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 1009

○残念な日記
昨日は僕の所在地(東京~神奈川)は、朝が台風で大変だった。
昼間に空を見上げたときの、青い空までの 「なにもなさ」 は
感覚的にウゴウゴめくものがすさまじく、そのときぼくは心の中、
ヴィスタ!ヴィスタ!ヴィスタァア~~!と叫び続けたのだった。
(そのあと食べた天ぷらうどんの春菊天もすさまじくおいしかった。)

○北川くん元気かな
北川くんがブログで拙速な同化という言葉で呼んでいるものについて。
僕がこの記事を読んで感じるものは、あまり彼の問題意識とはかみ合わないかもしれないな。たとえば僕が気になるのは、彼自身の「速さ」であったり、彼と広田さんとの類似性であったり、関心の所在であったり、ソシュールの「文節」の概念であったりする。
意味について語るというのは、とても難しいことだ。僕は、賢い人が意味があるとか意味がないとかいう言葉を使うときは、相当慎重にならないと、のっぺらぼうになってしまう危険があると思う。
14歳りたーんずの企画とか、青年団の若手を中心に近頃動き続けているきっと大きなプロジェクトについて、僕はその残り香をおっかけることぐらいしかできない。それが、わたしが焦点の定まらないこの目で見据えているものと、どれだけ交わりがあるものなのかについては、縁が合うまではどうにも進まない。

○また難しいこと考え出した
知的障害の思考の制限については、なかなか理解が難しいという印象があるのだが、時間と空間の展望についての狭さ、というものが1つ参考になるらしい。なぜそんなことを持ち出してきたかというと、時間的展望について考えようと思っているからだ。
過去のわたし、今のわたし、未来のわたし、のそれぞれを、今のわたしがどれだけ想うことができるのか。どれだけ混同せずに区別することができるのか。過去のわたしが好きだったものを、今のわたしが好きだとも限らない。そこを混同してしまうことがある。
未来のわたしが好きになるかもしれなくて、今のわたしは好きになるかもしれないという期待を抱いているものがある。未来のわたしができるようになるかもしれなくて、今のわたしは一生懸命練習しているものがある。そういうものを、今のわたしが好きだとかできるだとか思ってしまうことがある。
なりたいものになるために、変化するために、目標としている状態である風を装うことは重要なことだということはわかっている。僕はそれを、発達心理学の授業で習った意図的誤調律の概念で説明できると思っている。しかしそれはそれだ。その意図を忘れてはいけない。先週号の変ゼミのように、自分を完全に騙すことができる人がいるらしい。
一貫性・連続性を持ちながら、絶えず変化していくものとして私を捉えることは、僕はとてもクリティカル・クリティカルなことだと思っている。だけど今の僕はそれがあまりうまくできない。不完全に試したりしては、穴だらけで途方にくれたりする。
これはただの言葉遊び以上のものがあると思うんだよ。
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