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 0206

やいやいやい。ぐじゃらかぐじゃらか。
今日はなんにもない日なので、またいろいろ書く。

1.
ぼくときみが同じでも、
第三者の前で発せられる言葉と、1対1のときに発せられる言葉は違う。
(これは、きっと、確認だ。)
たぶん、第三者がいるときは、要因が増えて複雑になり、出力はしばしば却って単純になる。
ふたりのときの言葉(や言葉以外のもの)は、単純であるがゆえに豊かで、おもしろい。
ぼくがもっと成熟すれば、どっちの言葉も、もっと楽しめるのだがなあ。

2.
辺縁を大事にしよう。
(これも、やはり、確認だ。)

新規場面、つまりよくわからない場で、なにか理解の糸口を掴もうと、じっと観察している初期の状態がある。そのうち、「もしかしてこんなことが起こっているのではないか」「この人はこんなことが言いたいのではないか」などという仮説が思い浮かぶことがある。このときに、仮説を吟味することなく固めて安心してしまうことがよろしくない。初期の仮説は大抵半分正しくて、半分間違っている。仮説の生成作業は、間違っている半分を直すという、精緻化の作業に継がれなければならない。
仮説をもたずに場にいるときは、情報はバラバラと雨のように降り注いでくる。もちろんその中でも、今までに自分がこしらえた枠組みで理解できる断片もいくらかある。仮説を伴って場にいるときは、その仮説に響くような情報がしばしば飛んでくる。もともと場の情報から帰納的に作り上げたのだから、別段不思議なことではない。しかし重要なのは、その仮説に当てはまらない情報が飛んできたときに、それを無視しないことだ。それを受けて、仮説を修正することだ。あるいはもっと積極的に、自分からその場に仮説を検討するような刺激を投げ入れて、その結果を観察することが重要だ。

3.
そして、積み重ねることが必要なものがある。

脊髄反射で動かない。やりっぱなしにしない。鵜呑みにしないで裏を取る。疑いの目を持つ。
それは直観で始まるのかもしれないが、負荷をかけて、それでも続くか、試してみる。
このブログは98%脊髄反射で書いているので、積み重ねる要素がもっとも足りていない。
文章を推敲するっていうことも、積み重ねることの一種だ。
こわいことの1つは、このブログを書き続けることで、脊髄反射のクセがついてしまうことだ。
ただ、脊髄反射でないと拾えないものを拾おうとしているというのも多分あるような気がするので、
クセがつかないように、積み重ねる経験も一方でして、バランスを取るといいのかもしれない。

4.
大きなことをやろうとするときは、長い時間がかかる。
その中で、自分がどの段階にいるのかによって、やるべきことは変わってくる。
自分が次に進む段階なのに、前の課題にしがみついていてもいけないし、
自分の身の程を知らず、難しいことをやろうとしても得るものは少ないだろう。
自分に適当な課題を探して見つけて行うことが大事。
でも、それはぴったりでなかったとしても、それなりに得るものはある。
それゆえにまったく無駄とは言えず、しかしそれゆえにそのズレは気づかれにくい。
言ってて恥ずかしいけど、ぼくは「人と関わること」とか「人を好きになること」について、
もうそろそろ次の段階に進む時期なのではないかと、ちょっと思ったりしている。

(ヤー!こんな風に「段階」みたいな概念でもってモデル化することも恥ずかしければ、
大きな目標として「人を好きになる」なんてことを持ち出すことも恥ずかしければ、
自分がそれをちょっとできるようになってるんじゃないかとうぬぼれることも恥ずかしいのだが、
でもね、こういうことも、やっていってみればいいと思うんだよ。
自分の感覚と他人の言葉に開かれていれば、間違っていても損失はそんな多くない。)

その時その時で自分に必要な課題を見つけて対峙して、そのたびになにかを得ていく。
次の段階に必要なものも含まれているし、あんまり関係のないようなものもいっぱいある。
この、プロセスっちゅうか、道のり。
目標を果たした瞬間にすべてが報われるというようなものがあって、そういう場合は、
この道のりを進むことにはそんなに意味がない。
でも大きなことのほとんどは、目標を設定することは重要だけれども、その上で、
この道のりを進むひとつひとつが意味を持っているのだ。
この意味ってのは、大きな目標を達成することの意味とは区別したほうが多分いい。
プロセスの意味と、プロダクトの意味と呼んでみようか。少しずれてしまうかな。
小学校の行事は、むしろプロセスの意味が幅をきかせて、プロダクトはどうでもよかったり。
小さな変化を積み重ねて、人は豊かになっていく。

4.
ぼくは、心理士というものが、職業や資格だけでなく、ある種の生き様をも指すのだと思っている。役者とか、研究者というのもそうだと思う。
あーでもこの話は、またこんど。
交流分析が、ぼくが「幽霊」と呼んでいるものを結構扱っていそうで興味がわいたのだが、それもまたこんど。

追記.
あーこれ、すっげー頭でっかちに考えてるわ。明日見たら消したくなりそう。まあいいや。
今なんか俺は、頭でっかちになりがちなのだな。なにが起きているんだろうな。

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