戯言ヲトメツバキ(完)
[PR]
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
0118b: ちぎってばらけて
カムヰヤッセン「レドモン」を観る。
ぼくは結構楽しんだ。
でも甘粕については、一緒に観に行ったひとの言っていたことがもっともだと思った。
□
どくん。
濃紺PINKに血が通う。
リバーズ・エッジを借りてさらっと読む。
もっともっと、もっと欲しい。
2.
知人の書いたブログを読むのが好きだ。
それはたぶん、ブログの文章というのは、それを通じて、
書き手であるその人について想像を掻き立てられるからだ。
ピースのようなものだと思っている。
ジグソーパズルのピースの1片を見て、それとくっつくであろう、
まだ見ぬ別のピースに思いをめぐらすかのように。
□
言葉はディスプレイを眺めてるだけではあまり入ってこないことが多い。
UnEditorというテキストエディタにコピペして、2mm行間を空けて印刷する。
ぼくが持ち歩いてるバインダーの下の方にはそういうものが挟まっている。
3.
それがほんものか、にせものか、ということについては、
あるいは、ゆるせるか、ゆるせないか、ということでもいいのだが、
ちかづくべきか、とおざかるべきか、ということでもいいのだが、
見極められないで、どうにも宙ぶらりんなきもちだ。
ある女性について、ぼくは、どっちなのか?と、よく考える。
エコーズのように、考える。
彼女は実はすばらしくて、でもそれを認めたくなくて嫌悪でコートしてるのか、
彼女は実はくだらなくて、でも表面的なコートに惑わされているのか、
どっちなのか?
ここが決まらないと、そこから派生する様々な問題も保留にせざるを得ない。
4.
「変化に対してオープンであること」と一言で言っても色々な切り口があるのだな。
根っこにあるものは、ほんのかすかな「意識」程度のもので、外からは全く見えない。
自分で見てやらなければ、それを見つけられるものは誰もいない。
人が見えるのは、そこから派生して顔や動きに現れるものを解釈するだけなのだ。
□
変わるっていうのはもちろん、いいことばかりではない。
わるいことばかりではない。
変わらない方がいいこともある。
変わることを外から要求されることもある。
変わることは諦められて、ダメだと外から判断されることもある。
それを自分でやることもある。
ぼくは、この与えてもらった刃を、磨いていきたいと強く想う。
0118a: 最近の僕らは
15日
小学校に行くも、やることが見つからない。
修論を提出する。
打ち上げ飲み会で久しぶりの人と話す。
終電を逃して泊めてもらう。
16日
昼前に美味しいスープカレー屋に行く。
図書館で職業と喫煙と集団精神療法の本を借りる。
殺陣のワークショップのようなものに参加する。
アメリカから帰ってきた先生と2時まで話す。
17日
療育施設で実習に参加する。頻繁に眠くなる。
ここで自分が週5.5で働きたいと思うかまじめに考える。
障害児の母親支援に興味がある彼と居酒屋で話す。
終電を逃し、大島のマックで5時間始発を待つ。
対人意識が激しく動いて不安定です。
へっこんだりふくらんだり、右にぶれたり左にぶれたり。
ここ3か月は多分、「僕が仕事にしたいものを見つける作業・その1」
とかってラベルを貼れると思います。
「濃紺Psycleモックバルpt.7 ―メルティングポット&サーチライト―」
OJTのように、非構成的な構造で何かを学ぼうとする場合、
その仕事に必要なことをまとめてしかも有機的に学べるのは良いのだが
その一方でそれらが整理できずにごちゃごちゃになって混乱が生じる
こともある。混乱に弱い人は、それを支える棒があるといい。
そういうあたしの、プルタバルタプロジェクト。
0114: ポエ爺
積み上げることをしたい。
そいつをぼくは、スタックアップと呼んでいる。
ぼくがそういう言葉を吐くのは、それをぼくのまわりにとどめておこうと思うからだ。
言葉はただのハンドル。取っ手でしかない。
そういうことでもしないと、ぼくはすぐにそれを見失ってしまう。
言葉は入り口だ。
言葉は鍵だ。
言葉はまるで、小説の題名のようだ。
「ぼくはこれからその小説を読もうとしていて、わくわくしている。」
うるおいが必要だ。
うるおいが足りないと、大切な言葉もかさっかさにしてどっかにこすれてってしまう。
ぴたりぴたっとくっついて、じわりと伝わる熱を感じたい。
言葉より、もうすこし複雑な言葉は、構造だ。
構造は、うごきがないと、ただの死骸でしかない。
息を吹き込んで、回路をうごかして、世界は色づいていく。
「夜明けまえ、太陽が白い光を、青暗い空の世界にそそいでく。」
0111
ヘルタースケルターとか、strawberry shortcakesとかいう漫画、
ぼくがちょっと前に、人づてで興味を持って読んでいる漫画が、
最近火男の広田さんの口から出てくることがあって、おやりと思う。
大きなものさしで動くこともしたいなあ。日々精進。
【嗅覚】【喫煙】【解離】【ホームレス】の4点が、あたしが今もなお心惹かれる
テーマであり、その理由は見当たらなくて直感的というか生理的なのだが、
これらに惹かれる理由がもし見つかったら(たぶん共通の根っこがあると思う)、
ぼくはもう一歩ぼくについて理解することができるだろう。
「香りの愉しみ、匂いの秘密」が、「Secret of Scent」の訳本だということに
今日はじめて気づいた。 ふふふ!
料理の本を見ながら料理を作るということを昨日からやってみていて、
「基本型」というものがいかに大事なのかということを実感し始める。
僕はあまりにも「自己流」でやりたがる人間で、「自己流」と「基本型」というのは
おそらくある程度のレベルまでは対となる。
バスケット、健康管理、演劇、心理臨床、研究、料理、エトセトセトラトラ。
与えられた基本型をしっかりからだになじませる第一段階。
それから必要に応じて基本型を崩したり新しいものを取り込んだりして、
私だけの私ならではの型を、みし、みいだ、み、
・・・・
みそめ、みちびき、、み、みー、みつけ、みろ、つか、つくり、あー、と、、
・・・・・・・
私だけの、私ならではの型を、ついきゅう、追求するのだ。求道するのだ。
で、
社会常識とか呼ばれてるものも、基本型の一種なのだな!
そして、常識というものをお互いに共有していると、ある種の作業がなんと楽なことか!
(って、これも片鱗を味わっただけだけれど。)
スタンダード、コモン、なんたらかんたら、うんたらかんたら。
するとその逆の異質性ってのが気になるけど、もしかして、
異質なもの同士を、クテネク、異質なもの同士が、うまく何かをするための触媒が
共通たる基本型としての社会常識なのか??
そしてそれは人間の必然として、ある部分でドグマ化されて若干前後の不合理を生み出す。
そして僕の日本語は基本型がとってもなっていない。
(そんなんみんなとっくにしってることだが。)
0110: 播磨坂に行こうの歌
ガバガバ水飲んでゴボゴボ沈んで。
体の内側も外側もおんなしことしになってしる。
耳たぶがあつい。目に入るものすべてが記号。
、解読不能。
ぎゅぎゅっと押し込められたときに、発生する熱が、
ヒヨウメンを溶かして、くっつけて、さあ大変だ。
ンァ…ス、ダイテンハ、、ぎるぎる。
ぎるぎる。ぎるぎるぎる。
ぎゅっぎゅっ。
ぎるぎるぎゅっぎゅっ。