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 0629

・僕はよく恩を忘れる。システムを切り離す。切り離れる。切り離れることに抗わない。それは損をする。それは人を傷つける。それは人が離れてく。
・ふんだりけったりな酷い夢を見る。注意が耳に入らなかったり、失敗したり、皆からはぐれたり、ずぶ濡れになったり、痛い思いをしたり、疑いの目で見られたり、ツバを吐いてしまったり、ものを壊してしまったり、息が苦しくなったり、謝ろうと思ったのに謝れなかったり、同級生に説教されてカッとなって殴ってしまい、周りにいた人に押さえつけられたりする、夢だった。、、あ、あたし、今すんごいネガティブになってる!

・あと多分、ぼくはこの季節が怖い。ぼくがぼくでなくなることが怖いのかもしれない。「にょき。」あと人が死ぬのが怖い。人が死ぬ季節というイメージを持っている。これまたネガティブ!
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 0628: 不在確信

・「手紙」という映画をDVDで観る。ちょっと前に話題になっていた沢尻エリカという女優さんの顔を初めてちゃんと見る。顔の下半分が甘太郎に似てる気がする。そして手紙についての個人的背景が活性化されて漠然としたものを想ったり、自分の信念に従って酷く暴力的な手段に訴える人を自分に少し重ねて想ったりする。なんでそんな、なんでそんな確信を持てるんだろう。どうしたらそんな確信を持てるようになるんだろう。
・駒場で後輩に修論調査に協力してもらう。喫煙にまつわる世の中の動きに対する、なんとなく、なんともなく、どうしようもない、違和感。それを――――――細いガラスの糸のようなそれを引き摺りながら、過去の僕から未来の僕に向かって受け渡し続けながら、頭の隅っっこでぼんんやりと考がえて、ゐる。(温度=火力がもっと必要だ、とも。)そのまま、流れで、「食べられる演劇」という概念と、それを志向する人と、その間にあるであろう、それを具現化するための実際的な試みについて、ものを想う。目をそらしたら消えてしまうかすかなもの。中心で見ようとしても消えてしまうもの。つまり、ドーナツ状の周辺視野でしか見られないもの。(受動的注意集中にも、似た。)ふー
・なんか、いつにもまして漠々然々抽象捨象。アウトプットしたくない感、内側への引力を凄い感じる。「構造構成主義とは何か?」の副作用かもしれない。「発達障害はじめの一歩」はさくっと読めてすごいインパクトがあった。「あるある」と思った。対応について書いてあるのが素敵。わぁー
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 0627: 通奏低音

・自転車で池袋まで行くのは、小さなメリットと、小さなデメリットが、幾つかずつある。
・課題面接でよく分からない話になったが、すっきりとまとまる嘘より百万倍よいだろう。やはり少し弱気になっているのかもしれない、ということが意識化できてよかった。
・CDを焼くことは奥が深そうなので、浅いところで何がしかを拾って帰る。3時間ほどいじっていたら、それなりに見えた。時間を贅沢に注ぐ。
・1人でやってると、ダレる。ああその通り。なんで大学受験の時はできたんだろう俺。
・人とやり取りするコトバが弱いのもその通り。同じ道具も、目的が変わると使い方が変わるんだな。
・M1が僕らに色々思うところがあるらしい。聞けたら楽しいだろうな。議論できたらもっと楽しいだろうな。互いに噂話してるのはすごく楽しく無いな。それについてケンカするのは一長一短だな。
・僕は1通目はまともっぽいものが送れるのに、その返事への返事でもう崩れる。というパターンをここ1週間で3,4回やっている。双方向性を帯びると途端になぁ。
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 0626b

・西條先生の本を読んでて思いついたメモ。これはもしかすると現実的制約という枠に回収されるのかもしれない。開き直るわけでは決してないが、「論理的な思考」は研究者にとって必ず担保されるものではない、ということ。だから、作業において論理的な思考を担保するための工夫を盛り込むことには意義がある。IQの高い人にしか使えない研究法より、普通のIQの持ち主でも使える研究法の方が、適用可能性は当然広い。認知的負荷。状態変数。研究者の条件について、僕が今まで読んだ本で具体的に触れられているものはあった気がしない。勘だけど、この人はそのくらいのこととっくに考えているような気がするので、これから引き続きこの先生の書いたものをトラックしていく中で、それについての記述が見つかるんじゃないかと期待している。
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 0626

・昨日の記事の書き方は、個人的に凄い好きじゃなかった。このブログは好きで書いてるものだけど、その中にも好きに書いた記事とそうでない記事がある。別に誰に頼まれてるわけじゃないのだから全部好きに書けばいいのだが、そうもうまく行かない。イライラしてたからってのもあるんだろう。それなら、その気分をそのまま書けばいいのだ。目をそむけたままズレたことを書くから、あんな風になる。アサッテの方を向いて喋ってる人みたいだ。それでも、なんか記事を消すことは極力やめておこうと思っている。昨晩書いた記事を見ながら「あちゃあ」と自分の思慮の浅さを恥じるのも、これの機能のひとつだ。「ぼくはなぜこのブログを書いているのか?」を問い続けるのは、この行為が腐らないために必要なこと。そして、問い続ける作業が腐らないための注意もまた必要となる。それが幽霊の再生になった途端、どちらも静かに腐り始めてゆき、カロリーの消費とよく分からないものを増大させるという機能を果たすだけの害悪となる。さて。
・小学校。午前中はバスに乗って演劇を観に行く。なんと。プールはなくてよかった。あったら死んでいた。十何回もこのフィールドに足を踏み入れているうちに、加わるものと、抜け落ちるものがある。加わらねばならないものと、抜け落ちてはいけないものがある。生きるために。1段階目生きるのは別に脅かされやしないから、2段階目を生きるのや、3段階目を生きるために、僕は考えてそして動かねばならない。その「ねばならない」は、元々は別に「ねばならない」ではなかったものだが、ちょっと前の僕がある選択をした時から、僕の中で「ねばならない」になったのだ。当たり前のようだが、そういうことはもちろんある。そこで選択以前の僕と選択以後の僕をごっちゃにして、「ねばならない」を恣意的に薄めたりしてはいけないのだ。そこにはひとつの断絶、あるいは移行がある。
・あ、もしかしてちょっとだけ分かったかもしれない。僕が「なぜ?」と言う疑問符で問うていることに対する回答は、その行為に先んじて設定してある目的のこともあるが、別にそうでなくてもいいのだろうな。えーとつまり、「その行為が僕にとって現在どういう意味や機能を持っているか」と言い換えられるものだ。「回答」はひとつである必要はなく、内容だけでなく重さも含み、そして時系列に沿って変化(新しく生まれたり、重みが変わったり、消滅したり)していくものだ。
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