戯言ヲトメツバキ(完)
言葉にならないものを、少しでも言葉にしようとしていました。
[PR]
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
| HOME |
0727: その手は使えない
・言葉遣いに正しい間違いグレーゾーンがあることは流石に疑ったりしない。規範という構造。しかし、言葉遣いの間違いに対して違和感が生じることはともかく、それ以上に、不快感が生じるというのは、一体どういった仕組みによるものなのだろう?、、ということを、父親がファミレスで、店員の言う「お料理すべてお揃いでしょうか」は間違ってる、と言ったことをきっかけに考えた。便宜上、想定する仕組みを、単に規範が自己目的化しているだけの場合と、それ以外の理由がある場合に分けてみよう。前者は、「ルールは守らねばならない」という超自我的なスキーマが汎化したもので、そのルール自体の正当性は全く問われない。もちろんルールというものは、そもそも意味を持たなくても、皆が守ることで機能を果たすことがある(右側通行など)し、その逸脱自体が害でなくとも、逸脱の許容が逸脱のエスカレートを産み出すという(ブロークン・ウィンドウのような)考え方もあるので、必ずしも一義的に正当な根拠があるかどうかを判断するのは難しいと思う。ということを踏まえても、今の僕には言葉遣いを守ることの意義がいまいち直感的に理解できないが、それはその意義が僕の感度の鈍い方面に存在するからなのだろう。、、と言って終わらせてしまってはそれこそ中途半端であり、感度が鈍いなりにその意義を探るのが筋というものなのだろうが、そこまで暇でもないので、中途半端に終わらせることにする。気が向いたら続きを書こう。
・事例検討の事後スーパーヴィジョンに向けて、資料へのコメントを読んでいるが、気持ち悪い。恐らく率直で客観的な、ほぼ正しいコメントなのだろうが、それが断片的に投げ込まれることがこんなに堪えるものだとは思わなかった。コミュニケーションは常に送り手と受け手の理想的な形で行われるなんてことはありえない。
追記
・「よくわかる特別支援教育」を借りたついでに借りた、「ゆれる」を読む。喉のところが詰まるようだ。パソコンに接続されてたスピーカーの線を引き抜いてしまってから、CDプレーヤーは調子が悪くてCDを認識してくれないので、部屋の中ではイヤホン経由でしか音楽を聴けなかったのだが、そういう耳触りが耐えられないことも結構多くて、少し困っていたのだが、今日到着したi cubeのお陰でその「つまり」が取れた。i podの容量が一杯になってしまったので、効果音とクラシックを同期の対象から外して対処したが、新しい機種を買おうとウェブサイトのカタログを見て、うわ高い無理だと諦めて、働いてない自分に焦点が戻って来る。先生に家庭教師の口を紹介してくれるよう頼んだのも、そういう精神衛生的な事情が介入していたのは間違いない。本当に僕はショコラのように甘ったるい。
・事例検討の事後スーパーヴィジョンに向けて、資料へのコメントを読んでいるが、気持ち悪い。恐らく率直で客観的な、ほぼ正しいコメントなのだろうが、それが断片的に投げ込まれることがこんなに堪えるものだとは思わなかった。コミュニケーションは常に送り手と受け手の理想的な形で行われるなんてことはありえない。
追記
・「よくわかる特別支援教育」を借りたついでに借りた、「ゆれる」を読む。喉のところが詰まるようだ。パソコンに接続されてたスピーカーの線を引き抜いてしまってから、CDプレーヤーは調子が悪くてCDを認識してくれないので、部屋の中ではイヤホン経由でしか音楽を聴けなかったのだが、そういう耳触りが耐えられないことも結構多くて、少し困っていたのだが、今日到着したi cubeのお陰でその「つまり」が取れた。i podの容量が一杯になってしまったので、効果音とクラシックを同期の対象から外して対処したが、新しい機種を買おうとウェブサイトのカタログを見て、うわ高い無理だと諦めて、働いてない自分に焦点が戻って来る。先生に家庭教師の口を紹介してくれるよう頼んだのも、そういう精神衛生的な事情が介入していたのは間違いない。本当に僕はショコラのように甘ったるい。
PR
COMMENT
コメントする
このエントリーのトラックバックURL
これがこのエントリーのトラックバックURLです。