戯言ヲトメツバキ(完)
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0215: ふらぐら
幽霊とは惰性に近い。既に役を果たさなくなっているのに、そのことに気づかず、あるいは吟味すらせず、古い方法(あるいは外から与えられた方法)をひたすら繰り返している状態、あるいはその内容だ。
なんとなくあることを後回しにしている自分にふと気づいたので、もうひとつ調子に乗って、それをあえてやってみた。これは幽霊の解体作業だと思うのだが、何回かやっているといつの間にかこれ自体がまた別の幽霊の片棒を担ぎかねない。やったことは、昨日出した遺失物届けを取り消したことと、コンビニでお釣りを貰う時に相手の目を見てお礼を言ったこと。この小ささにして、このローカスオブ関心。
最寄りのスーパーに、わさび菜が売っていたので買った。どう料理しよう。
幽霊には功も罪もある。だからほとんどの人は「幽霊の生成&使用」と「幽霊の解体&非幽霊的対応」を適度にミックスして使っている。個人の能力や環境の要請によって、必要となる幽霊の割合は異なるだろう。ほとんど幽霊を必要としない人でさえ、その生活のある部分は幽霊によって支えられている。
このように、人間生活というような複雑なことを行う場合、まったくベクトルの異なった2つの作業を行う必要が出てくる。それゆえにこれは第3の作業を必要とする。すなわち、今の自分のやるべきことが、2つのうちどちらなのか、あるいはどちらでもないのか、ということを判断する作業である。
大福を毎日コンビニで買って食べている。つぶあんの豆大福が今のところ一番好みだ。コンビニ空間の中で、大福や饅頭が占めている位置を想う。
僕は部屋の模様替えをするのが好きだ。きょう部屋の様々な箇所に相似形のカオスを見つけ、僕が過去に何度も何度も同じようなことを試みてきたことがわかった。それを知ったことと、それを今日見つけられたことが嬉しかった。嬉しかったので、そのカオスなやつらを全部まとめて、こないだ買った新品の本棚の一番目立つところに置いてやった。とても満足した。
カンターベリ、クラーンベリ。
0214
忘れ物は覚えてるだけでもマフラーとベルトを失くした。こないだは
思い出して取りに戻れたが、大学事務室前にカバンを忘れた。
電車の乗り間違い(新宿で山手線と間違えて中央総武線に乗るような)も
多いし、乗り過ごしたり、降りるべき駅より前で降りてしまうこともしばしば。
道にはすぐ迷うし、遅刻はする。食べ物は箸からポロポロと零れる。
それがようやく丸一日くらいそういうミスをしないで済んでいて、立ち直ったか?
と思った矢先、財布が消えた。
ワー。
落としたのかしら。
昨日銀行で壱萬円降ろしたばかりとかそういうのを抜きにしてもダメすぎる。
(ダメージがデカすぎるの略)
泣きそうになりながらそれでも稽古なのでお金を借りて外に出て、
携帯電話でキャッシュカードを止めてもらう手続きをしたのだが、
そのころ、祖母が僕の部屋のゴミ箱からそいつを発掘してくれていた。
ワー。
なんて人騒がせ。
ザ・注意力散漫。
この一連のせいもあって、僕はほんと不安定になっている。
縫い針みたく、アップとダウンをピコピコしている。
楽しいものも充分過ぎるほどあるんで、落ちてく一方じゃないのはかなりの救い。
でもなんだか、この動きの激しさには結構酔いが回ってきていて正直しんどい。
慣れないことに心を開いてぶつかろうとしているのだから(しかも最低2つも)、
ぐじゃらぐじゃらするのは、たりめーなのかもしれんが、
だとしたら、今の生活を選択したちょいと前の僕に想像力が足らなさすぎた。
だからふふふ、ご飯をしっかり食べよう。夜はしっかり眠ろう。柔軟はこまめにしよう。
僕の土台をしっかり肥やして、理不尽で魅惑的な今からを図太く生きるのだ。
(あれ、前向きにまとまった?)
0212: キルキルイキル
言葉っちゅうもんはいい。
僕は言葉っちゅうもんを愛している。
言葉ってのは、うまく付き合えばいくらでも人生を豊かにできる。
うまく付き合うポイントの1つは、言葉が扱えるものと扱えないものの、
境界と、内側と、外側を、それぞれまんべんなく知っておくこと。
今日はそんなことを書く。
フェニタルファブラぁスコ。
0211: 霧間さん
今日は、職場のメンタルヘルスについてのシンポジウム。
昨日は、再決断療法のワークショップ。
こないだは、交流分析のセミナー。
気がつけば結構なペースで立て続けに参加している。
カムヰのワークショップは仲間には入れにくいが、でも入れてもいい。
(ひそひそ)
あたしは、
あんまり劇的にスイッチが入るっちゅうことが、ない。
上がるときも、下がるときも、ゆるゆると地味にフェーダーが動いてく。
絵の具を塗り重ねるように
薄い衣を重ねて着るように
大地に水が染み渡るように
僕のすべてが、少しずつ、前とは別のものに変わっていったとしても、
たぶん表に現れるものはそう大したことはない。
なんと無意味なことを書きたい。
これはまだ言葉になる遥か前のもので、それでもこんなにもおれの心を震わせるのだ。
頭が痛い。目頭が熱い。おお、これは。
日曜までの文化庁メディア芸術祭にちょっと行きたい。
ああでも就職活動をぜんぜんやっちない。
あたしは、大雑把に理解することを覚えるといい。
あと、使えるかどうかという視点を持って知識に臨むといい。
それから、人に頼るのをそんなにこわがらないでいい。
人をがっかりさせるのもそんなにこわがらないでいい。
うん。ぜんぜんダメなのにそれでもブログを書くから、ひどく薄いものしか出てこない。
こうゆう無駄打ちをするから、ぼくは健康に爆発できないのかな。
0207
動いた拍子に、口から こぱり と血ではない液体が漏れて出る。
あれ?あれ?
動揺すると、安心したくて昔のパターンをなぞることがあるのでないか。
安心だった昔のパターンをなぞることで、人は幾分か安心できるのでないか。
ひらがなさんにコンタクトしたり、思考の歯垢をぶちまけたりという、近日の行動に、
そういった解釈をつけてみる。
ああでも幽霊!それは幽霊なのか?
これは悪いことなのか?残念なことなのか?
幽霊は悪いものだと思っていたけれど、悪くもない幽霊もあるのか?
とかとか考え出すと、よくないドツボにはまりそう。
視界が狭なって、目がひんむいて、首が前傾してうなじの上が突っ張ってる。
多分その分類から始めたのが、きっとちょっと間違っていた。
間違っていたときに、戻りたくないけど戻るのは、ときどきすごく大事なことだ。
だけど、間違っていたと思っても戻れないときもあるから、むずかしいもんだ。
いずれにせよ、間違っていると思いながらそれをやるのはつらい。
とりあえず、幽霊の話は撤回しよう。
わくわくすることは、目を向ければいくらでもひろがっている。
いつものクロッキー帳の代わりに、いま大学ノートを使ってみているのだが、
ぴしりと引かれた横線に引きずられて、考えがどうにも窮屈になってしまう。
意志が弱いあたしの精神。
でも人が読みやすいのは、横線に沿った文字なんだろうな。比喩的にも。
とかとか書いてみて、ぼくが同じ出来事を、幽霊だと思って見ている一方で、
最近接なものとして見ていることに気づいた。
なんだろう?これなんだろう?