戯言ヲトメツバキ(完)
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0906
最近部屋に虫が出現しても、叩き潰さねばならないという衝動がそんなに湧かなくなった。別にいいことでも悪いことでもないと思う。
ペルソナを切り替えることが当たり前の環境で育った人たちと、意識してペルソナを切り替える必要がない環境で育った僕。目指すものは万が一同じでも、今やりたいことは違っておかしくない。そしてきっと目指すものも違うんだ。それでも僕らはある程度共有できるという無根拠な確信を抱き始めた僕。だって世界はなんておもしろい!人間はなんておもしろい!
0905b
0905
「ハッカーと画家」というエッセイ集を読んだり、「山ん中の獅見朋成雄」という中編小説を読んだり、最近知り合った人と頻繁にメールのやり取りをしたりする中で、僕の内臓が温かい熱を帯びる。
足を持ち上げて、畳に振り下ろす。反動を使って上体を起こす。全ての物事はそこから始まる。
あひるごはんのweb、ひょっとこ乱舞のweb、そして有人サテライトのwebを更新する。
クーラーを点けたり消したりして、部屋の空気が人工的な匂いになって、窓を開けて蚊が入って、部屋の中で蚊取り線香を焚く。汗で皮膚がべとりとして、野菜炒めは油っぽいが、醤油の濃さは丁度良かった。
昨日の学会で聞いた、行動療法山上敏子先生の話を、専門職大学院九州大学の先生方の話を思い出す。
テープ起こしにうんざりして、耳が痒くなってた僕に。
冷蔵庫の中で硬くなった生チョコを食べたら背中が痒くなった僕に。
扇風機の音は、ずっと鳴っているが、その気になればいつでも消せる。
ピーシーの作動音も、ずっと鳴っているが、その気になればいつでも消せる。
社会とか、社会性というものに対して僕が、どう捉えるか、向き合うか、付き合うか、ということは、ここ暫く、数年の間、薄ぼんやりと僕の周りを漂っていて、僕を部分的に動かしていたのだけど、その産物としての行動は、あまりピンと来るものでなかった。今までは。そして多分これからも。
暫定的でもいい。あとから直したけりゃ直せばいい。
踊らされてるだけかもしれない。それでもいい。
僕は、「社会性を身に付けたい」と、幾分か、思っているんじゃないか?
そんなこと、今まで意識したこともなかった。
皮膚で覆われた表面は冷えていく。 対照的に、腹の底は熱を帯びていく。
見つかったかもしれないそれと、今ここで、この刹那、僕は相対している。
対峙している。
気がしてる。
パラグラフ4
カテゴリの「パラグラフ」と「日記」の境界があやしくなっている。
今まで書いてきたブログを内容によって「パラグラフ」「日記」「メモ」に分け、
日々の出来事を単に記録する役割を「メモ」に、
日々の出来事に触発されて考えたことを「日記」に、
日々の出来事と関係ないところで考えたコラム的なものを「パラグラフ」に、
といった区分を目指してたはずなのだが、「日々の出来事との関連性」という
基準は僕の中でとっても曖昧で、現在のところ、ほとんど機能していない。
実際のところ、ある程度まとまり(バウンダリー)が見える文章をパラグラフにして、
まとまりがない文章が出てきたら、日記の名前で言い訳をしてるくらいの意識がある。
これはちょっと見直す必要があるな。
2.試行錯誤の使い方について。
なにか意図があって始めたなにがしかのことが、実際やってみたら予想通りに
行かないときに、出発点が悪すぎたのだと後ろを責めることを、する必要がある場合も、
そうでない場合もある。
思うに、軌道修正の利く程度が強いほど後者に寄る。
そしてこのブログなんてのは97%後者に寄っているもんだろう。どんどん修正すればいい。
僕はこれを、試行錯誤と呼んでみる。少し使い方が間違っているかもしれない。
どんな場合でもそれができるとは決して限らないが、試行錯誤はよりよいやり方を
見つけるための間違いなく1つのやり方だ。
ただし、この方法にも弱点やら限界やらがあって、柔軟性がなかったり、
あるいは資源が足りなくて、軌道修正に膨大な時間がかかったり、
あるいは実質的に不可能な場合がある。
だから僕はね、試行錯誤という作戦を、自分が物事に向かう1つの道具として
懐に入れながら、その道具がどのような条件で生かされあるいは殺されるのかについて
模索しなければならないし、それを使おうとしているまさに状況において、
どれだけ条件が恵まれているかを見積もらねばならない。
そして時には、下位目標として、条件の改善を立てる必要があるだろう。
仮説検証・修正を繰り返す作戦と試行錯誤作戦の関係についてはまたあとで考えよう。
3.量的な問題の抱える問題について。(前置き)
世の中には影響関係にある2つの変数がごまんとあるが、そいつらが単調関係に
あるかというと、そうとも限らないこともごまんとある。
単調関係というのは、僕の知ってる範囲では、一方の変数が増減するにつれて、
もう一方の変数も増加あるいは減少の、決まった方向に変化する、というものだ。
例えば、ボールを投げる「速度」と「飛距離」を2つの変数とした場合、
その他の条件が等しければ、投げる速度が大きいほど、飛距離も大きくなるし、
速度が小さいほど、飛距離も小さくなる。
これは2変数が増加-増加(or減少-減少)の関係にあり、
単調関係の中でも「単調増加」と呼ばれる。
他の例をあげれば、一定の金額を山分けするときの「人数」と「分け前」を
2つの変数とした場合、人数が多くなればなるほど、分け前は減る。
人数が少なくなればなるほど、分け前は増える。
これは2変数が増加-減少(or減少-増加)の関係にあり、
単調関係の中でも「単調減少」と呼ばれる。
単調関係の話はただの前置きだ。
世の中には単調関係でない関係も山ほどある。そっちがこの話の主役なのだ。
「非」単調な関係の中で、「U字型」と呼ばれる関係がある。
僕が取り上げたいのは、この「U字型」をさらに少し変形させた、「ナイキ型」関係だ。
ナイキ型なんて、そんな言葉はないのだが、普通、U字が左右対称であるのに対して、
左右対称でなくしたものがナイキ型だと思ってくれればいい。
イメージするための造語だ。
(こういう、わかりやすさを目指した文章を書いていると、大抵どっか途中で
飽きるポイントが来る。今回はここでそれが来た。なぜ飽きが来るんだろう?
この文章が冗長だからか?あるいは、書いてる内容とは関係なく、単に
僕の集中力が低いという問題なのだろうか?よく分からない。)
話したいのは、この「ナイキ型」関係のことなので、「U字型」関係については特に
説明しない。2変数がナイキ型関係にある場合、一方の変数を低いところから
だんだんに増やしていくと、もう一方の変数は一旦下がる。
しかし最初の変数をそのまま増やして増やしていくと、
一旦は下がったもう一方の変数が今度は上昇を始め、やがて元の値よりも大きくなる。
「ナイキ型」をそっくりそのまま上下に反転させた、「逆ナイキ型」の関係も、ある。
この場合、一方の変数を低いところからだんだんに増やしていくと、
もう一方の変数は増加する。しかし、ある点を越えてもなお最初の変数を増やしていくと、
増加していたもう一方の変数は減少に転じ、やがて元の値よりも低くなる。
4.量的な問題の抱える問題について。(本題)
努力と成果の関係について、上で説明してきた2種類の関係をあてはめてみようと思う。
すなわち、「ナイキ型」と「逆ナイキ型」だ。
努力と成果がナイキ型であるようなものについては、
ある程度までやりきることが重要となる。
中途半端なところでやめてしまえば、それまでに費やした努力が無駄になるばかりか、
結果としてマイナスの影響を与えることもありうる。
逆に、努力と成果が逆ナイキ型であるようなものについては、
ほどほどにしておくことが重要となる。
ある程度までは努力と成果が対応しているのだが、
その夢を欲張りすぎると破滅することになる。
世の中にはこういう、単調でない関係のものが沢山ある。
それなのに、あたかもそれらが単調増加の関係にあるかのように仮定して動くと、
それは偶然の確率で不幸なことになる。
特にナイキ型の場合、途中で脱落するということは普遍的に生じえる現象だからして、
あたかもそれらが単調減少であるかのように認識されてしまうこととなる。
それは、ナイキ型の終点にある高みを否定することにつながる。
5.まとめ
一番書きたいことは4番で、そのための準備として1~3を書いてみたのだが、
見直してみるとどうにもいまいちすぎる。
書き直すのは面倒くさいし、消してしまうのは勿体ないので、
これ以上手を入れずにアップする。
それによって、面倒で冗長な記事を読むことになった閲覧者が
負の効果を受け取ったとしたら、これはまさにコストをかけただけ損であって、
僕はもうひと手間かけて、推敲するか、あるいは、削除ボタンを押すべきなのであろう。
ナイキ型だ。
でも僕自身は、このいまいちすぎる文章を書いた意味はそれなりにあると思っている。
ひとつは、自分の表現能力のいまいち具合を実感できたということ。
もうひとつは、多分これは、同じ目的の試みを将来行うときに土台になるであろう
ということだ。
おしまい。
メモ12
0903(32/50days)
●出来事
0831
・夏ゼミ2
0901
・家庭教師
・「刀語 第四話 薄刀・針」(西尾維新)
0902
・外部実習
・「山ん中の獅見朋成雄」(舞城王太郎)
0903
・修論調査
・「ガンダム0083 Stardust Memory 4」(終)
・「再帰的近代としての高齢化社会と人間形成--〈意味感覚としての隠居〉をめぐる現代中年のライフストーリーから」(小倉康嗣)
●特記事項
一.どこぞで紹介されていた質的研究の論文を一読してみたが、難しすぎる。これがなぜ読めないかを考えるのも大事だが、読めるようになるにはどうすればいいかや、読めない場合に代わりにどうすればいいかを考えるのも、もしかするとそれ以上に大事だ。
一.優先順位がつけられないということは、「そんなことよりもっと別にやるべきことがあるんじゃないか問題」を引き起こす。僕のいさぎ悪さは勢いの無さを生み、湧いた水をもよどませる。