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 0906

水曜日は国分寺大人倶楽部「グロテスク」を観た。
脚本の構造がシンプルで、ストーリーがとても見やすかった。
あの雰囲気を作るのは、演出家が酷く繊細な感性なんだろなと思った。
舞台設定(特殊な学習塾)がとっても自分好みだった。

金曜日はカムヰヤッセン「トラベリング・オン・ザ・シャーレ」を観た。
個人的な思いが強すぎて、作品について書ける気がしない。

日曜日はポかリン記憶舎のワークショップに参加した。
前半の体の状態を作っていく作業は、意識が少し広がって楽しかった。
後半の戯曲を使ってシーンを成立させていく作業は、難しかった。
普段の生き方が表れる。

変化するということ、力動的なものに、最近とても興味がある。
(また抽象的なことを言いやがる)
変わることの変わり方。変わらないことのありかた。
変わることの機能。変わらないことの機能。
演劇というものは、観る人によって見えるものが異なる要素が強い媒体だと思う。
同じものを提示しても、そこに感性のある人が観れば明確な何かを感じたり、それを提示する技術に感心したりするが、別の人はそれに対してなんとなくもやもやした感じを受け取るに留まるかもしれないし、また別の人はまったくそれに気づかないかもしれない。
感性だけでなく欲求にも大きく影響されるだろう。演劇は一度に提示される情報量が多いので、必然的に選択的知覚が生じる。人は見やすいものを見るだけでなく、見たいものを見る。
まず第1段階として、そういうことに敏感になりたい。このあたりが心理測定学の理論と繋がってくる、というのは脱線だから置いといて。どういう生き方をしてきたどんな人がこの芝居を観たら、どんなものを受け取るのだろう?不確定要素である観客まで含めた領域で芝居を成立させること。
僕がなんとなく思うのは、芝居はお金を払えば誰でも見ることができるけど、つまり観客が作品を選んでいるようだけど、その一方で、作品も明らかに観客を選んでいるということ。だから棲み分けが生じる。
第2段階として、それを超越したい。超越なんて言葉はあまりにも大きな言葉すぎて使うのが恐れ多い。飛び越える、とか、はみだす、とかいう言葉を使った方が近いかもしれない。ある観客がある枠組みを持っていたとして、芝居を見終わったときにその枠組みがちょっとだけ変化する、そしてそれに気づくような、そんな芝居。演劇にはそんな力があると思う。演劇、演劇、いや?肥大でない形の変化。腹の中にしこりを産みつけるような芝居。なんのこっちゃ。
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