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 0124

大学の帰りに、院の同期のある人とバスと電車が途中まで一緒で、少し話した。
この人とはほとんど1年近くの間、まともに話すことができなくなっていたのだが、
(その原因はうっすら想像がつくもいまだに不明)
今日はなぜだろうか、すんなりと話すことができたのだ。

俺はこんな風に普通に話ができたことが嬉しくて、それに対する感謝の気持ちと、
またこういう風に話せる機会が持てたらいいなという希望を表そうと思って、

「今日は君とこんな風に話せてよかった」 と言った。

すると彼女は、ちょっと戸惑った顔をして、 「え?なに?」 みたいな反応をした。

そのあと俺が吐いた言葉が、これだ。


「え?わかんないかなぁ?」

言ったあとで、とっても恥ずかしくなった。
(彼女はその後、 「あ、うん、わかるよ」 とか言って電車を降りた)

恥ずかしかったが、おもしろかったので、ここに書いておこうと思った。

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 0123

長い文章は、自分でも読むのがうんざりする。
簡潔に。具体的に。

<いつもの戯言>
あらゆることは、それがどういう文脈でなされるのかということを抜きにして
評価することはできない。
それが防衛のために用いられているときには、注意する必要がある。

<ぼく>
先生とその他の多くの人に会って、(たぶん)イライラしていて、自己嫌悪も強い。
陶酔と嫌悪のジグ・ザグ。
昨日書いた3つの対応策は、まったくもって正しいように思える。
2番目の中には、おいしいご飯を食べるということを含めてもいい。

<ぼく2>
いつのまにか、「がんばる」ということの意味がわからなくなってしまっている。

<戯言2>
「対人援助職というものは、来談者から「良くなりたい」というエネルギーを貰っている。
だからあれだけしんどいことをやっていけるのだ。」みたいなことを先生は言った。
ぼくは他人に勉強を教えるときにしばしばなる、高揚した気分のことを連想した。
たといその前にどんなにつかれたことがあっても、授業となると驚くくらい動けるのだ。
だけどぼくは、それが正解のようで、2割くらいは確実に外れてることに気づいている。

<戯言3>
デズモンド・モリスの本はとっても面白い。
でもその一方でこれはどうしようもなく確実に防衛なんだ。残念なことに。
正面に顔を向けずに、背けてばかりいると、前に進めないし、癖になってしまう。
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 0122b: リルゼー

場所は寂れた工場で、長い間だれも立ち入ったことのないようす。
床のアスファルトがひび割れて、ところどころから雑草が伸びている。
時刻は昼下がりと夕暮れの間で、扉から差し込む光が照らしているが
うすぼんやりとしていて、細かい表情までは読み取れない。
2人の男女が立ち話をしている。
男は女物の学生服を着ている。

偽装少女
「リルゼー、ねぇほんとリルゼー、ねぇリルゼー。
わたしほんとそう思うの。なぜこんなに、いけてないのかしら。」

リルゼーと呼ばれた少女
「えー≪笑≫、いけてないって、そんな。」

偽装少女
「」

リルゼー≪笑≫
「へぇ。で、そんで?」

偽装少女
「そんで?そんでって、だからゴニョゴニョ・・・」

リル
「」

偽装
「ねぇリルゼー。何を見ているの?」

リル子
「うんうん。」

偽装
「いやうんうんじゃなくて。そんな真剣に何を見ているのって。」

リル
「・・・・・」

偽女
「・・・・・」

↑ダミでした。

こどものもうそうblogで紹介されていた「春にして君を離れ」を読む。
感想は、怖いとか、痛いとか、悲しいとか。
作中に出てくる詩の意味がよくわからないまま流してしまったのが心残り。
「春にして君を想う」に、なにか繋がっているのだろうか。気になる。

小学校内のコラムポスターは、少年写真新聞社ちゅう会社が作っているのね。

「できること」「できないこと」の両方を定義づけることで「境界」を認識すること、
もっと正確には、「場合によってはできること」を加えたグレーな帯域の認識と、
「そこに至るまでの矢印」「そこから進むための矢印」で、動的な発達をみる。
なんだか抽象的な話ばっかだが、こういう骨組みに肉をつけられるといい。

学習支援と認知様式。教育心理学。たとえば学習塾や学校への研修活動とか。
誰がやっている?誰かやっている?教えるって?教職のカリキュラムは?
ヴィゴツキーの位置づけは?基本の型をしらねば応用はひどく長い道となる。
自己流と価値を同じベクトルに載せるための道のり。
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 0122a: ムナサワギの夜

ほとんど昨日の続き。

無意味に思えるヨコモジが頭に浮かんでぐるぐるしているときは、
混乱しているときと、ずやずやしているときがある。
ずやずやしながら混乱していることもあるが、こいつらは基本的に別物で、
そして昨日から今日にかけて浮かんでいるヨコモジは、混乱の方だ。
残念ながら、ずやずやしていない。

こないだあの先生やあの先生に自分のことを話そうとしてみたことや、
その数日前に、あの人やあの人と久しぶりにしゃべったことや、
その数日前に、あの先生やあいつとじっくり話をしたことや、
そんななにやかにやが、ぼくの頭の中をぐるんぐるんに掻き混ぜて、
構造なんてもんが全部ぶちぶちぶちぃと引き千切れて、そこにはもう
茶色いスープが回転してるだけっていう、運動優位の状態になってる。

ほんで、一旦掻き混ざったものを、そのままにして時間が経つと、
おかしなカタマリがそこいらにぼこぼこと姿を表し始めるのさ。
つぎはぎでぶさいくなそいつらは、でも、部分部分を見てみると
どうにも見慣れたやつらでできていて、中途半端に情がわくだけタチが悪い。

そいつは頭の内側の壁にぴとりとガムみたくひっついている。
そいつが引っかかるので、いつも通りに頭を動かそうとしてもうまく動かない。
ぎごちない。
中から生じる予想外の抵抗力に驚きながらも、惰性で行為を続けてしまう。
「ちょっと待って」が間に合わない。

「ずやずや」の出典・・・オーシャンまなぶ(Web漫画)

問題を描写することは大事だが、それで終わってしまっては片手落ちだ。
それにほとんどの場合、描写だけでは描写それ自体が不完全の域を出ない。
とくにぼくの場合は。
その問題に対してどうすればよいか、対応を考えなければならない。

対応。
ひとつはストレッチを丁寧にすること。これは短期的に気分をよくしてくれる。
それに、不快な身体感覚が生じるのを大部分防いでくれるだろう。
ひとつはやるべき日々の行動を認識しやすい場所においておき、淡々とこなすこと。
そこで無理をしないこと。朝起きるとか、夜眠るとか、当たり前のことを当たり前にする。
昼間っからお酒を飲んだり、目に沢山負担をかける活動をすることは避ける。
生活のペースメークができていると、同一性が強まって、自他の区別がしやすくなる。
ひとつはそれを受け入れること。それを取り除こうと強く思いすぎないこと。
この混乱は、大事なものの副作用でもあるから。
このどよんとした空気を吸って吐きながら、それを絶対のものとして楽をするのでなく、
少しでも差した光に気づけるようにアンテイナーを立たせておく。
このみっつのうち、シフト制で常にふたつくらい保っておけたら、なんとかなるんじゃないか。
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 0121: サイトネードーション

昨日は臨床スタッフの先生に、今日はゼミの先生に、自分の課題や今後について話す。
今自分ひとりでそれについて思いっきり考えてる真っ最中なので、わざわざ先生に
付き合ってもらう意義が僕の中であまり見出せず、グダグダになってしまった気がする。
さて。

辺縁を掴むことが、ひとつ重要だ。
人と話をしているとき、相手の話の内容は3つに分けることができる。
知覚して理解できることと、知覚はできるが理解しがたいことと、知覚すらできないこと。
2番目の、知覚はできるが理解しがたいことが、辺縁ということだ。
理解できることに照準を合わせる方が、断然話が続きやすいので、辺縁は得てして
流されていく。会話ってのは提示される膨大な情報の中から常に取捨選択が生じてる。
そんな中で、自分がつい癖で捨ててしまうものを捨てずに拾ってみることが重要だ。
そして、なんで自分がそれをまさに流そうとしていたのかを考えることも重要だ。
もしそれがパターンになっているのならば、必ず自分の中に安定した理由がある。
さて。

ちょっと浮かれて、ペリペリしている。あまりよくない。
落ち着かないコンディションで人に話をすると、こうなることが多い気がする。
ずれていく。ペリペリしている。よろしくない。うれしくない。
こういうときにブログを書いても、ほとんど言葉はペリペリの、ペラペラで。
とっても残念。

さて。じゃあ、
地に足をつけるには、どうすればいい?
降りていくにはどうすればいい?
しっとりとした足の裏で、地面と体重をぎゅゥっと感じるには、なにが必要かな。
ん・・・と。


で、あとはずっと、本の話。

練馬区の図書館で検索したら岡崎京子と魚喃キリコの漫画が沢山あったので予約する。

「読書は一冊のノートにまとめなさい」は買って読んだ。わかりやすくてためになる。
著者である、ぼくとあまり歳の変わらないライターの人について思いをめぐらす。
この人が伝えたいこと。それ以外のこの人の引き出し。この人が書かなかったこと。
本ちゅう媒体の限界ライン。

「マンウォッチング」の文庫版は借りて少しずつ読んでいる。
欲を言えばこの分野について系統的に学びたいが、この本からそれは難しそうで、
でもきっと大きな刺激を受け取れる。実際に使ってみると定着しやすいだろう。

「ファウスト」(岩波文庫)も少しずつ読んでいる。顔合わせまでに一読したい。
僕はまっとうな文学はほとんど読んだことがないし、固い日本語は苦手なのだけど、
公演に対するモチベーション等々に支えられて、少しずつ読み込んでいきたい。

ぼくが茶本と呼んでいる「ひとはなぜたばこを喫うか」も、もう一度借りる。
喫煙行動をテーマに論文を書きたいと思ったルーツであり、今回一番読んだ本。
にも関わらず、この本についてあまり深く理解できなかったのが悔やまれる。
来週の修了試問が終わったら、ほかの「中立本」と併せてもっと可愛がりたい。

「交流分析入門 交流分析療法」は、まえがきのスタンスはとてもよかったのだが
中身を読み始めてみるとどうにも読みづらくて、どうしようか迷っている。
今度交流分析の研修会に参加するので、最低限の基本的知識については
押さえて臨みたいと思って大学図書館で探した入門書がこれなのだが。

「ハルカ 天空の邪馬台国」をこないだ読み終えたので、「ハルカ 炎天の邪馬台国」を
ちょっとだけ読んだ。とても分厚い本なので、時間を取られないように注意したい。
ぼくが凄いと思っているゲームクリエイターのうちの1人が書いた小説だ。
進行のテンポのよさや、コメディとシリアスを万遍なく盛り込んでいるあたりが、
ものすごく王道というか、ジャンプ的な印象を受ける。もちろん良い意味で。

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