戯言ヲトメツバキ(完)
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0418
「変にいろいろ悟りだすと間違ってて危ない気がする」で、
西尾さんのに続いてこれまた、「そうそう、そうだよな!」とすごく思う。
文脈を無視して、フレーズを切り分けて取り出して、(勝手に)共感するのは、
なんだろう、すごくなんとなくだけど、僕はあんまりよくないような気がする。
それこそ、間違ってて危ない気がする。
こういう漠然とした共感とか、あと僕がよく使うジャーゴン(造語。プルタバルタとか)は
「まだ明確に認識したり、言語化したりはできないけれど、やがてそうなるであろう種」
として、捨てずに大事にしてやろうと思ってきたのだ。
しかしどうやら種はただとっておくだけじゃ芽が出てくれないようだ。
バランスの悪い僕は、プロススを完走するためのある部分が致命的に足りない。
回路は一点で渋滞する。
幽体離脱の持続時間をもっと伸ばしたい。
むん。
種ばっか抱えてると、他人と繋がることが難しくなってしまう。
僕は生来他人と繋がるのが苦手なのだから、経験を積んで補わねばならない。
そんなことを、25歳になってから気づく。
ASLNのユルい声と音が心地よい。
0417: フランクエンド・グァッシャー
「悲しい」とか「泣ける」とか「シクシクする」とか、いまいちな言葉しか見つからなくて苛立つ。
別にその人にいまだに未練があったとかが、俺のことだからもちろんあるんだろうが、
それだけでもなく、そして感情の色をキーワードにして連鎖的に、関係の無い風船も割れる。
パァン、
スパァン、
プシ、
それは、今まで直視するのを避けていたことを直面化させたりする。
追い討ちをかけるように、ウロボロスの矢印はご機嫌で、
わたしの回路をぐるぐると回す。
墨のようなものがどんどん増えていく。
わくわくどきどきときめきしていたものが、
目標を立てて奮い立たせて計画を立ててやってきたことが、
自分で選んで決めたはずの仕事が、
はたと色を失って、骸骨ばかりがそびえ立つ。
これが真実なのか、被害妄想なのか、逃避なのかは、僕には分からなくて、
でも、ひとつだけ分かることは、
なんとかして、自分の資源を動員したり、人に力を貸してもらったりして、
こいつをしのがなきゃいかん!ということだ。
明るいカードは、実はもう、少し見えている。つもりだ。
僕の大好きな人たちと、僕が尊敬する人たちを思い浮かべて、
充電を、する。
0415
「何となく」になってしまっている部分をとにかく一つずつ具体的にしていくしかない
全然違う文脈で僕が直面していることについて、まったくずばりその通りだと思った。
冷や汗が出た。
久しぶりに本郷に行く。
懐かしい。
言葉を紡いでる場合では、無い。
0414
妹が「クロムが速い」と言っていたので、ブラウザを変えてみる。
前に無かった不便がポツポツあるのは当たり前の話で、それを自分に引き付けて、慣らしていったあとを想像して比較すべきなのは知ってたはずなんだが。
面接の準備っていうのは、今の僕にはぼやんとしてとらえがたく、なんかしなくちゃならなくて、それはきっと大変なんだろうなと思うのだけど、それを感覚でぴっとりと掴むことができなくて、何をやっても違和感が残る。演劇の稽古の準備もそんな感じ。本番と準備の関係がよくわかってないのだと思う。だからさっさとバイザーを見つけねば。見つけたからって、私の今の問題が解決する保障などなんにもないのだけど、それでもそういうアドインが必要なことは直観でわかってるつもりだ。
優先順位が常に4番ぐらいにあるものは、目まぐるしく入れ替わる1番2番3番の下にあって、いつまでもお声がかかることはない。今1番にやろうとしていることは、いくらやっても終わりがないもので、「それが終わってから」ということは、「永遠にやりませんよ」というのと論理的に等価であることを、僕は直面しないようにしたがる。
「沈黙」「さてあとは沈黙と行きますか」「Silvered Silent Tears」「沈黙のラブラジィ」「沈思黙考」と書き並べた時点で既に相当「自分濃度」が高まってしまっている。先日名前を挙げた「沈黙うんぬん」という本は「いかにして自分自分を薄くするか」ということを書いていたのだが、僕の中の自分大好きな部分がわっかりやすくアレルギー反応を示してむずがゆい。
写真は先日の公演で頂いた花。花は生き物。時間をまとう。コンピューターの中身とは違う。
0413
大量の世界史の参考書に囲まれながら、ふと思う。
世の中にはいろんな本がある。
いい悪いというだけで判断できない要素もたくさんある。
しかし、本を選ぶのは基本的に読者に完全に投げられている、と思う。
自分にぴったりくる本、今の自分に一番共鳴する本を見つけるには、
ある種の技術が必要とされる。
その仕組みの弱点によって、出会い損ねてしまうのは、もったいないなぁ、と思う。
新刊JPというサイトがあって、これは知り合いの方に教えてもらった。
こういうもので、素敵な本に出合えることは、もちろんあるのだけど。
でも、僕が感じている空白は、こういうものとか、ヴィレッジヴァンガードのような
セレクトショップでは満たすことができないもののような気がする。
むしろAmazonの「この商品を買った人はこんなものも買ってます」の欄が、
ものすごい近いところを掠めている気がする。
グーグルやAppleも使ってるシステム。
もうちょっと、もうちょっと。なにかが降りてくると、いいんだけどな。
実際に試してみるには、少なくとも企画書を書くには、もう一段具体が必要だ。
内田樹がどっかの本で書いていた、「よく判断できない状況で自分の人生を
大きく左右する決断をしなければならない状況で、それでも真剣になれないで、
しょうがないと責任を手放してしまうのはだめだ」とか、細かいところが違うだろうが
大雑把に言うとそんな言葉が思い浮かぶ。
僕はなにか、「肩代わりする」方法を考えていて、だから、「それが本当に肩代わり
すべきものなのか?」という問いの答えは常に考える必要がある。
ルスバンズの「うそつき」を観に行ったら愛さんと遭遇して御飯を食べて色々話す。
上演時間は90分だったらしいが、僕はその長さがとても宙ぶらりんに思えた。
僕は広田さんが何をやりたいのかについてものすごい興味関心を持っているが、
広田さんの作る芝居への興味関心は段々と薄れてきていて、折り合いがつきがたい。