戯言ヲトメツバキ(完)
言葉にならないものを、少しでも言葉にしようとしていました。
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0701b: ぶれていた日々
・もう誰かにとっては当たり前すぎる話だと思うのだが、「個々の思考のモードがどれだけ有効か」という問題とほとんど独立に、そして同時に、「いかにしてモードをその時々の状況に応じて使い分けるか」という問題が発生する。新しいものを取り入れると、それは1個の人間の中で人生の色々な側面に伝播して、本来と別の領域にも応用したくなる。僕の場合は臨床と研究と演劇という3つの傾倒している領域(プラス、その他日常生活という領域)があるので、これらの1領域で得た経験や知識を別の領域でも応用したくなる。例えば研究領域で知った「構造構成主義」や、実習で齧った「精神力動理論」などがそうだ。しかしそれ(別領域での応用)には、無限の可能性がある一方で、とても普遍的な危険性がつきまとう。元の領域「と同じように」使うわけには行かないのだ。僕は「個体間の疎通性に対する不信と、個体内での疎通性に対する確信」という、強いパーソナリティ傾向を持つので(そして同時に自我親和性も高かったため、信念・主義・モットーと言い換えても差し支えなかった。今までは)、そういった危険を冒し易かった(もちろんそれによる効用もあることが多いのだが)。その危険性を避けるためには、1つは別領域での応用を完全に諦めるという方法があるが、これは人間に与えられた最高素敵な能力の1つであるアナロジーを黙殺するという意味で実用的ではないし、何より極めて面白くないので、採用しない。ところが恐らく、これをしない限り、危険を完全に避けることは不可能なのだ。しかし、ある視点を持つことによって、危険を減らすことはきっとできる。その視点というのは、一言で言ってしまえば「謙虚さ」ということになるのだろう。しかし一言で言っても実用性に欠けると思うので、この単語をキーワードに、これからもう少し詳しく説明していく。
・↑の文体は、別に意識してないけど、「構造構成主義とは何か?」の影響をモロに受けまくっている。すんごい抽象的で、感情的な記述がほとんどなくって、多分学校の人にこれを話したら「凄い難しいことを言ってるなぁ」とか思われるんだろうな。でも、誰かにとって情緒的でカラフルな空間がとても大切であるように、僕にとっては、この灰色のとろんとした空間も大切なものなのだ。これの中にずっと留まってちゃよくないのは分かっている。もう少し充電したら、色のある外の世界に出ていくから。
・やらねばならんことを箇条書きにして目の前にぷらんとぶら下げて、モチモチうねりながら1コずつ消化していく。恐ろしく地味な、それでいて今の僕には必要な作業。モスバーガーの素敵さをようやっと(2か月半遅れて)体験できた。「仕事を100倍楽しくするプロジェクト攻略本」という恐らく素敵に違いない本も借りられた。サンダルが欲しくなった。100均のお陰でプチリフォームができた。ここしばらく自分のことを愛せなくなっていたのが、今日はほんのちょっとだけそれを取り戻せた気がするので、よかった。
・↑の文体は、別に意識してないけど、「構造構成主義とは何か?」の影響をモロに受けまくっている。すんごい抽象的で、感情的な記述がほとんどなくって、多分学校の人にこれを話したら「凄い難しいことを言ってるなぁ」とか思われるんだろうな。でも、誰かにとって情緒的でカラフルな空間がとても大切であるように、僕にとっては、この灰色のとろんとした空間も大切なものなのだ。これの中にずっと留まってちゃよくないのは分かっている。もう少し充電したら、色のある外の世界に出ていくから。
・やらねばならんことを箇条書きにして目の前にぷらんとぶら下げて、モチモチうねりながら1コずつ消化していく。恐ろしく地味な、それでいて今の僕には必要な作業。モスバーガーの素敵さをようやっと(2か月半遅れて)体験できた。「仕事を100倍楽しくするプロジェクト攻略本」という恐らく素敵に違いない本も借りられた。サンダルが欲しくなった。100均のお陰でプチリフォームができた。ここしばらく自分のことを愛せなくなっていたのが、今日はほんのちょっとだけそれを取り戻せた気がするので、よかった。
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