戯言ヲトメツバキ(完)
言葉にならないものを、少しでも言葉にしようとしていました。
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0118
いま、今度出演する芝居の稽古がまさにダイナミックに動いているところ。
言葉未満のものが日々、滾々もりもりと湧き出ぢていて、言葉が出てこない。
稽古に必死になっている、のかもしれません。
だからいつも以上にぐじゃらぐじゃらなことを書きます。
***
わたしは信じるということを純粋な意味ですることがとても苦手なので、現時点でこの芝居のことを自信を持って人に薦めるには、がんばって嘘をつかねばならない。正直なところ、面白くなりそうな期待も、つまらなくなってしまいそうな不安も入り混じった、混沌とした今の心情は、お誘いメールに載せるには重量オーバーだ。
私はこの芝居をもっともっと面白くしたいし、この芝居をもっともっと面白くしたい人たちが集まってこの芝居を作っていると思うのだけど、それはあくまで個人的で内輪な話で、お客さんにする話ではないと思う。
「見てください!」とは言えない。
「見てほしい」ってことも、正直あまりない。
演劇作品に限らず、「ありとあらゆるものごとの価値は受け手の肉体、つまり関心に依存する」ということを主張する、構成主義とやらから派生した構造構成主義という考え方に一昨年の僕はメロメロにされてしまっていて、それは今でも大きく僕の中に居座っている。
僕がこの芝居を面白いと思うことと、それを具体的や抽象的な誰かに見てほしいと思うことや、誰かがこの芝居を見て面白がるだろうと思うことは、僕の中であんまり繋がっていない。
だから、面白いと思ってもらおうと思ったら、芝居になんか誘えやしない。
たぶん、面白くなかったときも含めて、そこからでもコミュニケーションを続けられるつもりがあるならば、きっと誘えばいいんだろう。
なんか公演参加者に読まれたら怒られそうだなこれ。
言葉未満のものが日々、滾々もりもりと湧き出ぢていて、言葉が出てこない。
稽古に必死になっている、のかもしれません。
だからいつも以上にぐじゃらぐじゃらなことを書きます。
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わたしは信じるということを純粋な意味ですることがとても苦手なので、現時点でこの芝居のことを自信を持って人に薦めるには、がんばって嘘をつかねばならない。正直なところ、面白くなりそうな期待も、つまらなくなってしまいそうな不安も入り混じった、混沌とした今の心情は、お誘いメールに載せるには重量オーバーだ。
私はこの芝居をもっともっと面白くしたいし、この芝居をもっともっと面白くしたい人たちが集まってこの芝居を作っていると思うのだけど、それはあくまで個人的で内輪な話で、お客さんにする話ではないと思う。
「見てください!」とは言えない。
「見てほしい」ってことも、正直あまりない。
演劇作品に限らず、「ありとあらゆるものごとの価値は受け手の肉体、つまり関心に依存する」ということを主張する、構成主義とやらから派生した構造構成主義という考え方に一昨年の僕はメロメロにされてしまっていて、それは今でも大きく僕の中に居座っている。
僕がこの芝居を面白いと思うことと、それを具体的や抽象的な誰かに見てほしいと思うことや、誰かがこの芝居を見て面白がるだろうと思うことは、僕の中であんまり繋がっていない。
だから、面白いと思ってもらおうと思ったら、芝居になんか誘えやしない。
たぶん、面白くなかったときも含めて、そこからでもコミュニケーションを続けられるつもりがあるならば、きっと誘えばいいんだろう。
なんか公演参加者に読まれたら怒られそうだなこれ。
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