戯言ヲトメツバキ(完)
言葉にならないものを、少しでも言葉にしようとしていました。
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みだれ位相
週末が黄金であればあるほど、月曜日はしんどくなるのか。振り子はターンバック。今夜はもちろんブギーバック。
職場で食べたコンビニ飯が、奮発したのに悲しいくらいマズしくて泣きそう。こんなん食べ物じゃない。野菜の入った、あったかいスープが食べたい。
とか呻きながら電車に乗り、コンビニでジャンプを読んで、100%ジュースを飲んでるうちに苛々してきた(いわゆる逆ギレ)。なんで俺がこんなウツウツしなきゃならんのじゃーいと、そのままスーパーでほうれん草、人参、ササミニラピーマンとカゴに放る。カレー色のグツグツを作ってやる。
職場ではおっかなびっくり人と関わっている。スリリングで心臓に悪い。だから想定外に気遣いの言葉をかけてもらって崩れそうになったりする。いずれにせよ消耗が激しい。
リリィシュシュに出演してた市川実和子さんという女優さんが、好みの女性の顔の理想ドストライクでびっくりした。あんな顔の人が実在するんだという類の驚き。
安藤裕子の声が好きすぎて、曲を聴いてるとポーっとしてしまうから、いつも歌詞の意味が全然耳に入らない。
すごく話したいある人とはいまなんだか話せない。僕は話すって行為に何を期待してるのか、もうちょっと自覚した方がいい。
職場で食べたコンビニ飯が、奮発したのに悲しいくらいマズしくて泣きそう。こんなん食べ物じゃない。野菜の入った、あったかいスープが食べたい。
とか呻きながら電車に乗り、コンビニでジャンプを読んで、100%ジュースを飲んでるうちに苛々してきた(いわゆる逆ギレ)。なんで俺がこんなウツウツしなきゃならんのじゃーいと、そのままスーパーでほうれん草、人参、ササミニラピーマンとカゴに放る。カレー色のグツグツを作ってやる。
職場ではおっかなびっくり人と関わっている。スリリングで心臓に悪い。だから想定外に気遣いの言葉をかけてもらって崩れそうになったりする。いずれにせよ消耗が激しい。
リリィシュシュに出演してた市川実和子さんという女優さんが、好みの女性の顔の理想ドストライクでびっくりした。あんな顔の人が実在するんだという類の驚き。
安藤裕子の声が好きすぎて、曲を聴いてるとポーっとしてしまうから、いつも歌詞の意味が全然耳に入らない。
すごく話したいある人とはいまなんだか話せない。僕は話すって行為に何を期待してるのか、もうちょっと自覚した方がいい。
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back in the days
映画「トイストーリー3」を観た。擬人化ものの極北を見た気がした。
映画「リリィ・シュシュのすべて」を観た。演劇的なものの残滓なんじゃないかと思った。
小説「Reverse」(石田衣良)を読んだ。男性側の描写がとても気になった。
汗を掻くのは基本的に気持ちのよいもので、だから僕はこの暑さが嫌いになれない。
でも熱中症はいやなので、早く秋になってくれたらいいと思う。
夜はすっかり秋色模様で、東京の空には月のほか、1点だけ星が光ってる。
最近知り合った人と、"友達"ってことについて話した。
(こういうことについてたっぷり話せるなんて、なんて贅沢なことと思う。)
そこで話したこととは違うけれど、そこを起点にして考えたことがある。
僕には大切な人が何人かいて、その大切さはそれぞれ異なっている。
たとえ何が起きたところでその大切さが損なわれることなど信じられない。
けれど、大切な人というものは大切なものと違って、本質的に不安定な存在だ。
こちら要因だけでなく、あちら要因でも、ぼくとの関係はダイナミックに変わっていく。
それはとても難しいこと。だから面白いのかもしれないけど、やっぱり難しい。
まわりの人で、仕事が忙しい人がたくさんいる。
わたしが、自分のことを忙しいと思えないのは、
急げないからなのではないかと、思わないこともない。
ノリノリになることは、たまにある。焦ることは、しばしばある。
だけど、焦らず急ぐことが、どうもできづらい。
それは、
会社のものさしで見ると、使えない、ということなのかもな、とも思う。
まあ それは それとして、
あたらしい なかまが ふえました。
![37c32d16.jpg](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6a26bad40b17acf3ad5c7222faf1082b/1283095546?w=112&h=150)
電気ポットの漠インザデイズ君。
STEP IN THE DAY / KICK THE CAN CREW
映画「リリィ・シュシュのすべて」を観た。演劇的なものの残滓なんじゃないかと思った。
小説「Reverse」(石田衣良)を読んだ。男性側の描写がとても気になった。
汗を掻くのは基本的に気持ちのよいもので、だから僕はこの暑さが嫌いになれない。
でも熱中症はいやなので、早く秋になってくれたらいいと思う。
夜はすっかり秋色模様で、東京の空には月のほか、1点だけ星が光ってる。
最近知り合った人と、"友達"ってことについて話した。
(こういうことについてたっぷり話せるなんて、なんて贅沢なことと思う。)
そこで話したこととは違うけれど、そこを起点にして考えたことがある。
僕には大切な人が何人かいて、その大切さはそれぞれ異なっている。
たとえ何が起きたところでその大切さが損なわれることなど信じられない。
けれど、大切な人というものは大切なものと違って、本質的に不安定な存在だ。
こちら要因だけでなく、あちら要因でも、ぼくとの関係はダイナミックに変わっていく。
それはとても難しいこと。だから面白いのかもしれないけど、やっぱり難しい。
まわりの人で、仕事が忙しい人がたくさんいる。
わたしが、自分のことを忙しいと思えないのは、
急げないからなのではないかと、思わないこともない。
ノリノリになることは、たまにある。焦ることは、しばしばある。
だけど、焦らず急ぐことが、どうもできづらい。
それは、
会社のものさしで見ると、使えない、ということなのかもな、とも思う。
まあ それは それとして、
あたらしい なかまが ふえました。
電気ポットの漠インザデイズ君。
STEP IN THE DAY / KICK THE CAN CREW
面倒くさいこと、恥ずかしいこと、やってこう
げっそりするくらい家のメンテをして、体のメンテもする。
汚れを拭いて掃除機かけて、皿を洗って、本の並びを変えて。
ゴミをまとめて、草をむしって、荷物を倉庫へ動かして。
食材を買ってきて、調理して、食べて。
100均で雑貨を沢山買って、髪を少し切って。
少し走って、風呂に入って、柔軟をして。
なんで屋という露店の人と少し話す。
芝居において、芝居に限らずフィクションにおいて、感情移入はベーシックだねという話をしたのは昨日。演者は役に感情移入しようとするし、作演は観客を役に感情移入させようとするし、観客は役に感情移入しようとする。ベーシックという言葉はあまりにも便宜的すぎるが、もしそれでなにかまともなものになれるのならば躊躇う理由はない。否定するときだって言葉は必要。
わたしが役者をやるとしたら、青年団の俳優さんが言っていた、「普通にやることは絶対しない」という言葉を大事にしたい。それからクチロロのTONIGHTを歌えるようになりたい。これが最後まで歌えたら、たぶん今よりはちょっとましなものになれるような気がするんだ。
汚れを拭いて掃除機かけて、皿を洗って、本の並びを変えて。
ゴミをまとめて、草をむしって、荷物を倉庫へ動かして。
食材を買ってきて、調理して、食べて。
100均で雑貨を沢山買って、髪を少し切って。
少し走って、風呂に入って、柔軟をして。
なんで屋という露店の人と少し話す。
芝居において、芝居に限らずフィクションにおいて、感情移入はベーシックだねという話をしたのは昨日。演者は役に感情移入しようとするし、作演は観客を役に感情移入させようとするし、観客は役に感情移入しようとする。ベーシックという言葉はあまりにも便宜的すぎるが、もしそれでなにかまともなものになれるのならば躊躇う理由はない。否定するときだって言葉は必要。
わたしが役者をやるとしたら、青年団の俳優さんが言っていた、「普通にやることは絶対しない」という言葉を大事にしたい。それからクチロロのTONIGHTを歌えるようになりたい。これが最後まで歌えたら、たぶん今よりはちょっとましなものになれるような気がするんだ。
ぐったりプライズ
行きつけの歯科に定期検診に行き、実家でご飯を食べて両親と少し話して少し眠って、上野に芝居を観に行って、作演の人とそれなりに話して、夜の予定はキャンセルになってしまったので、クリーニングに出していたスラックスを受け取って家に帰った。いつもの練馬区、文京区。それから台東区。
実家の本棚から「クビツリハイスクール」と「暗いところで待ち合わせ」を取ってくる。薄い本だし、既読なのですぐに読めてしまった。なにかが始まりそうな予感がしているが、世の中には始まりそうで始まらないものはいくらでもあるだろうし、始まっても終らずに途中のままで固まってしまっているものもいくらでもあるだろう。動くのはぼくだ。
久し振りに5日間続けて仕事をして、そのうち2日間はお酒を飲み、うち1日はやたら消耗するものだったため、すっかり疲れきってしまった。わたしがこんなにぐったりしているのに、今のわたしが給料泥棒みたいだという事実は1ミリたりとも変わっちゃいない。その事実は、これから変えられる事実なのだけど。
数週間前から部屋に冷房をつけるようになった。熱中症のニュースを聞いて、恐ろしくなったからだった。しかし汗をあまり掻かないのはどうにもよろしくない。また役者をやろうと思ったとき、いまの身体はとてもとても不自由なものになってしまっていることに気づく。
「人種が違う」という言葉が、話している相手の口から出てきた。以前、「同じ星の人間」という言葉を別の人から聞いたことを思い出した。いずれも比喩的な意味でそういうことを言っていた。メールだけでやり取りをしているまた別の人は、つい最近外国に行って、文字通り人種も言葉も文化も違う人と、なにがしかのやり取りをしてきたらしい。そういったことと、ぼく自身の経験が、だんだんと溜まっていき、あるところでコップから溢れ出す瞬間がある。そうなるとぼくは取り付かれたようにそのことが気になってしかたなくなる。
「紙風船」における夫婦のやり取りを思い出す。ぼくのことを「鈍感」と称した人を思い出す。鈍感と称されたことを話したら「そんなことはないのではないか」というような反応をした人を思い出す。ゲシュタルトの祈りに記されている文句を思い出す。
実家の本棚から「クビツリハイスクール」と「暗いところで待ち合わせ」を取ってくる。薄い本だし、既読なのですぐに読めてしまった。なにかが始まりそうな予感がしているが、世の中には始まりそうで始まらないものはいくらでもあるだろうし、始まっても終らずに途中のままで固まってしまっているものもいくらでもあるだろう。動くのはぼくだ。
久し振りに5日間続けて仕事をして、そのうち2日間はお酒を飲み、うち1日はやたら消耗するものだったため、すっかり疲れきってしまった。わたしがこんなにぐったりしているのに、今のわたしが給料泥棒みたいだという事実は1ミリたりとも変わっちゃいない。その事実は、これから変えられる事実なのだけど。
数週間前から部屋に冷房をつけるようになった。熱中症のニュースを聞いて、恐ろしくなったからだった。しかし汗をあまり掻かないのはどうにもよろしくない。また役者をやろうと思ったとき、いまの身体はとてもとても不自由なものになってしまっていることに気づく。
「人種が違う」という言葉が、話している相手の口から出てきた。以前、「同じ星の人間」という言葉を別の人から聞いたことを思い出した。いずれも比喩的な意味でそういうことを言っていた。メールだけでやり取りをしているまた別の人は、つい最近外国に行って、文字通り人種も言葉も文化も違う人と、なにがしかのやり取りをしてきたらしい。そういったことと、ぼく自身の経験が、だんだんと溜まっていき、あるところでコップから溢れ出す瞬間がある。そうなるとぼくは取り付かれたようにそのことが気になってしかたなくなる。
「紙風船」における夫婦のやり取りを思い出す。ぼくのことを「鈍感」と称した人を思い出す。鈍感と称されたことを話したら「そんなことはないのではないか」というような反応をした人を思い出す。ゲシュタルトの祈りに記されている文句を思い出す。
ものがたり日記
数日前、数週間前、数ヵ月前の自分と今の自分が考えていることは、レパートリーはそんなに変わらないけれど、全面に出ているもののラインナップはだいぶ異なる。
その変遷や、一周して前と同じようなことを考えているのを捉えるために、あたしはブログを書いている。
でも、この意義を意識したのはそんなに昔ではない。あたしは中学生か高校生の頃からネットで日記をつけているのだが、当時はHTMLを使いたい、Webサイトをこまめに更新したい、というのが動機の大半だった。
それから10年、ほぼ途切れることなく日記を書き続けているが、ブログに変わるなどの形式以上に、自分にとってこの行為の意味合いは変わってきている。
しかし、そういったものとは関係なく、同じようなことを10年続けることは、他のやり方ではなかなか達成できないような強い影響を自分にもたらしているだろう。
よくもわるくも、自分の中のそういう色は、消すことも隠すこともできない。
変えられないものにどう向き合うかと、変えられるものにどう向き合うかは、それぞれの難しさ、おもしろさがある。
そんな、抽象的な話。
濃紺トロ~ルを、再起動しまっせ。
参加者募集中。
その変遷や、一周して前と同じようなことを考えているのを捉えるために、あたしはブログを書いている。
でも、この意義を意識したのはそんなに昔ではない。あたしは中学生か高校生の頃からネットで日記をつけているのだが、当時はHTMLを使いたい、Webサイトをこまめに更新したい、というのが動機の大半だった。
それから10年、ほぼ途切れることなく日記を書き続けているが、ブログに変わるなどの形式以上に、自分にとってこの行為の意味合いは変わってきている。
しかし、そういったものとは関係なく、同じようなことを10年続けることは、他のやり方ではなかなか達成できないような強い影響を自分にもたらしているだろう。
よくもわるくも、自分の中のそういう色は、消すことも隠すこともできない。
変えられないものにどう向き合うかと、変えられるものにどう向き合うかは、それぞれの難しさ、おもしろさがある。
そんな、抽象的な話。
濃紺トロ~ルを、再起動しまっせ。
参加者募集中。