戯言ヲトメツバキ(完)
言葉にならないものを、少しでも言葉にしようとしていました。
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0706b: Party People
目的の順番を取り違えちゃいけねぇ。それは色んな意味で不誠実になる。ひとつの活動に目的を複数立てるのは悪いこっちゃないし、時には必要なのだろうけども、バッティングした時に転覆しちゃいけんし、葛藤するのもよくない。そうなるくらいなら、初めからひとつに絞ったらいい。
今日はあの彼の帰国祝いなので、あの彼女に会えるのは副産物なのだ。(ああでも、直接コンタクトを取ることの、刺激がなんと多きことよ!)ああいう形では上手く付き合えなかった彼女との別の付き合い方がむくりと頭をもたげる。
しかし、目的の順番を取り違えちゃいけねぇ。それを目論む振りをして、別のあれを企むのは非常によろしくない。だからまず僕の中にある気持ちが、それなのか、別のあれなのか、もっと不定形なわくわくなのか、ある程度分析する必要がある。
幽霊を再生するだけの行為は、生産的でない。
表面的に似てるものは、時として、似てないものよりも遥かに隔たっている。
んー、ていうか、こういうことを話すのに、「目的」ということばを使うのは、あんまり適切でない気がするな。日常生活ってものは、遥かにファジィ。
ちゃんとその場にいるその人を見られるようになりたい。そしてその時感じたことを、その人の歴史に敬意を払った上で、気持ちを載せた言葉で表現できるようになりたい。
嗚呼、可愛いなぁ、ちくしょう!
今日はあの彼の帰国祝いなので、あの彼女に会えるのは副産物なのだ。(ああでも、直接コンタクトを取ることの、刺激がなんと多きことよ!)ああいう形では上手く付き合えなかった彼女との別の付き合い方がむくりと頭をもたげる。
しかし、目的の順番を取り違えちゃいけねぇ。それを目論む振りをして、別のあれを企むのは非常によろしくない。だからまず僕の中にある気持ちが、それなのか、別のあれなのか、もっと不定形なわくわくなのか、ある程度分析する必要がある。
幽霊を再生するだけの行為は、生産的でない。
表面的に似てるものは、時として、似てないものよりも遥かに隔たっている。
んー、ていうか、こういうことを話すのに、「目的」ということばを使うのは、あんまり適切でない気がするな。日常生活ってものは、遥かにファジィ。
ちゃんとその場にいるその人を見られるようになりたい。そしてその時感じたことを、その人の歴史に敬意を払った上で、気持ちを載せた言葉で表現できるようになりたい。
嗚呼、可愛いなぁ、ちくしょう!
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0706: 蕩け織る
「芝居というものは、ものすごく微細なものを増幅して描くこともできるし、ものすごく壮大なものを圧縮して描くこともできる」というようなことが、平田オリザの本に書いてあったのだと思う。わが町なんかは後者なんだろうな。
そして僕は、前者に拘る芝居を書きたいと思うのだが、ちょっと気をつけなければならないことがある。多分ポイントは、「増幅」の仕方。
ただ体験するそのままでは、微細な感覚でしかないそれ。それを舞台の上に載せようと思ったら、なんらかの形で増幅しなければならない。ひとつのやり方としては、それを観念的に脳内で増幅し、それを語りの形で提示するというものがあると思う。鳥公園はそのような芝居だったのだと思う。もっとも、西尾さんからしてみれば、意図して増幅したというより、「勝手に膨れ上がっていった」という方が近いのかもしれない。
他人の芝居については根拠のない推測が混じりすぎるのでこのくらいにして、増幅の仕方。
この微細な感覚を、その「掴もうとすればするりと消えてしまう」性質を失わずに、受け取り手まで届けたい。
「心理描写は芝居に向いていない」というような話を昔聞いたことがあって、小説や漫画や映画といったメディアの方が向いているという話だった。それは確かにそういう所があるのかもしれないが、例えばそこにハンディがあったとしても、それを補ってあまりあるだけの魅力が、眼前の身体には可能性として宿っているような気がする。
ただこのメディアに対する好みには、あまり自信がない。
ちょっと、芝居の脚本を書くチャンスがあるかもしれないと思うきっかけがあったので、多分こんなことが思い浮かんだのだろう。
酷くまとまらず、ちらばって浮んでたゆたんでいる。ピースオブマインド。
微細なものの運び手として、とても共通了解のしやすい、ビークルのようなものが全体を引っ張るといいんだろうな。電車みたくね、色んな雑多なものをまとめて同じ方向に運んでく。まっすぐ進むだけじゃなくて、曲がったり、止まったりしながら、でも同じベクトルを雑多な乗客に与え続ける。巨大な同一性。
でもそれがあるタイミングで、ふっとバラバラになるのだ。停電でもいい。連なった数珠の糸が切れて、ぶちんと言った瞬間でもいい。携帯で話していて、電波が急に悪くなったのでもいい。繋がって大きなひとつに含まれていたものが、断絶されて、ぼくになる。
すると、そこから立ち現れるものがあると思うんだ。
結局、フェルトセンスに回帰するのかもしれない。走りながら掴もうとして掴めない体験と、止まった中でもっとより鮮明に触れることができる体験。走りながらでも少し息を抜くことを覚えて、前よりはもっとそれを味わうことができるように変化する。人と人を繋ぐもの。世界と人を繋ぐもの。観客と、俳優を繋ぐもの。
黄金を求める歪曲王。初めて読んだ時はちんぷんかんぷんだったが、今は彼のやろうとすることがだいぶよくわかるつもりだ。
アンダーとアッパーなトランス。呪術的な踊り。薬物による精神変容。それはなんだかハンドルだけど、ハンドルは大事だけどハンドルでしかなくて。
嗚呼、あの人に逢いたいなあ!
そして僕は、前者に拘る芝居を書きたいと思うのだが、ちょっと気をつけなければならないことがある。多分ポイントは、「増幅」の仕方。
ただ体験するそのままでは、微細な感覚でしかないそれ。それを舞台の上に載せようと思ったら、なんらかの形で増幅しなければならない。ひとつのやり方としては、それを観念的に脳内で増幅し、それを語りの形で提示するというものがあると思う。鳥公園はそのような芝居だったのだと思う。もっとも、西尾さんからしてみれば、意図して増幅したというより、「勝手に膨れ上がっていった」という方が近いのかもしれない。
他人の芝居については根拠のない推測が混じりすぎるのでこのくらいにして、増幅の仕方。
この微細な感覚を、その「掴もうとすればするりと消えてしまう」性質を失わずに、受け取り手まで届けたい。
「心理描写は芝居に向いていない」というような話を昔聞いたことがあって、小説や漫画や映画といったメディアの方が向いているという話だった。それは確かにそういう所があるのかもしれないが、例えばそこにハンディがあったとしても、それを補ってあまりあるだけの魅力が、眼前の身体には可能性として宿っているような気がする。
ただこのメディアに対する好みには、あまり自信がない。
ちょっと、芝居の脚本を書くチャンスがあるかもしれないと思うきっかけがあったので、多分こんなことが思い浮かんだのだろう。
酷くまとまらず、ちらばって浮んでたゆたんでいる。ピースオブマインド。
微細なものの運び手として、とても共通了解のしやすい、ビークルのようなものが全体を引っ張るといいんだろうな。電車みたくね、色んな雑多なものをまとめて同じ方向に運んでく。まっすぐ進むだけじゃなくて、曲がったり、止まったりしながら、でも同じベクトルを雑多な乗客に与え続ける。巨大な同一性。
でもそれがあるタイミングで、ふっとバラバラになるのだ。停電でもいい。連なった数珠の糸が切れて、ぶちんと言った瞬間でもいい。携帯で話していて、電波が急に悪くなったのでもいい。繋がって大きなひとつに含まれていたものが、断絶されて、ぼくになる。
すると、そこから立ち現れるものがあると思うんだ。
結局、フェルトセンスに回帰するのかもしれない。走りながら掴もうとして掴めない体験と、止まった中でもっとより鮮明に触れることができる体験。走りながらでも少し息を抜くことを覚えて、前よりはもっとそれを味わうことができるように変化する。人と人を繋ぐもの。世界と人を繋ぐもの。観客と、俳優を繋ぐもの。
黄金を求める歪曲王。初めて読んだ時はちんぷんかんぷんだったが、今は彼のやろうとすることがだいぶよくわかるつもりだ。
アンダーとアッパーなトランス。呪術的な踊り。薬物による精神変容。それはなんだかハンドルだけど、ハンドルは大事だけどハンドルでしかなくて。
嗚呼、あの人に逢いたいなあ!
0704
だめだ
ことばがでてきません。
べつに、だめじゃないか。
話したいことは、沢山あるのに、言葉には成らない。
ブレる、逸れる。
真っ直ぐ飛ばすには、僕の方から、始めるのだ。
始めをデザインするのだ。
話したい相手は、頭にはぱっと浮かぶ。
まっすぐ。
ことばがでてきません。
べつに、だめじゃないか。
話したいことは、沢山あるのに、言葉には成らない。
ブレる、逸れる。
真っ直ぐ飛ばすには、僕の方から、始めるのだ。
始めをデザインするのだ。
話したい相手は、頭にはぱっと浮かぶ。
まっすぐ。
0701b: ぶれていた日々
・もう誰かにとっては当たり前すぎる話だと思うのだが、「個々の思考のモードがどれだけ有効か」という問題とほとんど独立に、そして同時に、「いかにしてモードをその時々の状況に応じて使い分けるか」という問題が発生する。新しいものを取り入れると、それは1個の人間の中で人生の色々な側面に伝播して、本来と別の領域にも応用したくなる。僕の場合は臨床と研究と演劇という3つの傾倒している領域(プラス、その他日常生活という領域)があるので、これらの1領域で得た経験や知識を別の領域でも応用したくなる。例えば研究領域で知った「構造構成主義」や、実習で齧った「精神力動理論」などがそうだ。しかしそれ(別領域での応用)には、無限の可能性がある一方で、とても普遍的な危険性がつきまとう。元の領域「と同じように」使うわけには行かないのだ。僕は「個体間の疎通性に対する不信と、個体内での疎通性に対する確信」という、強いパーソナリティ傾向を持つので(そして同時に自我親和性も高かったため、信念・主義・モットーと言い換えても差し支えなかった。今までは)、そういった危険を冒し易かった(もちろんそれによる効用もあることが多いのだが)。その危険性を避けるためには、1つは別領域での応用を完全に諦めるという方法があるが、これは人間に与えられた最高素敵な能力の1つであるアナロジーを黙殺するという意味で実用的ではないし、何より極めて面白くないので、採用しない。ところが恐らく、これをしない限り、危険を完全に避けることは不可能なのだ。しかし、ある視点を持つことによって、危険を減らすことはきっとできる。その視点というのは、一言で言ってしまえば「謙虚さ」ということになるのだろう。しかし一言で言っても実用性に欠けると思うので、この単語をキーワードに、これからもう少し詳しく説明していく。
・↑の文体は、別に意識してないけど、「構造構成主義とは何か?」の影響をモロに受けまくっている。すんごい抽象的で、感情的な記述がほとんどなくって、多分学校の人にこれを話したら「凄い難しいことを言ってるなぁ」とか思われるんだろうな。でも、誰かにとって情緒的でカラフルな空間がとても大切であるように、僕にとっては、この灰色のとろんとした空間も大切なものなのだ。これの中にずっと留まってちゃよくないのは分かっている。もう少し充電したら、色のある外の世界に出ていくから。
・やらねばならんことを箇条書きにして目の前にぷらんとぶら下げて、モチモチうねりながら1コずつ消化していく。恐ろしく地味な、それでいて今の僕には必要な作業。モスバーガーの素敵さをようやっと(2か月半遅れて)体験できた。「仕事を100倍楽しくするプロジェクト攻略本」という恐らく素敵に違いない本も借りられた。サンダルが欲しくなった。100均のお陰でプチリフォームができた。ここしばらく自分のことを愛せなくなっていたのが、今日はほんのちょっとだけそれを取り戻せた気がするので、よかった。
・↑の文体は、別に意識してないけど、「構造構成主義とは何か?」の影響をモロに受けまくっている。すんごい抽象的で、感情的な記述がほとんどなくって、多分学校の人にこれを話したら「凄い難しいことを言ってるなぁ」とか思われるんだろうな。でも、誰かにとって情緒的でカラフルな空間がとても大切であるように、僕にとっては、この灰色のとろんとした空間も大切なものなのだ。これの中にずっと留まってちゃよくないのは分かっている。もう少し充電したら、色のある外の世界に出ていくから。
・やらねばならんことを箇条書きにして目の前にぷらんとぶら下げて、モチモチうねりながら1コずつ消化していく。恐ろしく地味な、それでいて今の僕には必要な作業。モスバーガーの素敵さをようやっと(2か月半遅れて)体験できた。「仕事を100倍楽しくするプロジェクト攻略本」という恐らく素敵に違いない本も借りられた。サンダルが欲しくなった。100均のお陰でプチリフォームができた。ここしばらく自分のことを愛せなくなっていたのが、今日はほんのちょっとだけそれを取り戻せた気がするので、よかった。
0701: θングズ・ピュブリック
・あぁ、そう、そうね。これは、「忘れるために書く」っていうのが相当近い。相当近い…が、「忘れる」ためってのはちょっと違う。正確にいうと、僕がやろうとしていることと、僕が「忘れる」に抱いている意味のズレが無視できないほど大きい。「括弧で括る」ためはイメージが沸くが、中立的すぎて物足りない。もっと発展的なイメージが欲しい。なんだ?「俎上に載せる」ため。「検討する」ため。・・・カタい。「会話をする」ため。「理解をする」ため。・・・そんな積極的に関わるつもりでもない。思いつかないので置いといて、僕が何を書こうとしているかというと、
・リュックを背負った先輩に「益が無い」と言われて動揺したこと。同期の洗練された攻撃性の表出に対して表面的に返したこと。後輩をいまだに全員「さん」付けで読んで敬語が取れないこと。なんか意味がある。忘れちゃいけない。でも思い詰めてもいけない。なにかもっとほかの違う関わり方がある。僕はそれに名前をつけてやることができないが、それのことを考えることはできる。それをすることで感じるものに意識を向けることは多分できる。
・リュックを背負った先輩に「益が無い」と言われて動揺したこと。同期の洗練された攻撃性の表出に対して表面的に返したこと。後輩をいまだに全員「さん」付けで読んで敬語が取れないこと。なんか意味がある。忘れちゃいけない。でも思い詰めてもいけない。なにかもっとほかの違う関わり方がある。僕はそれに名前をつけてやることができないが、それのことを考えることはできる。それをすることで感じるものに意識を向けることは多分できる。