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 0930b

(1)
火曜日は児童福祉施設での勤務だったのだが、
そこの朝礼で講話をせねばならないという大変な日だった。
飲み会で「面白い話」をしろと言われると瞬時にフリーズする僕が、
なにをどうすれば30人の子どもたちに話を聞かせられるというのか!
と、せんせんきょうきょうとしていた。
少しでも受けるかなと思い、どこぞの芸人風にスケッチブックを使うことにして、
100均で買ったはいいものの、当日の朝まで真っ白でどうしようかと思った。

ところが。
意外と反応がよく、ざわついていたものの、みんな良い姿勢で最後まで聞いてくれた。
しかもそのあとで先生や子どもから、「良かったですよ」と言ってもらえたりして、すっかりその日は軽躁状態だった。(父親もそうなのだけど、僕は褒められるのに本っ当に弱い。)

普段は基本軽く鬱入ってるような僕が、こんな風に時々軽躁が続くことがある。
この軽躁というもの、普段の状態と比べると一長一短で、明らかに検討能力が落ちる一方、普段ならためらってしまうようなことについて、勢いでやってしまえることがある。
今は意図的にできない状態のスイッチがもう少しコントロールできるようになったら、軽躁くんが普段の弱点を補うべくいい働きをしてくれるんではないかいうくだらないことを考えた。

(2)
水曜日は参宮橋で勉強会があった。
「生きることと死ぬことについて」というテーマの話があり、若者に聞いてもらいたいということだった(スピーカーはおそらく40代の女性)のだが、正直ピンと来なかった。
若者がみなそうだとは限らないが、今の僕に関して言えば、死について考えるということは、この「ピンとこなさ」について向き合うことがどうしても必要となる。

質疑応答で発言していた人たちはみな、周りの人の死にまつわる体験などを元に意見を交換していたが、その経験が僕にはない。正確に言えば、なけなしの経験は語れるような形になっていない。
3歳の頃に亡くなった父方の祖父。小学校のときに白血病で亡くなったクラスメート。遠くへ引っ越す友人から貰ったのに放置して死なせてしまったペットのカメ。スキーの最中に事故で亡くなった父親の会社の同僚。大学1年の夏に病気で亡くなった母方の祖父。同じく大学1年のときに亡くなった同級生の母親。いくつもの墓参りと法事。いくつもの舞台上で死ぬ人たち。時折「私が死んだら~」「私はもう長くないのだから~」という話をする同居中の祖母。
死にまつわるこれらの体験について、僕は何が語れるのかわからない。スピーカーの方は、若者に何を期待してこの発表をしたのかな。

いつかくる時のために、準備をしておけ、ということ、なのかなあ。
あーあ。

(0)
あの人が欲していたのは、一緒に遊ぶ人なんかじゃあなくて、
もっと全然違うもの、だったのかもしれないなあ、なんて、ぼんやりと思う。
ブログに書いてある、あの人のほんの一部だけを知ってわかった気になって、
検討外れの勘違いをする自分がとても嫌だったから、最近読むのをやめていた。
そうしたら、どっかへ行ってしまった。
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