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 0123

「ひどい顔してるけど大丈夫?」と、演出助手の方と同居している祖母に立て続けに言われた。ということは、相当ひどい顔をしてるんだ。自分ではよくわからないが、顔には出るたちなので、自覚が足りないだけなのだろう。
一番消耗するのは人と関わること、そして人と関われないこと。

昨日は共演者の方と稽古後にご飯を食べていたら終電を逃して、家に泊めて貰う。翌日午前からの抜き稽古では稽古の間に演出を体現するまで落とせず、ぐったりしながら夜の稽古を迎えたり、人と人が関わっているのをぽけらんと眺めていたりする。コンタクトレンズの着けすぎで目がしょぼしょぼしたり、段ボールハウスの本を読んだりしながら2日振りの家に帰り、職場で貰った蜜柑が10個以上残っていたのをまとめて平らげた。

町田駅前で路上演奏しているのをよく見かける、ロス・アウキスというグループが気になっている。耳だけでなく皮膚まで使って感じる音楽。それから小沢健二の復活ライブは嬉しい知らせで、公式サイトの読み物も気になっているが、ディスプレイ上で長い文章を読むのが苦手で二の足を踏んでいる。
芝居も心理の仕事と同じように、きちんとお金がもらえるわけではないが、自分で望んでやっている、そしてクリエイティブな作業とコミュニケーションを必要とする、「仕事」だと思った方がぴったりと嵌るような気がした。それと関連して、私は米光一成さんの言葉をもっと腑に落としたい。
金曜日に何度目かのカウンセリングを受けて、僕の色々なところを振り回している要因についての言葉を貰った。それは多分欲しかった言葉で、だけど聞きたくなかった言葉で、感謝を抱くと同時に、狡いなあという気になった。
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 0118

いま、今度出演する芝居の稽古がまさにダイナミックに動いているところ。
言葉未満のものが日々、滾々もりもりと湧き出ぢていて、言葉が出てこない。
稽古に必死になっている、のかもしれません。
だからいつも以上にぐじゃらぐじゃらなことを書きます。

***
わたしは信じるということを純粋な意味ですることがとても苦手なので、現時点でこの芝居のことを自信を持って人に薦めるには、がんばって嘘をつかねばならない。正直なところ、面白くなりそうな期待も、つまらなくなってしまいそうな不安も入り混じった、混沌とした今の心情は、お誘いメールに載せるには重量オーバーだ。
私はこの芝居をもっともっと面白くしたいし、この芝居をもっともっと面白くしたい人たちが集まってこの芝居を作っていると思うのだけど、それはあくまで個人的で内輪な話で、お客さんにする話ではないと思う。

「見てください!」とは言えない。
「見てほしい」ってことも、正直あまりない。
演劇作品に限らず、「ありとあらゆるものごとの価値は受け手の肉体、つまり関心に依存する」ということを主張する、構成主義とやらから派生した構造構成主義という考え方に一昨年の僕はメロメロにされてしまっていて、それは今でも大きく僕の中に居座っている。
僕がこの芝居を面白いと思うことと、それを具体的や抽象的な誰かに見てほしいと思うことや、誰かがこの芝居を見て面白がるだろうと思うことは、僕の中であんまり繋がっていない。
だから、面白いと思ってもらおうと思ったら、芝居になんか誘えやしない。
たぶん、面白くなかったときも含めて、そこからでもコミュニケーションを続けられるつもりがあるならば、きっと誘えばいいんだろう。

なんか公演参加者に読まれたら怒られそうだなこれ。

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 0110: 眠っているものを

今自分が与えられた課題に、対峙(直面)して、取り組むために、
過去のあらゆる使えるものを使うこと。
やれたのにやらなかったことを残さないこと。

私は 温故知新 という四字熟語が、私の知っている言葉の中でかなり相当好きなのだが、それっていうのは、それというのは、この言葉が、過去から現在に至り未来へと向かう、相当に重要な(黄金な)ものをかすっている(響かせている)からなのではないかと今の私は思う。
数年前に演じた「わが町」という戯曲の序文に書かれている、作者ソーントン・ワイルダーの演劇観についての文章を読んで、そう思った。

新しいものを求めるのも、昔に忘れたことを思い出すのも、そう。
体験は劇的だとしても、意味は抜かれていくから。
統合するということ。

これも繰り返しになるけど、繰り返し確認すべき大事なこともあるのだ。すなわち、
大きな言葉は、そのままでは個人が使うにはスキマが多すぎて勝手が悪い。
愛とか自由とか、コミュニケーションとかアイデンティティとかいう、大きな言葉、
おおよそ誰にだって関係ありそうな言葉というものは、大きすぎるのだ。
このぶかぶかの服を着こなすためには、ある継続的な作業が必要なのだ。

「2001年宇宙の旅」と「愛のむきだし」をDVDで観た。
芸術作品(に限らないけど)は、実際に体験してみないと絶対にわからないものがある。
愛のむきだしを観て、ようやくはじめて、ある種の頭のおかしさに合点が行き始めた。


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 0108: 稽古期間中

頭の中が芝居のことでいっぱいになっている。それは狭い意味ではよいことなのだけど、広い意味ではよいことばかりではない。そのあたりがむずかしい。

現在稽古中の座組は出演もする演出家を含めて自分のほかに20人も役者がいるので、それらの組み合わせは膨大なものになる。単純計算で220-1≒100万通りだ。スタンプラリーをしているわけではないが、まだ話してない人がたくさんいる。スタッフを含めるともっとたくさん。
別にそろばんボーイがやりたいのではなく、人数や面子が変わると、話題も俺の喋り方も微妙に変わってくるので、当たり前のようなそのことが感覚レベルでおもしろい。率先して場を盛り上げる人、地味なようで結構狙ってる人、広い視野で稽古場を見ている人、付き合ってるんじゃないかと思うくらい息の合った2人。
新発見のあとは再発見が続いてく。僕は役者経験も知れてるしブランクも長いので、稽古場で他の役者さんから学ばねばならない。演出家の言葉を聞いて自分で考えるだけじゃ追いつかない。ここにはおもしろい人がごろごろしている。
こういうことに出逢えるから、僕は8年も演劇を続けてきたんじゃないかと思う。

もうすぐこの公演についての記事をアップする予定。テンプレDMのコピペは趣味じゃないとか言ってごちゃごちゃいじってたら、だいぶ遅くなってしまった。
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 0106: 深呼吸をひとつ。

いつものようにというか、またかというか、ブレブレな日々。
「溜め」がないなぁ、ということを感じる。

欲張りすぎて焦っていることに気づいたというか、「わたし欲張りすぎて焦っているんじゃないか」と言ってみると妙にしっくりしたので、目標を減らしたり具体的にしたり、整理する時間を長めにとってみたり、優先順位の下の方のものを思い切ってばっさり切ってみたり、といった処方箋を書いて実行してみる。そういえば新しい人と継続的に会うのは、8月に学習塾の授業が始まって以来かもしれない。意識の外で長い知人をおろそかにしてしまっているような気がする。気をつけよう。

今年の見通しみたいなものは、見えないなぁ。
4月から先は、なんか膜張ってるみたいにもんすごぼんやりしてる。

擬似恋愛的な逃避は、いいかげんきもちわるいのでやらないようにしよう。
そんな感じ。
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