戯言ヲトメツバキ(完)
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たとえば大学院に入ってからの1年半で、どんなことができるようになったかとか、その上でなにが足りないかとか、そもそも元々どんな力を持っていたかとか、そういうことを認識するのはとても重要なことに思える。それはほかの人がヒントをくれることはあっても結局のところ自分で見つけるしかないし、そしてそれを見つけるためには「本当に自分と向き合う状態」に入らなければならないのだと思うのだが、今の僕にはそれが難しくて、少し困っている。
自分の顔が、わからない。
鏡の無い世界。
これ、怖い。
愛は、あるのだが。
とても未熟な愛だけれども。
世界に対して、隣人に対して、自分に対して、便宜的に「愛」と呼んでいる、ある種の感覚は、実感している。
のだけども。
反対に、ほかの人が僕に向けてくれるものは、とても感覚が薄くて、あるっぽい感じはとてもあるのだが、すごいあやふやで、なんといったらいいのやらという感じ。
愛なんて風に呼べなくて、「ヴァ・・・ヴぁい?」とか言ってしまう。
話は飛ぶけれど、僕はしたいことが沢山あって、でもそのほとんどはしないままで時間が過ぎてしまっている。そのひとつに、僕がここでブログという形式でなにやかにやを延々と垂れ流し続けていることが一体なんなのかということについて、自分なりに暫定的でもぴったりくる言葉を見つけてやるということがある。
それと関連して、フィクションというものに対して僕がどのように関わるべきかということについて、やはり暫定的でも、重心をしっかり預けられる言葉を見つけてやりたいということもある。
ああもどかしい。
かゆい。かゆぅ・・・・ぐない。かぃい。
なんで話が飛んだかというと、前半で書いたような、そういう切実な(かつ現実逃避的なニュアンスをたっぷり含んでいる)トピックをここで書くことの意味を僕は考えなくちゃいけなくて、今それについて心・その他をゆったり用意してやることはできない、(今まさに現在進行形で言葉がつるつると滑り始めている。絶望!)つーかしないでおこうと思うのだが、でも広げた風呂敷は一旦閉じておいた方が絶対にいいと思っていて、(なんせ僕はオチをつけたりまとめたりするのがすこぶる苦手だからして、放っておくとまずほとんどの場合広げっぱなしになってしまう、)後半は前半で広げた風呂敷を閉じるための試みであったりするのだ。
とかいってるが、よくわからん。よくわからんが、おわり。