かめたいことがあって、確かめようと行動を起こしたけど、明らかにならなかった。
でも家にこもっているのと比べたら、だいぶん意味があることだと思う。
人と喋るってことが、僕にはとっても困難だということは改めて実感したけれど、
ちゃんとモニタリングして、対処法を考えて、次回試してみる、という風に、
ゆっくりとでも繋げてサイクルを回すことができたならば。
わたしの固くなってるところがうじゃりと割れて芽が出てきたっておかしかない。
わたし、絶望感がもっそい沸いてるが、わたし、あきらめたくない。

ある友人が、「本物以外はいらない」 というようなことを言ったことがあった。
その言葉を聞いたとき、僕は意味がちょびっとしかわからなくて、でも気になっていて、
ことあるごとに反芻して、その意味を考えるようになった。
今日図書館に行ったとき、ほんのちょっとその意味が溶けて入ってきた感じがあった。
そのとき僕は心理学の書棚を見ていて、認知心理学を俯瞰できるテキストを探していた。
ところが、心理学全般について書かれた簡潔な本か、あるいは詳細すぎる本しかなかった。
今の自分のレベルにぴったしの本がなかったのだ。
今までだったら多分、ぴったしでなくともどちらかの本を借りていたんだろうと思う。
でもそのとき、冒頭の友人の言葉を思い出して、何も借りないことに決めたのだ。
こうして文章にしてみるとぎこちなくて地味な話だけど、これは記録に値することだと思う。
なんちゅうか、育てていきたい感覚が産まれた瞬間に立ち会った気がするのだ。
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