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 0928

ぱつんぱつんなデイズ。
現在の課題を生じさせる環境(主に仕事)ってのは大体自分自身で決めたものだが、これに適応するのがギリギリ。

日曜日に駒場で東京ビッチ第二作「The Shining Goldfish」という芝居を観たが、あまりにも面白すぎて逆に何も書けなかった。
同じ日に早稲田でシアターハウスbanban「彼女は彼女である」という芝居も観たが、こっちはある女優さんのクセのある声がとても好みで、作演の人も趣味なのだろうと思った。

こんな風に遊びまくっているから、そして仕事が遅いから、その上やたら眠るから、おまけに細部に拘るから、結果として常に締め切りに追われる状態なんだろう。
東京では公開が今週一杯のセンコロールも明日観に行くつもりだ。

でもこの、「ギリギリなんとかやっていけてる(つもりの)状態」っていうのは、「環境への適応」という観点からして、結構なマジョリティを占めるパターンなんじゃなかろうかと最近思っている。
ホメオスタシスのことを延々と考えていたら、適応の対象である「環境」に関心がスライドしてきたのだ。DSMでは割と記載が簡潔だった印象のあるテキオウショウガイは、心理屋にとってはもっと中心に据えていい概念かもしれない。(そして俺が読み流してただけでもっと詳しく書いてあったかもしれない。でもそんなに多くを求めるのは筋違いだろう。)
人は変えられない環境に直面して、適応すべく中身を変えるのだし、変えられる環境を操作することによって、間接的に望ましい方向へと自分の中身を変えるのだ。

前述した「The Shining Goldfish」は、歪んだ家族を舞台にして、それぞれの登場人物の「過去の適応の試み」と「現在における適応の試み」が生々しく表されていた。適応するためにみんなすごい必死で、だから観てる方は目が離せなくなる。こんな芝居を作りたいと思った。
「環境への適応」の環境が対人環境だと、適応ということが反応になるのだろう。コミュニケーション論とか、あるいは演技論に近づいてくる。舞台上で共演者に反応するということ。「相手の話を聞いていない」という態度は常に間違いなのでなく、目の前の相手以上に圧倒される何かへ必死に適応しようと反応している場合はそれが成立するということを、この芝居で気づかされた。重要なのは、「広い意味で」外部環境に反応し続けていること。

わずかな余裕を持つところまで含めた回路を回したいと思うのだが、それはなんちゅうか、ないものねだりなのかなあとも思う。どうせ時間が余ったって、やりたいことはいくらでもあるのだからそちらに注いでしまうのだろう。壁を組み立てる必要がある。大事なのは目標の明確化。欲しいものはなんですか。

その他雑記。(1)安藤裕子が凄い気になっている。(2)読書メーターは漫画を含めるとグダグダになるので仕切りなおそう。(3)相手のことをちゃんと考えながら、自分の好きという気持ちをこの世で成立させられるようになりたい。だからそれは環境を整えるのが大事なんだけど、そのためには一にも二にも度胸が必要なんだろう。
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