戯言ヲトメツバキ(完)
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1025
「SCQRMベーシック編 ライブ講義 質的研究とは何か」
「SCQRMアドバンス編 ライブ講義 質的研究とは何か」
「構造構成主義とは何か」
「グラウンデッド・セオリー・アプローチ 質的実証研究の再生」
「グラウンデッド・セオリー・アプローチの実践 質的研究への誘い」
「多変量データ解析法 心理・教育・社会系のための入門」
「誰も教えてくれなかった因子分析 数式が絶対に出てこない因子分析入門」
「例題からわかる心理統計学」
「心理統計学の基礎」
「チェンジング・フォー・グッド」
「Wordでラクラク論文作成」
「新・臨床心理士になるために」
「アスペルガー症候群・高機能自閉症の人のハローワーク」
「臨床心理学30章」
「口語表現ワークブック」
「資格のとり方・しごとのすべて 看護婦・士 まるごとガイド」
「pink」
「平坦な戦場でぼくらが生き延びること」
「ハプニングみたい」
「恋なんて、少し不幸ぐらいがちょうどいい」
「愛に似たもの」
「鈍獣」
「犬は鎖につなぐべからず 岸田國士コレクション」
「陰日向に咲く」
「The Book」
「銃とチョコレート」
「刀語 第七話 悪刀・鐚」
「刀語 第八話 微刀・釵」
「刀語 第九話 王刀・鋸」
「刀語 第十話 誠刀・銓」
「刀語 第十一話 毒刀・鍍」
「刀語 第十二話 炎刀・銃」
掠っていく本の羅列。本との付き合い方。
外部実習が今日は保護者会で、テンションが上がる。
テンションが上がるってのは、目が覚めるっていうこと。
はっとするってこと。
そして、実習担当の先生が持つ、プロの眼球に憧れる。
眼球だけでなくて、両手とか、言葉とか、身体すべてに憧れる。
ぼくは、こういうことを、やりたいんだよ!
女子の会話に苛々したりと不穏だけれど、多分これは良い兆候。
昨日はあひるごはんと正直者達の芝居を観た。
1024
・どうやら10月が終わりかけているようだが、今年の下半期がまだ1か月しか経ってないということにびっくりする。長かったとも短かったとも違う感覚だ。'え、まだそんなしか経ってないの?'は、'長かった'とは違う。
・バランスコントロールと、ミッションコンプリートの両輪が必要なのだと思う。バランスとは見えているものに対してしか取ることはできない。見えてないところは偶然のままにバランスが崩れまくっていることは考えておくべきだ。
・フィクションのつくりかたを考えよう。演劇を降りてもフィクションは生活にあふれている。事例研究や例題もそうだし、何より人の日常に嘘はあふれている。嘘の親戚、欺瞞や建前や隠蔽や誤誘導もあふれている。
・1日経ってから、あの言葉が社交辞令だったんじゃないかという可能性に思い至る。ネガティブアイデンティティとも少し違う。意味の不明な違和感だったものが、具体的な可能性に成ったのだ。その可能性は十分にあり得る。これは僕の'真に受ける'性質。長所にも取れるが、楽をしていることもある。
・柔軟と筋トレの合いの子のような5分間で、忘れてた身体感覚を思い出す。僕はずっと僕だが、つまり同一性は保持されているが、明らかにさっきとは状態が異なる。
1023
僕はいつのまにか辺縁を探る癖がついてしまっていて、一度見つけたものに対する関心が薄い。同じものは一度見つけるだけでなく、何度も何度も見つけてくことができるのであるのに。
僕は自信を持つということを久しく忘れてしまっている。自分の内部ではとても強く確からしいことも沢山あるが、一歩僕の外に出てしまうと、そこでも果たしてそれが成立するかということに対してまったく確信が持てない。同じようなパーツでできている僕ら人間は、まったく違う中身を持っているかもしれない。僕は自分の中で精製したものを外の世界で試す、ということをずっとおこたってきた。'必要ないさ'と思ってた。
だから僕がここで語る言葉っていうのは、他人に向けた言葉ではない。意識は他人に向いているけど、形式はまったく僕の内部システムの様式だ。変換作業、翻訳作業ができていない。あるいは、僕とあなたがたの間で共通に成立する言語が僕には育っていない。
だからおそらく僕のこの言葉が人に届くのは、断片的なものかあるいは、とんでもなく深い理解力の持ち主が、不親切な僕の言語という壁をやすやすと飛び越えて、その中でくすぶっているものを読み取ってくれるかの、どちらかしかないと思う。今は。
僕が時々、'君は年上の女性が似合っているよ'と言われるのはおそらく、他者に伝える言葉を持たない僕のことを、その深い理解力で持って読み取ってくれるひとならば、僕の短所を補って、親密な交際に必要なだけの意思疎通が可能だと思ったんじゃないだろうか。そういう風に舌足らずな言葉で自分を分析するのはとても自己嫌悪を抱くが、まったく満足していない踏み台として割り切れば、即座に消すほどのものでもない。
お察しの通り、少しだけ錯乱している。多分これは錯乱と呼べるだろう。自我をはみ出てきている。多分このブログの1つの機能には、自我をはみ出したものがすぐに直接的な対人関係に侵食する前に、このブログにはみ出すことで、それを少し吸い取って、押さえることができるというものがあるのだろう。そんな使用済みの緩衝材は、決して人に見せたりするものでないと考える人がいるのは分かるつもりだ。願わくば、これが単なるそういうもので終わるのでなく、次に進む推進剤になるといい。
当たり前のことをちゃんと言葉にしていくというのは、僕が当たり前のことを言葉にするのをおろそかにする、という癖を持っているという背景においてはなおさら、重要なことだ。
世の中の人がなぜ新聞を読んだりニュースを見たりしているのかが、昔は疑問で、ちょっと前からは、'意義はよく分からんが、とにかく知っておかねばならないらしい'などと思っていたが、もしかすると、そうすることで、世界や社会、つまり自分の五感によって感じ取れるよりも広いものについての、モデルを頭の中に構築できるのかもしれない。僕が参考書を読むのと同じ理由だ。自分の体験はかけがえのないものだが、多様な体験を可能にするにも、体験できないことを補うためにも、本などの間接的な知識は重要だ。本に溺れては失うものも大きいので、バランス感覚はそれと別にあるとよいのだが。
図書館に全部あったので、刀語を最後まで読んでしまった。インパクトや痛快さは戯言や化物語シリーズより弱かったが、そして長いと思ったが、この人が表したかったことは、この12か月連続刊行の形でこそ生きてくるのだと、漠然とながら思う。泥臭さのない世界で、歴史の概念とか、肯定と否定とか、今まで知ってたものを、また1ページ見つけたような気がする。
現実に何かをしようと思うならば、現実の規則という糸の上をうまく歩けなければなりゃない。
1人で生きるには、この人生というものは長すぎるのだきっと。
僕が目指すプロというものを考えている。
1021
のは、置いといて。
荘野ジュリさんの声と音をニコ動で聴いて、言葉をブログで読んで、
すごい好きになっている。
電光石火で落とされた。
どきどきが止まらない。
CD借りるか。むしろ買うか。
なんでこんなに嵌るんだろう。
いまの・ぼくの・敏感な点に響く響く響く。
嘘を並べてもしょうがないから
少しだけ
ブログをお休みしました
すごい、いいなあ。
僕といえば、しょうがない嘘を捻り出して、翌日後悔したりしてるしょうがない。
それはそれで、なにかある気はしているんだけども、鈍感の発露と正当化は疑い得ない。
Enter.
2人で話したいこと.
2人で話したいぼく.
2人では話したくないきみ.
2人では話したくないこと.
ぼくはきみに,何がしたい?
ぼくはきみと,どうなりたい?
ぼくはきみと,何がしたい?
ぼくはきみに,どうなって欲しい?
ぼくはきみに,何をして欲しい?
こういうことを,言葉にするのは,なんと難しいことだろう!
こういうことを,僕が言葉にする能は,なんと低いのだろう!
Enter.
「関心を高める関わり」「見立て、介入見立て」「見立てに基づく介入」「成果の観察・自己FB」「課題・目標の観察・自己FB」「定着のための宿題」「宿題に対する具体的な手続き」「主訴の確認更新」「外での出来事確認」