戯言ヲトメツバキ(完)
言葉にならないものを、少しでも言葉にしようとしていました。
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■身体的なもの
・背筋をやるとき、右側ばかりが頑張ってる感じがあり、左側がまったく動いてる感じがしないという傾向があった。ずっと左右の筋量のアンバランスの問題だと思っていて、右側が強すぎて頑張っちゃうのか、逆に弱過ぎて感覚的にキツいのか、どちらかだと思っていた。だけど今日ふと、俺の上半身が下半身と比べて右側(頭上から見ると時計回り)にねじれているのでは?という考えに思いいたった。自分では真後ろに反ってるつもりでも、実際は右斜めに反っていたのだ。そう考えると辻褄の合うことがもうひとつある。エスカレーターの右側を歩いて昇り降りするとき、左側に止まっている人がいるため体を横にしてぶつからないようにするのだが、俺はいつも右側にひねっている。それが、止まっている人に対して背を向けたいからだという人見知りの問題なのかとなんとなく思っていたけれど、もっと身体的な問題で、上半身が右にねじれてるから右にひねりたくなるのかもしれない。ほかにこの仮説を検討できるエピソードはないかしら。もしこの仮説が正しいとしたら、僕はなにをすればいいかしら。右にねじれているのはどうしてか、筋肉の問題か、もっと物理的長短みたいな問題かしら。
■観念的なもの
・背筋をやるとき、右側ばかりが頑張ってる感じがあり、左側がまったく動いてる感じがしないという傾向があった。ずっと左右の筋量のアンバランスの問題だと思っていて、右側が強すぎて頑張っちゃうのか、逆に弱過ぎて感覚的にキツいのか、どちらかだと思っていた。だけど今日ふと、俺の上半身が下半身と比べて右側(頭上から見ると時計回り)にねじれているのでは?という考えに思いいたった。自分では真後ろに反ってるつもりでも、実際は右斜めに反っていたのだ。そう考えると辻褄の合うことがもうひとつある。エスカレーターの右側を歩いて昇り降りするとき、左側に止まっている人がいるため体を横にしてぶつからないようにするのだが、俺はいつも右側にひねっている。それが、止まっている人に対して背を向けたいからだという人見知りの問題なのかとなんとなく思っていたけれど、もっと身体的な問題で、上半身が右にねじれてるから右にひねりたくなるのかもしれない。ほかにこの仮説を検討できるエピソードはないかしら。もしこの仮説が正しいとしたら、僕はなにをすればいいかしら。右にねじれているのはどうしてか、筋肉の問題か、もっと物理的長短みたいな問題かしら。
・トレーニングはいきあたりばったりにやっちゃいけない。感覚に訴えるものが多いからって、そのレベルだけでやっちゃいけない。
・勉強とは学習のacceleratorなのかもしれない。
・時間は柔軟性があって、こちらの関わりかたによってグニグニと伸び縮みする。
・そしてその極に無時間の感覚がある。
・勉強と学習と研究を混同しない方がいい。
・ことば、からだ、こころ、の蕩けるような蜜月関係を、ざらざらと舌で舐める距離で味わいたい。ネットワークを張る。
・仕事というものをどう捉えるかということを考えずに仕事をすることは、なんとかできるかもしれない。仕事というものをどう捉えるかということを考えずに、仕事についての仕事(言ってしまえば雇用安定行政)をすることはできないと僕は思う。 おそらく間違いなく重層的な理由がある。食うための金を稼ぐとか、自分の能力を発揮するとか、家族を養うとか、憧れの業界に身を置くとか、そのそれぞれについて今の僕では想像もつかない奥深い個別の要素が蠢いているのだ。
■記述的なもの
・木曜、偶然高校の同級生タカミに数年ぶりに会った。ちっとも変わってないように見えたのは、やつが既に高校の頃からある意味で完成していたからなのかもしれない。
・土曜の夜、懐かしのキキ野郎たちと飲んだ。渋い歳の取りかたをしている。あちしはどうにもこどもてぃん。
・ひょっとこ乱舞がもう一度観たくなってきた。
・桑田ケイスケのソロCDを見て日本文学が読みたくなる。
■BALANCEとか
・木曜の勉強会でバランスについて話があった。あなたはバランスを取ることをどのぐらい重視しますか?あなたにとってバランスを取るとはどういうことですか?
■SCOPEとかPERSPECTIVEとか
・たとえばお腹が好いているとき、なにかが食べたくなる。なにかを食べたら落ち着くかもしれない。たとえばめちゃめちゃ眠いとき、ちょっとだけ眠れば落ち着くかもしれない。あるいはガムを噛めば落ち着くかもしれない。タバコを吸えば落ち着くかもしれない。
・わたしたちの行動の少なからずな部分は衝動とか欲求とかいうものによって引き出されているのだけれど、それらの対応関係が常にピタリとしているわけではなくて、ズレてしまっていることがある。ズレてしまう理由を考えると、単に知識が間違っていることもあれば、その延長線上で適切なものを知らないということもあるし、適切なものが難しいから妥協していることもある。ズレたものを求めてしまった結果、達成されたのに釈然としなかったり、自分や他人を傷つけたりしてしまうことがある。
・観念の世界にあるものと、具現化された世界にあるものとはとってもとっても関連している。それは日常においてもそうだし、芸術においては特にそうだ。ゲシュタルト療法の本に書いてあった、心身二元論を否定したエネルギーの多少によるスペクトラムのモデルにはとてもときめいたが、僕の血肉にするにはまだ遠い。
・わたしたちは抽象的なものを扱わねばならない。そしてそのときに、具体的なものを無視するわけにはいかないのだ。心理学を行動科学に含めることを、ぼくは聞き流しちゃあいけないんだ。
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