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 0515→0516

・木曜日は小学校に行って色々と凹む。感覚的には肉体の疲れで割り増しされてるところがあるが、頭の中で計算してそれを差っ引いてもそれでもかなりのダメージ七,八種盛り合わせ。「やっちまった自分」「あ。ヤバいかも。と思ったのにやっちまった自分」「あ。ヤバいかもと思ったと思ったけどそれも実は後付けの自己保身で、その瞬間は別にヤバいとか思ってなかったかもしれない自分」「後始末を完全に先生に投げてしまってただ突っ立っていた自分」等々、位相をミリミリずらしつつ、泣きたい気分にはなっても涙が出る気は更々しない自分も結構嫌い。粗悪品の感情装置。
・そんなネガティブアイデンティティに浸るのも、高っかい所からプールに「だっぱーん」つって突き落とされてブグブグ沈んでるような状態だろうから、つまり放っておいてくれたらひとしきり沈んだ後で浮上に転じてゆらゆら登って「じゃあこれからどうすっか」という、未来のベクトルを見られるようになり、恥ずかしながらもそのうち水面に顔を出すのだ。だからそのこと自体はさして問題ではない。しかし、ここまでのタイムは社会でも俺の中でも無制限ではなく、あんまり甘えてるとブルーの液体はブザー音と共に真っ赤に染まり、敗北による終了が宣告される。世間はある程度待ってくれるが、いつまでも待ってはくれない。
・ひょっとこ乱舞のリーディングを観て、別役実の「不思議の国のアリス」、面白くはあったのだが、周りの人が言っていた面白いところが自分にはピンと来ないのに「そうですねー」とか言ってしまい、随分とダメんな気持ちになった。観劇の後の時間を人と共有するのは難しい。共に響けたら、なー。
・その後、久し振りに実家に帰ってその臭いを肺に吸い込む。一緒の家で生活するという行為が持つ力の凄さの片鱗を見る(なんだそりゃ)。僕が例えばカウンセラーになったとしたら、相談に来た人に対して興味を持ったりなんとかしたいと思ったり理解しようと思ったりするのだろうが、それでもやっぱり人生の大切な人とは違うのだろうなということが、なんか言葉にすると陳腐ん完膚んだが、「そうではないか・・・!」と過った。職業としてそれをすること、僕としてそれをすることの、重なる部分と重なれない部分について、もっとはっきりさせたい。言葉になんなくっても、感覚が増強すればそれでいい。
・金曜日は通級学級の見学に行く。特別支援教育のプロフェッショナル。凄え。こんな人たちが調布の近くのこんな静かな町で毎日働いている。世界は面白い。俺もこの、世界の面白さの一部に組み込まれたい。
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