戯言ヲトメツバキ(完)
言葉にならないものを、少しでも言葉にしようとしていました。
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0514
・「体験したことを全部消化するのは諦めた。」と言っていた先輩の言葉を思い出した。共感的理解について1コマ議論した授業。フォーカシングをベースにして、身体感覚に焦点を当てたフォーカシング研究会のセッション。ああもうふわふわのわくわくがとめどない。僕はその素敵なものが放っておくとフロートしてってどっかに行ってしまう気がして、その前に消化するなり楔を打つなりしておきたいのだが、そんなことを言ったら同期の人に、「欲張りだなぁ」と言われた。欲張り。自分の資質を要求水準があからさまに上回っていることを欲張りというのかな。しかし僕は、欲を張ることはとても重要なものの第一段階のような気がする。聞いたばかりの知識を持ってくると、それは多分、欲求と現実の間に折り合いをつけることを学ぶため。自分の欲求が無かったり、分からないと、折り合いをつけることができない。僕は二歳児の発達課題を今やってるんだと思っている。そして折り合いをつけて、現実や空想の枠の中で自分の意志で自分の欲求を満たすことを体験する。くどいようだが、僕はそんな当たり前のことが、当たり前にはできない人間で、だからそんなことがとても愛おしい。
・やりたくないことをいかにしてやるか。これはさっきの副作用だと思うのだが、パイの割振りがへったくそで、どうでもいいと思っているものに対するどうでもよさが過剰になって、そして、それは、いけてない。つまらないことは面白くすればいい、ていうか、面白くしなきゃだめだー。そしてその方法は、俺がギャンギャン騒いで全部枠組み作る以外にも沢山あるはずだー。これも当たり前。
・やりたくないことをいかにしてやるか。これはさっきの副作用だと思うのだが、パイの割振りがへったくそで、どうでもいいと思っているものに対するどうでもよさが過剰になって、そして、それは、いけてない。つまらないことは面白くすればいい、ていうか、面白くしなきゃだめだー。そしてその方法は、俺がギャンギャン騒いで全部枠組み作る以外にも沢山あるはずだー。これも当たり前。
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