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 0626

・昨日の記事の書き方は、個人的に凄い好きじゃなかった。このブログは好きで書いてるものだけど、その中にも好きに書いた記事とそうでない記事がある。別に誰に頼まれてるわけじゃないのだから全部好きに書けばいいのだが、そうもうまく行かない。イライラしてたからってのもあるんだろう。それなら、その気分をそのまま書けばいいのだ。目をそむけたままズレたことを書くから、あんな風になる。アサッテの方を向いて喋ってる人みたいだ。それでも、なんか記事を消すことは極力やめておこうと思っている。昨晩書いた記事を見ながら「あちゃあ」と自分の思慮の浅さを恥じるのも、これの機能のひとつだ。「ぼくはなぜこのブログを書いているのか?」を問い続けるのは、この行為が腐らないために必要なこと。そして、問い続ける作業が腐らないための注意もまた必要となる。それが幽霊の再生になった途端、どちらも静かに腐り始めてゆき、カロリーの消費とよく分からないものを増大させるという機能を果たすだけの害悪となる。さて。
・小学校。午前中はバスに乗って演劇を観に行く。なんと。プールはなくてよかった。あったら死んでいた。十何回もこのフィールドに足を踏み入れているうちに、加わるものと、抜け落ちるものがある。加わらねばならないものと、抜け落ちてはいけないものがある。生きるために。1段階目生きるのは別に脅かされやしないから、2段階目を生きるのや、3段階目を生きるために、僕は考えてそして動かねばならない。その「ねばならない」は、元々は別に「ねばならない」ではなかったものだが、ちょっと前の僕がある選択をした時から、僕の中で「ねばならない」になったのだ。当たり前のようだが、そういうことはもちろんある。そこで選択以前の僕と選択以後の僕をごっちゃにして、「ねばならない」を恣意的に薄めたりしてはいけないのだ。そこにはひとつの断絶、あるいは移行がある。
・あ、もしかしてちょっとだけ分かったかもしれない。僕が「なぜ?」と言う疑問符で問うていることに対する回答は、その行為に先んじて設定してある目的のこともあるが、別にそうでなくてもいいのだろうな。えーとつまり、「その行為が僕にとって現在どういう意味や機能を持っているか」と言い換えられるものだ。「回答」はひとつである必要はなく、内容だけでなく重さも含み、そして時系列に沿って変化(新しく生まれたり、重みが変わったり、消滅したり)していくものだ。
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