戯言ヲトメツバキ(完)
言葉にならないものを、少しでも言葉にしようとしていました。
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0103: クライムロックマッスルズ
「赤黄色の金木犀」(フジファブリック)という曲は初めて聴いたが、すぐに好きになった。元から好きだった曲を3つ連想して、しばらくして、戻ってきて、やはり好きになった。
→「赤橙」(ACIDMAN)
→「銀河」(フジファブリック)
→「白い夏と緑の自転車 赤い髪と黒いギター」(the Pillows)
昨日、小学校の同級生が集まっていたのに行かなかったことを思い出した。
年末に、中高の同級生が集まっていたのに行かなかったことを思い出した。
わっ、
わたしは、最近ブログを書くのが 少しおっくうになっている。
だったら書かなきゃいいのに!
わたしは、なにかを 思い出すことを、とても おそれている。
一体何を? 一体何を!
パズルのピースが成長して、ふくらんでしまったので、もはや枠の中に収まらないのに、無理に押し込めようとしているような、そんな状況が ありまして。ひとつ押し込めて、パチンとやりますと、隣のやつがペコン、とはみ出てくるのでございます。その出てきたやつをつかまえて、押し込めてパチンとやりますと、さっきのやつがペコン、と今度ははみ出てくるのでございます。パチン、ペコン。パチン、ペコン。キリがないのでございます。
わかった風なことばかりブログに書いていても、面白くないのです。
弱音を吐いてばかりいても、面白くないのです。
断片的なことばかりでも、やっぱり面白くないのです。
好きなひとがいるんです。
でも話し方がちっともわからんのです。
話したいことなんてちっとも思いつかんのです。
2009年度はトランジットな年だった。
洗濯機のように万華鏡のように、僕の中身がぐるぐるぶちぶち。吐き出されるもの、並び変えられるもの。新しく始まるもの、新しく始まることを約束するもの。
ほいで、年明けからは、回転数のギヤが一段跳ね上がる気がするんだ。
跳ね上げる気でいるんだ。
→「赤橙」(ACIDMAN)
→「銀河」(フジファブリック)
→「白い夏と緑の自転車 赤い髪と黒いギター」(the Pillows)
昨日、小学校の同級生が集まっていたのに行かなかったことを思い出した。
年末に、中高の同級生が集まっていたのに行かなかったことを思い出した。
わっ、
わたしは、最近ブログを書くのが 少しおっくうになっている。
だったら書かなきゃいいのに!
わたしは、なにかを 思い出すことを、とても おそれている。
一体何を? 一体何を!
パズルのピースが成長して、ふくらんでしまったので、もはや枠の中に収まらないのに、無理に押し込めようとしているような、そんな状況が ありまして。ひとつ押し込めて、パチンとやりますと、隣のやつがペコン、とはみ出てくるのでございます。その出てきたやつをつかまえて、押し込めてパチンとやりますと、さっきのやつがペコン、と今度ははみ出てくるのでございます。パチン、ペコン。パチン、ペコン。キリがないのでございます。
わかった風なことばかりブログに書いていても、面白くないのです。
弱音を吐いてばかりいても、面白くないのです。
断片的なことばかりでも、やっぱり面白くないのです。
好きなひとがいるんです。
でも話し方がちっともわからんのです。
話したいことなんてちっとも思いつかんのです。
2009年度はトランジットな年だった。
洗濯機のように万華鏡のように、僕の中身がぐるぐるぶちぶち。吐き出されるもの、並び変えられるもの。新しく始まるもの、新しく始まることを約束するもの。
ほいで、年明けからは、回転数のギヤが一段跳ね上がる気がするんだ。
跳ね上げる気でいるんだ。
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明けましておめでとうございます
肉眼に綺麗な月は携帯カメラに写らない。
今年の目標はまだ考えてません。三ヶ日中に決めたいと思ってます。
途中で修正することになっても、具体的なことを挙げたいな。
今日は父親と初詣に行き、夜はクロムモリブデンの芝居を観た。
演劇はいろんなことができる。から、なんのために演劇をやってるかを考える、
ことは大事。
1227: 僕らの町に今年も雪が降る
や、降ってないけども。
気がつかないうちに体温は奪われていて、助けを呼ぼうにも悲鳴は声にならない。
この季節は自閉の季節。僕が産まれた季節。
10月末に筆記試験、11月末に面接試験、12月末に結果発表と、3か月に渡り心中を乱してくれた資格試験の一連にようやくピリオドが打たれた。あとはエピローグ、淡々と事務的なことを済ますだけ。
最近くちひげをはやしている。
好きな俳優さんが出演してる芝居、何年も前から追っかけている劇団の芝居、今度共演する俳優さんが出演している芝居、ハイペースで見ている。演劇に限らず、どんな視点で見るかによって、同じものを見ても体験の中身はずいぶんと異なる。今の僕はただの観客としてだけでなく、俳優として芝居を見ている。あと、舞台上に載ってる人をただの俳優として見るだけでなく、同志として見ている。
雇用にまつわる仕事と言うのが、僕にとっては完全に新しい方向なのだと思っていたけど、でも考えてみたら、ずっと前から僕はホームレスという現象に関心を持っていて、しかもそれを殺して薄く薄く引き摺ってきたのだった。嗅覚は卒論で愛して、喫煙は修論で愛してみた。解離とホームレスはまだだった。心理の道に進んでいたら、解離を愛する機会が訪れたかもしれない。
人とお酒を飲みながら、コンタクトの話をする機会があって、とても楽しい。自分に嘘をつくこと、水増ししたり、ないことにすること。恋愛の話、相手に好意を伝えること、関心を伝えること、言葉にすること、関係性が変化すること、一緒になにかをすること。名前の呼び方や、敬語の使い方。自分がちょっとぐずぐずになるが、そこから前の自分に戻るか、ちょっと違う自分に変わるかは、自分次第なのだ。大きな言葉を、自分用にカスタマイズしていく。他人と意味をやり取りする余地を残したまま磨いていく。
「労働ダンピング」(中野麻美)に次いで「反貧困」(湯浅誠)を読んでいる。少しずつ、その現場で使われている言葉の意味が(最低限のレベルで)わかってきた。勉強することはいくらでもあるが、その方向性もいくらでもあるので、自分なりにプランを立てなければ雑学で終わってしまいそうだ。貧困は福祉の中の大きなテーマで、事業仕分けなんかとも関連している。厚生労働省は来年度予算をとても沢山要求している。国全体が力を手に入れるために、科学技術とか何かが必要となる。視野を広げることは必要だが、1人では限界がある。他分野の専門家と上手に協力すれば、僕らはもうちょっとちゃんとしたことができる。
言葉を消化せずに右から左に伝えることがどうしても嫌で、簡単なメール1通が送れずにいる。とってもよくない。
気がつかないうちに体温は奪われていて、助けを呼ぼうにも悲鳴は声にならない。
この季節は自閉の季節。僕が産まれた季節。
10月末に筆記試験、11月末に面接試験、12月末に結果発表と、3か月に渡り心中を乱してくれた資格試験の一連にようやくピリオドが打たれた。あとはエピローグ、淡々と事務的なことを済ますだけ。
最近くちひげをはやしている。
好きな俳優さんが出演してる芝居、何年も前から追っかけている劇団の芝居、今度共演する俳優さんが出演している芝居、ハイペースで見ている。演劇に限らず、どんな視点で見るかによって、同じものを見ても体験の中身はずいぶんと異なる。今の僕はただの観客としてだけでなく、俳優として芝居を見ている。あと、舞台上に載ってる人をただの俳優として見るだけでなく、同志として見ている。
雇用にまつわる仕事と言うのが、僕にとっては完全に新しい方向なのだと思っていたけど、でも考えてみたら、ずっと前から僕はホームレスという現象に関心を持っていて、しかもそれを殺して薄く薄く引き摺ってきたのだった。嗅覚は卒論で愛して、喫煙は修論で愛してみた。解離とホームレスはまだだった。心理の道に進んでいたら、解離を愛する機会が訪れたかもしれない。
人とお酒を飲みながら、コンタクトの話をする機会があって、とても楽しい。自分に嘘をつくこと、水増ししたり、ないことにすること。恋愛の話、相手に好意を伝えること、関心を伝えること、言葉にすること、関係性が変化すること、一緒になにかをすること。名前の呼び方や、敬語の使い方。自分がちょっとぐずぐずになるが、そこから前の自分に戻るか、ちょっと違う自分に変わるかは、自分次第なのだ。大きな言葉を、自分用にカスタマイズしていく。他人と意味をやり取りする余地を残したまま磨いていく。
「労働ダンピング」(中野麻美)に次いで「反貧困」(湯浅誠)を読んでいる。少しずつ、その現場で使われている言葉の意味が(最低限のレベルで)わかってきた。勉強することはいくらでもあるが、その方向性もいくらでもあるので、自分なりにプランを立てなければ雑学で終わってしまいそうだ。貧困は福祉の中の大きなテーマで、事業仕分けなんかとも関連している。厚生労働省は来年度予算をとても沢山要求している。国全体が力を手に入れるために、科学技術とか何かが必要となる。視野を広げることは必要だが、1人では限界がある。他分野の専門家と上手に協力すれば、僕らはもうちょっとちゃんとしたことができる。
言葉を消化せずに右から左に伝えることがどうしても嫌で、簡単なメール1通が送れずにいる。とってもよくない。
1220
■身体的なもの
・背筋をやるとき、右側ばかりが頑張ってる感じがあり、左側がまったく動いてる感じがしないという傾向があった。ずっと左右の筋量のアンバランスの問題だと思っていて、右側が強すぎて頑張っちゃうのか、逆に弱過ぎて感覚的にキツいのか、どちらかだと思っていた。だけど今日ふと、俺の上半身が下半身と比べて右側(頭上から見ると時計回り)にねじれているのでは?という考えに思いいたった。自分では真後ろに反ってるつもりでも、実際は右斜めに反っていたのだ。そう考えると辻褄の合うことがもうひとつある。エスカレーターの右側を歩いて昇り降りするとき、左側に止まっている人がいるため体を横にしてぶつからないようにするのだが、俺はいつも右側にひねっている。それが、止まっている人に対して背を向けたいからだという人見知りの問題なのかとなんとなく思っていたけれど、もっと身体的な問題で、上半身が右にねじれてるから右にひねりたくなるのかもしれない。ほかにこの仮説を検討できるエピソードはないかしら。もしこの仮説が正しいとしたら、僕はなにをすればいいかしら。右にねじれているのはどうしてか、筋肉の問題か、もっと物理的長短みたいな問題かしら。
■観念的なもの
・背筋をやるとき、右側ばかりが頑張ってる感じがあり、左側がまったく動いてる感じがしないという傾向があった。ずっと左右の筋量のアンバランスの問題だと思っていて、右側が強すぎて頑張っちゃうのか、逆に弱過ぎて感覚的にキツいのか、どちらかだと思っていた。だけど今日ふと、俺の上半身が下半身と比べて右側(頭上から見ると時計回り)にねじれているのでは?という考えに思いいたった。自分では真後ろに反ってるつもりでも、実際は右斜めに反っていたのだ。そう考えると辻褄の合うことがもうひとつある。エスカレーターの右側を歩いて昇り降りするとき、左側に止まっている人がいるため体を横にしてぶつからないようにするのだが、俺はいつも右側にひねっている。それが、止まっている人に対して背を向けたいからだという人見知りの問題なのかとなんとなく思っていたけれど、もっと身体的な問題で、上半身が右にねじれてるから右にひねりたくなるのかもしれない。ほかにこの仮説を検討できるエピソードはないかしら。もしこの仮説が正しいとしたら、僕はなにをすればいいかしら。右にねじれているのはどうしてか、筋肉の問題か、もっと物理的長短みたいな問題かしら。
・トレーニングはいきあたりばったりにやっちゃいけない。感覚に訴えるものが多いからって、そのレベルだけでやっちゃいけない。
・勉強とは学習のacceleratorなのかもしれない。
・時間は柔軟性があって、こちらの関わりかたによってグニグニと伸び縮みする。
・そしてその極に無時間の感覚がある。
・勉強と学習と研究を混同しない方がいい。
・ことば、からだ、こころ、の蕩けるような蜜月関係を、ざらざらと舌で舐める距離で味わいたい。ネットワークを張る。
・仕事というものをどう捉えるかということを考えずに仕事をすることは、なんとかできるかもしれない。仕事というものをどう捉えるかということを考えずに、仕事についての仕事(言ってしまえば雇用安定行政)をすることはできないと僕は思う。 おそらく間違いなく重層的な理由がある。食うための金を稼ぐとか、自分の能力を発揮するとか、家族を養うとか、憧れの業界に身を置くとか、そのそれぞれについて今の僕では想像もつかない奥深い個別の要素が蠢いているのだ。
■記述的なもの
・木曜、偶然高校の同級生タカミに数年ぶりに会った。ちっとも変わってないように見えたのは、やつが既に高校の頃からある意味で完成していたからなのかもしれない。
・土曜の夜、懐かしのキキ野郎たちと飲んだ。渋い歳の取りかたをしている。あちしはどうにもこどもてぃん。
・ひょっとこ乱舞がもう一度観たくなってきた。
・桑田ケイスケのソロCDを見て日本文学が読みたくなる。
■BALANCEとか
・木曜の勉強会でバランスについて話があった。あなたはバランスを取ることをどのぐらい重視しますか?あなたにとってバランスを取るとはどういうことですか?
■SCOPEとかPERSPECTIVEとか
・たとえばお腹が好いているとき、なにかが食べたくなる。なにかを食べたら落ち着くかもしれない。たとえばめちゃめちゃ眠いとき、ちょっとだけ眠れば落ち着くかもしれない。あるいはガムを噛めば落ち着くかもしれない。タバコを吸えば落ち着くかもしれない。
・わたしたちの行動の少なからずな部分は衝動とか欲求とかいうものによって引き出されているのだけれど、それらの対応関係が常にピタリとしているわけではなくて、ズレてしまっていることがある。ズレてしまう理由を考えると、単に知識が間違っていることもあれば、その延長線上で適切なものを知らないということもあるし、適切なものが難しいから妥協していることもある。ズレたものを求めてしまった結果、達成されたのに釈然としなかったり、自分や他人を傷つけたりしてしまうことがある。
・観念の世界にあるものと、具現化された世界にあるものとはとってもとっても関連している。それは日常においてもそうだし、芸術においては特にそうだ。ゲシュタルト療法の本に書いてあった、心身二元論を否定したエネルギーの多少によるスペクトラムのモデルにはとてもときめいたが、僕の血肉にするにはまだ遠い。
・わたしたちは抽象的なものを扱わねばならない。そしてそのときに、具体的なものを無視するわけにはいかないのだ。心理学を行動科学に含めることを、ぼくは聞き流しちゃあいけないんだ。
1216
ひょっとこ乱舞の芝居を観た。とてもナーバスな芝居だと思った。
そのあと、出演していた俳優さんと、偶然同じ回に観ていた俳優さんと3人で軽くお酒を飲んだ。
2人の俳優さんは日常的なことについて自分が持っている考えをとても感情豊かに話すので、一緒に話していてとても楽しかった。
この2人が組んだらすごい面白い芝居ができるんじゃないか?相性がよさそう。
あとめずらしく作った料理がうまかった。みそ汁。
いろんな食材が集まってそれぞれの個性を発揮するような場合、
全体を調和させるような土台の重要性が非常に高くなるのだと思った。
この場合はベースとなる汁。
そのあと、出演していた俳優さんと、偶然同じ回に観ていた俳優さんと3人で軽くお酒を飲んだ。
2人の俳優さんは日常的なことについて自分が持っている考えをとても感情豊かに話すので、一緒に話していてとても楽しかった。
この2人が組んだらすごい面白い芝居ができるんじゃないか?相性がよさそう。
あとめずらしく作った料理がうまかった。みそ汁。
いろんな食材が集まってそれぞれの個性を発揮するような場合、
全体を調和させるような土台の重要性が非常に高くなるのだと思った。
この場合はベースとなる汁。